「ねえねえ、お父さん。お空が曇でいっぱいになって太陽さんが隠れちゃった時、太陽さんはなにしてるの?」
せっかくの休日、どこかへ出かけようと思っていたが、窓の外に広がる暗い雲を見ていると妙に気分が下がってしまった。
そんな重い空を眺めながら、寝転がっていると娘が腹に乗りながら疑問をぶつけてきた。
「……何してんだろうなあ」
「えー、お父さん知らないのー?」
答えが返ってこなかったことが不満で、娘は俺の腹の上で跳ね始める。
(……さっき食べた美味い昼飯が、出ちまいそうだ)
娘の両脇に手を入れ、腹の上から退かせた。
「お父さん、お昼寝終わり?」
「腹の上で遊ばれたら寝るにも寝れないだろ」
「そっかー」
理解していなさそうな返事をしながら娘をあぐらの上に座らせる。
そこで皿洗いを終えた彼女がくすくすと笑いながら、こちらへやってきた。
「ふわふわな雲のお布団で今のお父さんみたいにお昼寝してるのかもしれないね」
「じゃあ、朝から見えないから太陽さんはお寝坊さんだね! お休みの日のお父さんと一緒!」
楽しそうに笑う娘を見て、彼女は幸せそうに笑っている。
彼女たちの笑顔に包まれていると、さっきまで暗く感じていた雲も、少しだけ明るく見えた。
――曇り
「だから! 『Hallo』じゃなくて、『Hello』って言ってるでしょ!」
「だって『ハロー』なんだもん……」
「英語には発音のルールがあって、音とスペルは一致しないの!」
両親の仕事の都合でアメリカに行くことになった友人に、英語を教えて欲しいと言われた。私は幼い頃にアメリカで過ごしていた。だから、適任だと思われたのだろう。
超が付くほど英語が苦手な友人。まずは簡単な会話ができれば上々だが、簡単な英語は書けた方がいいだろうと思って教えてみたが全然ダメ。英語の授業はあるからある程度は話せたり書けたりしても良いのに、壊滅的だ。
「む、難しいんだもん……」
「ったく……そんなのも書けないで、向こうに行って本当に大丈夫なの?」
「一緒だったら良かったのに……」
「ダメよ。私に頼ってばっかりじゃ、いつまで経っても英語できないでしょ」
図星に友人は唇を尖らせていた。
「……でもこれは、書けるよ」
友人はノートに英語のスペルを綴っていく。
「これだけは、私から伝えようと思って……」
「……っ、バカ」
「……学校卒業したら絶対こっちに帰ってくるから、泣かないで?」
「泣いてないわよ……」
昔、アメリカに住んでたいたからといって、簡単に会いに行けるわけではない。知っている土地だから親近感を感じるけど、友人が向こうに行ってしまうと思うと、ありえないほど遠く感じる。
「……その約束忘れたら絶対許さないから」
「うんっ」
もう「泣いてない」と言って、誤魔化せないほど濡れた頬を温かな春の風が撫でた。
――bye bye...
夕日で真っ赤に染まってる空がきれいだったから、スマホのカメラにおさめて、彼へ送った。
《きれいだな》
すぐに返事が返ってくる。
彼もそう思ってくれたことが嬉しくて頬を緩ませていると、スマホが鳴った。
《でも》
そしてもう一つ。
《初めてデートした時にお前と一緒に見た夕日が一番綺麗だった》
私もそう思った。
ありきたりだけど、大好きな君と見た景色が一番美しくて何よりも綺麗でかけがえのない一瞬。
――君と見た景色
学校終わりに君と一緒に商店街でコロッケとメンチカツを一つずつ買った。近くの公園のベンチに座って、コロッケとメンチカツをお互いに分け合いながら食べた。「見た目同じなのに全然違うね」「そりゃそうだよ。ジャガイモとお肉だもん」「私たちも同じ人間なのに、脳みそ違うだけで全然違う人間だもんね」「なにそれ、深っ」なんてことを駄弁りながら食べた。
食べ終わった後、今度はコンビニに寄って、期間限定のアイスを買った。SNSでものすごく好評だったけど、私的にはイマイチだった。でも、君がものすごく美味しそうに食べているところを見ているとだんだんと美味しく感じた。外でアイスを食べるには、まだ早くて手は悴んでしまった。腕を組みながらそれぞれコートのポケットへ手を突っ込んで引っ付きながら帰り道を歩いた。
「また明日ね」
いつもの分かれ道で、いつものように君から手を振られる。
家がすぐ隣だったらいいのに。
それならまだ一緒にいられるのに。
私はいつもここで同じことを思う。
そして、いつものように私は手を振ってくれる君の手を捕まえる。まだ君の手は冷たかった。
「あったか〜い」
「カイロ持ってたからね」
「え〜、いいな〜……私も持ってたんだけどなあ……」
「体育の時に一生懸命振ってたら破けちゃってたもんね」
「ねえ〜、言わないでよー! チョー恥ずかしかったんだから! あ〜あ、体操服が真っ黒になっちゃったからママに怒られちゃうかなあ……」
ため息をついて空を見上げる君に笑いが込み上げてくる。
「明日、教えてね」
また花が咲いてしまいそうになる会話をぐっとこらえた。
手を繋いで別れを告げると、君も少し寂しそうに笑ってくれるのが嬉しい。
「なんなら電話するよ」
名残惜しそうに緩く握り返してくれる君が愛おしくて、弾みで胸の内を明かしそうになった。
――手を繋いで
これから友達と遊びに行くらしい彼女を玄関まで見送る。
「じゃあ行ってくるね」
「ああ、気を付けろよ。話し込みすぎて、この前みたいに遅くならないように」
「うん、分かってるよ。早く帰ってこないと、誰かさんが寂しくて泣いちゃうもんね」
「誰が泣くか。終電なくなっても知らねえぞ」
「ちゃーんと、終電までには帰ってきますよー」
靴を履き終えた彼女が立ち上がり、にこにこと笑う。本当に分かってるのか、分かってないのか。
「それじゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
お互いに手を振り合いながら、彼女を送り出す。
バタン、と閉まった扉がすぐに開いた。
「忘れものしちゃった!」
笑いながら戻ってきた彼女は、アンクルストラップのパンプスを履いている。これを脱いで、また履くのはきっと割と手間だろう。
「しょうがねえなあ……俺が取ってくるよ。どこに何忘れたんだ」
にこりと口角を大きく上げた彼女は俺に近付いてくると、背伸びをした。
「ここに」
静かに触れ合った唇は、あっという間に離れる。
「行ってきまーす!」
彼女はしたり顔で、元気良い声と俺の頬の熱を残して春の光の中へ消えて行く。
バタン、と閉じた扉は妙に寂しく聞こえた。
早く帰ってきて欲しい、なんて思ってねえからな。
――どこに?