しゅら

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7/25/2024, 8:09:48 PM

鳥かご

 私は、いつの頃からか自分の名前というものが嫌いになっておりました。私の名は『二郎』。こちらはご両親に頂いた名ではございますが、何分不自由な次男という立場を強調する名前でございまして、私を捕えるかごのようでございます。
 ある日、たまの贅沢にと家業の合間に、茶屋へと伺いました。店先でカナリアの鳴くそちらのお店は質素な佇まいながらも客足の途絶えぬ茶屋でございました。兄は珈琲などというものを好むそうですが、そのようなものにはお目にかかったことがなく、私は平凡なお茶と団子を頼むのでした。
 ああ、こんな時間ばかりであればどれほど良いことか、と考えていると、年の頃10といったお嬢さんがお茶と団子を運んで参りました。どうにもこちらの娘さんにお給仕を手伝わせているようです。私よりも幼い彼女の丁寧な所作に、いたく感心いたしました。
 それからというものの、私はこちらの茶屋へと通い詰めることとしました。カナリアのさえずりと娘さんの成長に迎えられる一服は至福の時でございました。
 何年かして、私に縁談がやって参りました。母上のご親戚の娘さんだそうで、そちらの婿養子に、とのお話です。今や常連となった私の話を聞いた茶屋の娘さんは私の話を聞き、頬を紅潮させ、僅かに震えた声で話します。「私もじきにそのようなお話をいただくでしょう。してお客さんはご決断なされたのですか?」
 跳ね打つ心臓に私の頭は掻き乱され、一つ、また一つと、松明の点くような心持ちでございました。娘さんに「断るつもりだ」と言い、茶屋を出ました。
 父上に縁談を断ることを伝えると、父上は「ならば仕方がない、三郎を行かせよう」などとおっしゃいました。この時ばかりはこの「かご」に感謝したものです。
 私は現在、茶屋でご奉仕しております。大きくなったお腹を撫でる娘さんが、私に笑顔を向けており、私の心は晴天の虹に向かって羽ばたく鳥のようでございます。
 カナリアのいなくなった鳥かごを見つめ、「私もまた鳥かごを作るのだろうね」などと考えるのでした。

7/21/2024, 4:24:38 PM

今一番欲しいもの

 誕生日はうさちゃんのぬいぐるみが欲しい!
 もっと身長あればなあ。
 みんなが遊んでるゲームのソフト買って〜!
 100万円あったら貯金するかな。
 彼とゆっくり過ごす時間が欲しい。
 絶対に優勝旗を持って帰る!
 推しの新衣装実装して!
 有給もっと欲しい。
 誰か話せる人いないかな。
 そろそろ孫の顔が見たいねえ。
 バレンタインチョコ、もらえるかな?
 もう楽になりたい。
 宝くじ当たれ〜!
 なかなか人気でないなあ。
 
 たくさんの人の声。欲とは、今のその人を表す。これまで満たされなかったもの、かつて満たされていたもの、今足りないもの、心を潤すもの、これからの目標、これから必要になるもの。希望、コンプレックス、夢、不安、愛、焦燥、などなど。
 他人の欲に、自分の欲に、耳を傾ければ、それぞれの素敵なストーリーが幕を開ける。嬉しい物語も、悲しい物語も。自分を知る、相手を知る、自分を知ってもらう。進む道も、繋がりも、少しづつ、あかりが灯る。悩まされることばかりかもしれないけれど、欲とはかくも素晴らしい。

7/5/2024, 3:27:01 PM

星空

 帰宅の道すがら、コンビニでゴミ袋を買いました。市の指定の袋じゃない、真っ黒なビニールのゴミ袋。
 自宅に帰り、ゴミ袋を一つ引っ張り出し、ベットに寝転びます。マットレスの沈み込みは私の気分を映しているのか、はたまた私を慰めているのか。
 ゴミ袋を被り、「うー」とか「あー」とか呻いてみます。私だけの真っ暗闇は、私の全てを飲み込むようでした。
 ヘアピンを外し、袋に一つ、穴を開けます。プツ、と私の世界が壊れる音。キラキラ輝く私だけのお星様。
 その周りに一つ、また一つと穴を開ければ私だけの素敵な夜空の出来上がり。
 星々にそっと手を伸ばし、指で穴を広げていくと、光はどんどん強くなります。
 やがて蛹を破る蝶のように羽を広げ、私は星空の向こうへと帰るのでした。

7/4/2024, 3:52:09 PM

神様だけが知っている

 ある日少年が神様にお願いしました。
「ナオと両思いになれますように」

 やがて年月が経ち、少年は青年となった。
「あなたをこれからも愛し続けます。僕と一緒に人生を歩んではいただけませんか」
「喜んで。二人で幸せになろうね」
 焦がれ続けた彼女と結婚し、彼らは幸せに暮らしていた。そんな折、彼はふと訪ねてしまったのだ。「どうして僕を好きになってくれたの?」と。
 彼女は、ナオは口に指を当て、はにかみながら「わかんないよ」と幸せそうに答えた。
 この世界に神様がいたとして、僕の願いを聞き入れてくれたとして、その結果、彼女の思いが捻じ曲げられてしまったのではないか?彼女には、もともと彼女の求めていた別の幸せがあったのではないか?
 僕にそれを証明する手立てはない。答えを知っているのはきっと……。
「どうしたの?」
「ねえナオ、今、幸せ?」
「うん!とっても!」
「そっか」
 彼女の呼吸を、鼓動を、温度を感じる。
 ああ、僕はそんなこと、知る必要はない。答えを神様しか知らないのは、神様以外が知る必要がないからだ。
 二人の幸せは、これからもずっと続いていく。

7/3/2024, 6:48:23 PM

この道の先に

 きっかけは数日前、旧友Yを訪ねた日のことである。無精髭を撫で、右手に鍵束を弄びながら、彼はこう言った。
「行ってみないかい?あそこに。せっかく立ち入り許可をもらったんだ。お前さん、しばらく行ってないだろう?」
「それは当然の話だろう。そうそう行けるような場所じゃあないのだから」
 私がYを訪ねたように、彼もまたあの頃を懐かしがっていたのだ。「それもそうだ」と麦茶を一口啜るY。揺れる水面に小さくて小さくて、それでも大切な日々が映る。
「昔は良かったなんて年寄りくさいこと言うつもりはないがね、どうしたって思い出しちまうんだ。オニヤンマを必死に追いかけて、終わらない宿題に頭を悩ませて、人の色恋を囃し立てて、一つのボールを全力で追いかけて……」
「年寄りくさいこと言うのはやめろ」
「おっといけねえ」
 おどけたように笑うYの言葉に私の心は動かされていた。まったく、ズルくなったもんだ。
「せっかく地元に帰ってきたんだ。同行させてもらう」
「そうかいそうかい、そう言うと思っていたよ。早速向かおうか」
 二人してノロノロと立ち上がると、Yは桐の棚から鍵をさらに二本取り出した。
 Yの中古車に揺られること数分、Yが車を止める。
「懐かしいだろう?小学校」
 枯れたものだな。大人になってどれほど経ったのかは覚えていないが、誰もいない母校を見てもなんの感慨も湧きやしない。
「なあ、行ってみたい場所があるんだ」
「奇遇だな」
 校舎の玄関前を右へ進むと山が……いや丘がある。雑草をかき分け、林を進む。気分はまるで探検隊だ。
「ああ、あれだ」
 Yの指さす方向に大きな岩がある。その横に、歪に敷かれた細い砂利道がある。
 この道の先に、秘密の花壇がある。テントがあって、木箱の中にはビームサーベルにスーパーヒーローが。虫籠の中にはおじいちゃんの取ってくれた強いカブトムシ。テーブルみたいな丸太の上に、みんなのコップがあるんだ。ここは、合言葉がないと入れない、僕らの秘密基地。
 「ははは」
 どちらからともなく出た乾いた笑いは、すうっと溶けていく。
 「そうだろうな」
 何もないのだ、ここには。私たちは何を期待していたのやら。
 何も言わずに、道を引き返す。「お前たちの進む道はこっちじゃないぞ」とオニヤンマが私たちの足跡をなぞっていった。

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