しゅら

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鳥かご

 私は、いつの頃からか自分の名前というものが嫌いになっておりました。私の名は『二郎』。こちらはご両親に頂いた名ではございますが、何分不自由な次男という立場を強調する名前でございまして、私を捕えるかごのようでございます。
 ある日、たまの贅沢にと家業の合間に、茶屋へと伺いました。店先でカナリアの鳴くそちらのお店は質素な佇まいながらも客足の途絶えぬ茶屋でございました。兄は珈琲などというものを好むそうですが、そのようなものにはお目にかかったことがなく、私は平凡なお茶と団子を頼むのでした。
 ああ、こんな時間ばかりであればどれほど良いことか、と考えていると、年の頃10といったお嬢さんがお茶と団子を運んで参りました。どうにもこちらの娘さんにお給仕を手伝わせているようです。私よりも幼い彼女の丁寧な所作に、いたく感心いたしました。
 それからというものの、私はこちらの茶屋へと通い詰めることとしました。カナリアのさえずりと娘さんの成長に迎えられる一服は至福の時でございました。
 何年かして、私に縁談がやって参りました。母上のご親戚の娘さんだそうで、そちらの婿養子に、とのお話です。今や常連となった私の話を聞いた茶屋の娘さんは私の話を聞き、頬を紅潮させ、僅かに震えた声で話します。「私もじきにそのようなお話をいただくでしょう。してお客さんはご決断なされたのですか?」
 跳ね打つ心臓に私の頭は掻き乱され、一つ、また一つと、松明の点くような心持ちでございました。娘さんに「断るつもりだ」と言い、茶屋を出ました。
 父上に縁談を断ることを伝えると、父上は「ならば仕方がない、三郎を行かせよう」などとおっしゃいました。この時ばかりはこの「かご」に感謝したものです。
 私は現在、茶屋でご奉仕しております。大きくなったお腹を撫でる娘さんが、私に笑顔を向けており、私の心は晴天の虹に向かって羽ばたく鳥のようでございます。
 カナリアのいなくなった鳥かごを見つめ、「私もまた鳥かごを作るのだろうね」などと考えるのでした。

7/25/2024, 8:09:48 PM