彼は私の愛のない遊び相手の一人だ。
私達の関係は、ある種、契約の上で成り立っている。
破ってはいけない掟はただ一つ。
互いに愛を求めてはいけない──
それなのに、いつからだろう……彼の愛が欲しいと思うようになってしまったのは──
「ねえ、ちょっと言ってみてほしいことがあるの」
「何?」
「“愛してる”って言ってみて」
「……なぜ?」
「別に。ただ、似合わないことを言わせてみたいなぁ、って思ったの」
嘘でもいいから、愛の言葉を囁いて欲しかった。
けれど、あなたに対する想いは悟られてはいけない。私は揶揄うような笑みという仮面を被ることで、本心を封じ込める。
彼は無表情に私を見つめてくる。その冷めた瞳が封じ込めた本心を暴きそうで怖くなった。私は思わず目を逸らす。
「…………Love you」
沈黙にも等しい間を置いて、彼は愛の言葉を紡いだ。なんの感情も込められていない渇いた響きが哀しかった。
「なんで英語? というか、それを言うならI Love youじゃ?」
「I Love youだと俺が君を愛しているということになるじゃないか。だからIを外した」
「意地悪ね。ちょっと性格が悪いんじゃなくて?」
「これは心外だな。愛がないのに心にもない偽りの言葉を囁く方が、よほど酷いと思わないか?」
ああ、彼はなんて残酷で誠実な人なんだろう。
こんなにも側にいるのに、彼は誰よりも遠い存在なのだ。
それなのに私は、決して手の届かぬ者の愛を求めている──これほど惨めで滑稽なことが他にあるだろうか?
彼の愛の言葉に“I”が添えられる日は、永久に訪れることはない──その事実を噛みしめると、心にいくつもの亀裂が生じる音が聴こえたような気がした──
テーマ【Love you】
人は皆、私を不運だと哀れみの目で見るけれど、私は決してそうは思わない。
なぜなら、私は九死に一生を得る経験を何度も何度もしているからだ。
物心がつく頃から『これは死ぬ』と思う瞬間が度々あった。けれどその度に無事生還してきた。
これを奇跡的な幸運と呼ばず、なんと呼べばいい?
そう、繰り返し繰り返し死の淵に立たされてきた。
だから今回も死に直面しながらも、なんやかんやで助かるのだろうと確信があった。
それなのに、今回ばかりはそうではなかった。
私はこれまで、幸運を撚り合わせて作られた奇跡という名のロープに掴まることで、死の淵から救い上げられてきたようなものだ。
それがここにきて、撚り合わせられている繊維がぷつりぷつりと千切れていく感覚を覚える。
奇跡よ、もう一度起こってくれ──!
必死の祈りも虚しく、全ての繊維が解れた手応えがして、呆気なく死の淵に沈められた。
テーマ【奇跡をもう一度】
黄昏時と逢魔時の狭間に御用心。
彼岸と此岸の境が曖昧になる時間だから。
気をつけないと、人の姿をしたアヤカシに攫われてしまうよ。
テーマ【たそがれ】
人生は同じことの繰り返しで作られている。
きっと明日も、平凡で単調な日常が繰り返されるのだろう。
変わらない退屈な日常をぶっ壊す出来事が起こればいい。
……そんなことを呪詛するように願っていた罰が当たったのかもしれない。
私は車にはねられ、あっけなく死んでしまった──
と、思った。
気がつくとそこは病室……だったらどんなによかっただろう。
気がつけば私は牢獄に囚われていた。
これは一体どういうことだ?
無論、考えてもわかるはずがない。
もしや、死んだことで異世界転生でもしたというのか?
そんな馬鹿な……漫画じゃあるまいし。
牢獄は重たい静寂が取り巻いており、どうやら虜囚は私しかいないようであった。
このどうしようもない状況に途方に暮れている時であった。足音がこちらに近づいてくる気配を感じた。
さて、足音の主は私にとって敵になるのか、味方になるのか……。
考えるまでもなく、絶対に味方であってほしい。私は思いつく限りの神仏に全力で祈りを捧げる。
ただ、もし味方であっても、平凡で単調な日常は帰ってこないだろう。
きっと明日も……そんな風に考えていたことが、遥か昔のことのように感じられた。
テーマ【きっと明日も】
時刻は深夜と呼んで差し支えない時間帯になっていた。
「何も起こらないじゃないか……」
思わずこぼれた独り言が、静寂に包まれた部屋の中で虚しく空に溶けた。
先日、引っ越したばかりの友人宅で、夜毎怪現象が起こるというので、それを確かめるために見張り番をしている最中だ。
友人の話では22:00くらいになると窓を叩く音がするのだという。
ただしここはアパートの2階。そしてバルコニーはない。
つまり、誰かが外から窓をノックする──という可能性は限りなく低く、友人はそれを怪現象と捉え、怯えているというわけだ。
22:00はとうに過ぎているが、それらしい怪音はしないし、他に怪しい現象もない。
多分ノック音というのは、間抜けな甲虫かなんかが窓に激突して発せられるものなんだろうと考えている。
というのも、このアパートが建つ場所はかなり自然豊かだからだ。当然、そこを住処にしている虫はかなり多い。
怪現象など起こらないし起こる気配も感じられない。
部屋は深々とした静寂に包まれたままだ。
深夜ということもあって眠気を感じる。
馬鹿馬鹿しいと心で悪態をつき、照明を消そうとリモコンに手を伸ばした時であった。
押し入れから何やらごそごそと蠢くような音が聴こえてきた。
ネズミ……だろうか?
しかし音の感じから察するに、ネズミよりも大きなものが蠢いている気配がする。
正体を暴くべく押し入れの襖に手を伸ばすが、果たして開けてしまっても大丈夫なのか。
もしもその正体が変質者などであったら危険だ。
さすがに身の危険を感じ、この部屋から離れようと判断する。
玄関に向かおうと押し入れに背を向けた直後だ。
ゆっくりと押し入れの襖が開く音がした──
テーマ【静寂に包まれた部屋】