形の有るものと形の無いものとでは安堵感、信憑性が違ってくる。
それの本質に同等の価値があったとしても。だから私は、形の無いものを形の有るものにしたい。
だとしたら、私や君がそれを忘れてしまっても。形の有るものであれば、それを見ればまたその価値を感じられると思うから。
ずっとそう思っていたけれど、形の無いものだからこそ、その真価を発揮するのだと、君が教えてくれた。
だから、私は貴方と形の有るものも形の無いものもつくっていきたいと思えました。
ほんとはずっと前に気づいていたはずなのに。自分の気持ちに素直になれなくて。この気持ちの正体を知るのは木の葉が紅く染まる頃になってしまいました。
そう、気づいた時、秋風が急に冷たくなりました。でも、もう自分の気持ちに嘘を吐きたくありません。
芸術の秋。食欲の秋。読書の秋。スポーツの秋。少し肌寒くなる季節。貴方と共に感じたい。
この気持ちを伝えたら、もう引き返せなくなるかもしれないけれど。傷ついても、叶わなくても。あなたに伝えたい。
たった二文字が喉の奥を行き来していたけれど。今、あなたに届けます。
お洒落でスタイルも良くて、でも不器用で優しい彼。私と彼が交際を始めたのは二ヶ月前のこと。告白したのは私。正直、見切り発車だったけれど。彼が真っ赤になりながら承諾してくれた時は感極まったのを覚えている。
「あぁ、彼って直ぐスキンシップとるわよねぇ!そんな人の彼女なんて嫌にならない?」
大学の帰り道、派手な服装に厚い化粧をしている美人の女の人が私に話しかけてきた。表情や言葉遣いからして、悪意が混じっているのが感じ取れた。
彼…とは私の知っている彼と同一人物なのだろうか。
「彼、昔から女遊び激しかったのよ?知ってる?」
知っている。そのくらい。好きになった時、否、前から。噂で聞いたことがあった。
「…貴女みたいな貧相な身体してる地味な女のどこがよかったのかしら。彼も女を見る目がないのね。」
そう言われたとき、どきりとした。彼の隣に立った時、私は彼に釣り合っているのか。ずっと不安だった。否、今でも不安なのだ。その言葉に何も言い返せずにいると、女が声を荒らげる。
「何か言い返してみなさいよ!」
次の瞬間、ぱん、と乾いた音が鳴り響いた。はっとして顔を上げると私の前に見慣れた背中があった。
「あ…え?」
いちばん大好きで、いちばん会いたくない人。彼が彼女に平手打ちをしたのだ。
「おい、何やってんだ糞女。」
「え、ちょ、何して」
「だ、だって!此奴が貴方にはお似合いじゃないと思って…!」
「それが余計なお世話だって言ってんだよ。しかもお前、此奴のこと殴ろうとしただろ。正当防衛だかんな、ばーか」
なんで、この人の言葉で別れようと思ったのに、余計好きになっちゃうじゃない。
すると突然彼がこちらに振り返り、私を諭す。
「あ、泣いてんじゃねぇ!莫迦!俺が泣かせたみたいだろ!」
そう言うと、爽やかな香りがするハンカチで零れ落ちてきた私の涙を拭う。いつの間にか泣いていたようだ。そんな私に気を使ったのか、彼はカーディガンを脱いで、私の顔を隠すように優しく掛けた。
「ちょっと待ってろ、すぐ戻る。」
そうしてまた、私に背を向けた。
「あのなぁ、もうお前と関係切るって言っただろ。」
「だとしても!私が駄目であの子が良い理由が分からないわ!」
言い争いはどんどんヒートアップする。此処が誰もいない教室でよかった。
「お前みたいな糞女は分からなくていいんだよ。兎に角、俺には世界でいちばん愛しい女ができたんだ。お前みたいな都合のいい女じゃねぇ。お前は彼奴になれない。分かったら帰れ。」
「…もういいわよ!勝手にしなさい!」
ハイヒールの響く音が遠くなると、ふぅ、と息の吐く音が聞こえた。
「…大丈夫か?」
そう言って彼が覗き込んできた私の顔はまだ涙でぐっしょり濡れていた。なんだかとても悔しくて、彼にカーディガンを投げつけた。彼は何も悪くないのに。
「やっぱり、ふつりあいだよ。わたし。だって、貴方、女遊びはげしかったのに、そういうの、なれてるのに。わたしには全然手を出してこない。ほんとに、私の事すきなの?」
「当たり前だ、莫迦!」
そう言うと、私の身体を力任せに抱き寄せる。あ、暖かい。この体温もすきだなぁ。
「彼奴らみたいに簡単に手出せないんだよ!なんでか分かるか?」
突然のスキンシップにしどろもどろした私は首を横に振る。
「こんな、大事にしたいと思ったのはお前が初めてなんだよ、莫迦。」
『大切にしたい』という単語に私の胸が反応したのがわかった。あぁ、なんて単純なんだろう。わたしは。言葉は欺けるのに、確証はないのに。
「嘘だと思うなら確かめてみろよ、」
そう言うと、彼は私の手を掴み、彼の心の臓の部分に持っていく。どっ、どっ、どっ。想像よりかなり速いペースで動いていた。それは彼が私にどきどきしていることを表していて。涙が出るほど嬉しかった。
「ああっ!」
「わかったか、俺は抱擁だけで、こんな緊張してんだ。こんなの初めてなんだ。お前が。お前が初めて俺に大事にしたいなんて思わせたんだ。」
そう言うと、彼は私の額にキスをした。
私は知っている。貴女はどんな人よりも努力を惜しまず、今まで何事にも頑張ってきたことを。
私は知っている。貴女が美術部のいけめんの先輩が好いていることを。
私は知っている。美術部の某先輩が貴女を好いていることを。
私は知っている。貴女が私になんてその気持ちを向けて下さらないこと。私じゃ不充分だということ。
私は知っている。貴女を諦めなければならないことを。
私は知っている。知っているはずなのに。
「あ、あの、私古典が苦手で…貴方が古典の点数がいいって先生が仰っていたので、宜しければ古典、教えてくださいませんか?」
そう、君がはにかんで言ってきた時、どうしてか断れなかった。
「この単語は___」
「…」
私の説明を真面目な顔で聞き入る貴女。そうして、大事なところは綺麗な字でノートに書き込む。あぁ、そういうところ。
すると、ばっとノートから私に視線を移した貴女は私に向かってこう言うのだ。
「ありがとう!!!ほんとに教えるの上手いんだね!!また教えてくれる?」
向日葵みたいな笑顔で。その笑顔も彼のものなのでしょう?
あぁ、妬ましい。お願いだ、神様。仏様。今、彼女の頭の中に彼じゃなく、私がいる時間をどうか、少しでも長く、否、このまま時間を止めてはくれないか。
窓から地上を見下ろすと、暗く、重い黒に広く、薄く撒かれた光の粒が見える。
某会社の社長の息子である俺が唯一共にいきたい人を逢引に誘い、来たレストラン。極一般人の家系に生まれた君と御曹司の俺。立場が違いすぎてどこに行けば君が喜んでくれるのか分からなかった。
「そんなもの、これから知っていけばいいでしょう?」
そう、自信ありげに君が言ってくれて俺は安心した。
中々肝心の食事が届かなくて暇潰しになるかと思い、窓の下を見下ろすが、何度も会食で見慣れた光景がそこに広がっていただけだった。これを綺麗と思うこともなくなった。
「綺麗…!」
その言葉を聞いて、俺ははっとする。目の前に座っていた彼女から発せられたものだった。これを綺麗だと思える彼女が美しい。そんな事を思いながら彼女に悟られぬよう、彼女を見つめる。
あ。きれいだ。そう思った。何よりも。頬を紅潮させ、子どものように無邪気な表情を見せる。そうした君の瞳に映る、光の粒一つ一つが。星みたいで。儚くて。眩しくて。
見た事あるのに見た事なくて。俺は財力があって、なんでも手に入れてきた筈なのに。君は俺が知らないものをいっぱい持ってる。
また、君の瞳に映るそれがみたい。俺の全部をあげるから、君の全部もおれに頂戴。