『海の底』
「ねぇ、空ってなんで青いと思う?僕、分かったんだ。」
声変わりが始まって気持ち低くなったような、でもほとんどかすれ声の貴方が、出し抜けに尋ねてきた。
「えー、太陽の光がなんとかで〜って話じゃなかったっけ。」
貴方が求めている答えとは違うだろうと思ったけれど、私は一般的な回答を言う。
案の定、貴方は少し落胆したような顔をする。
貴方が心臓の当たりのシャツをギュッと握るのは、何か言いたいのに躊躇している時のクセ。
「で、何?なんで空は青いの。」
ぶっきらぼうな言い方になってしまったが、貴方にはこれくらい雑でも背中を押す1歩になる。
「……え、えっとね。」
掠れた声。
ジワジワと蝉の泣く声に、汗ばんだ額。
早く言ってくれないかなと僅かな苛立ちを覚えてしまう。
「もしかしたら、ここは海の底なんじゃないかって……そう、思っただけ。」
貴方はいつもトンチキな事を言ってくる。
でもそれは適当な出まかせではなくて、貴方なりに考えた結果なのは分かるから、私は学校のいじめっ子達みたいにバカにしたりはしない。
「なんで?なんでそう思ったの?」
ホッと貴方があからさまに脱力したのが分かった。
私がバカにしたり笑ったりすると思ったのだろうか、この幼なじみは。
何年経っても私のことを信じてくれないんだな、なんて無駄な感傷が一瞬頭を過ぎって心臓を焦がす。
「えっと、ほら、ここって凄く息苦しいじゃん?だからもしかして僕たちが理解していないだけで、ここが海の底で、空気が海水で、空が海面なんじゃないかって……ごめん、変なこと言った。」
ごめんね、貴方は私が何か言う前に先に予防線を張る。
そういうところに傷ついてるなんて、自分の傷に精一杯の貴方は気づきもしないのだろう。
「ううん、そう思ったんだったら奏太くん的にはそうなんじゃない?私は別にここを海だとは思わないけど。」
ウソ。
本当はちょっと納得してしまった。
だからこんなにこんなに呼吸が大変なのかって。
ただの比喩だって分かってるけれど、貴方がそういった時自分の吐息がボコボコと音を立てたように錯覚した。
「……そっか、ごめん、忘れて。」
「ううん、忘れないよ。なんで忘れなきゃいけないの?」
忘れるものか。
ここが海の底だとした時、腑に落ちることが多すぎたから。
私達は海面から上がることも出来なくて、ずっと苦しいままなんだ。
『君に会いたくて』
どうにかして、「運命の人」とやらに会ってみたいと思いました。
運命の人というのは、多分顔立ちが整っていて、私に優しい性格で、頭からつま先までの全てが私好みである、という意味だと思うのです。
私は森の奥にずっと引きこもっている魔女でした。
先代の魔女に拾われてこの森の中の家で育てられて、100年だか200年だか、分かりませんがとにかくそれくらい経ちました。
先代はとっくの昔に亡くなり、私も薬を卸に行くか魔女集会に行くしか外出する機会はありませんでした。
「……ヒマ、というやつかもしれない」
毎日同じような作業をし続けるのは楽しくはありましたが、同時に体が覚えてしまって、別のことを考える隙間になってしまっていました。
ヒマ。
このヒマをどうにか解消したくて、そういえば人間は群れで暮らすんだっけ、昔読んだ絵本に「運命の人」と幸せに暮らすって書いてあったなと思って、なら作ろうと決心しました。
うじゃうじゃいる人間の中から「運命の人」を見つけるのはとても難しいことだと思ったのです。
それなら、自分の裁量で作った方が簡単だと。
そう思ったのです。
20年ほど費やして、とうとう私の「運命の人」が完成しました。
顔立ちの整った、優しい性格の「人」です。
彼は私によく尽くしてくれました。
私がやりたくないなと思った仕事も、家事も、なんでもやってくれるのです。
甘いマスクの彼。
優しく働き者の彼。
とても穏やかな日々が続きました。
なんだか違うな、と思いました。
彼はなんでもしてくれます。
でも、なんというか単調で、穏やかすぎるのです。
彼を私好みに調整しすぎたせいで、彼には隙やちょっとしたギャップみたいなものが存在しなくなり、ただの道具に成り下がってしまいました。
私好みの顔で、私好みのセリフを吐く、完璧な都合のいい存在。
人間とは、もっと揺らぎのある存在ではなかったでしょうか。
ふとした時に見えるいつもと違う顔なんかに惚れ直す、と雑誌で読みましたから、そういうのを期待していましたが、彼はあくまでも完璧でした。
「間違えちゃったな、次はゆとりを作るか。」
次はなんだか上手くいく気がします。
実験は失敗してこそです。
初めの子は失敗してしまいましたが、少し改良すれば私の「運命の人」になってくれる気がします。
「運命の人に、早く会いたいなぁ」
『この世界は』
「なぁ、この世界はあまりにも窮屈じゃないか?」
いつだったか、貴方はそう言ってため息をついたわね。
「言葉を喋るにしても何にしても、俺たちは人間という枠、この地球に住む生命体という枠から逃れられないんだぜ?」
それを聞いた時、私、なんだか途方もない話を聞いたような気がして笑い飛ばしちゃった。
だってそうでもしないと、貴方、どこかに行ってしまいそうだったじゃない。
「なによそれ。貴方、そんな大口叩いたって、人間の体でやれること全部やり尽くした訳じゃないでしょうに!」
「そうだけどよ、でも……。なんていうかさ、ほら、ロマンがない。制限されてるってのはロマンが無いじゃないか。俺は何事も自由にやりたいんだ。」
大きく腕を広げて、キラキラとした目で語る貴方は少年のようで、馬ッ鹿みたい。
「自由って。貴方今不自由なの?」
「うぅん。そうじゃないんだ、そうじゃない。その質問は見当ハズレだ。俺は不自由じゃないんだが、ホントの意味で自由でもないってことさ。」
「まるで本当の自由を1度でも経験して来たかのような言い分ねぇ。貴方っていつもそう。貴方の身の回りのこともロクに知らないくせに、大きな世界のことばっかり喋って。今度の話題は『自由』なの?そんなこと四六時中考えてて、よく自分を見失わないわね。」
私の考えだって知らないくせに。
自由なんてもの考える前に、今日の晩ご飯のメニューくらい考えたらどうなの。
貴方のことだからどうせ、「なんでもいいよ」とか言うんでしょ、私は何作るか考えるの面倒だから貴方に聞いてるって想像つかないのかしら。
想像つかないのでしょうね、貴方には。
大きな夢ばかり見ていつまでも少年のような貴方には。
あぁホントにもう、この世界は全くもって私に優しくない!
『20歳』
はぁっ、ハアッ、ハッ。
自分の呼吸音がいやに耳についた。
「なんでだよ、なんでなんだよ……!」
夢に出てくるのはいつも18の俺。
春から大学に入ると無邪気に信じ込んでいた、滑稽な俺の夢だ。
昔から勉強は人より出来た方だった。
というか、素直なんだと思う。自分で言うとキモイけど。
言われたことを言われたようにやれば出来て、「なんでだろう」と思ったら図鑑なんかで調べて。
『歩くウィキペディア』なんてあだ名を頂戴したのは小学生の時。
中学も躓くことなく勉強が捗り、なんとなく「勉強って楽しいんだな」と思っていた。
そんな俺の天狗の鼻を、見事にへし折ったのが高校だった。
高校受験で受かったのは、この辺りで1番の偏差値のところ。
俺でも名前を聞いた事のある有名な社長とかOBがよく講演会に来たりする感じの、まあ意識高い系って感じ。
周りの人達は有名私立を蹴ってコッチに来たりとか、トリリンガルだとか、今まで地元の田舎の中学でブイブイ言わせていただけの俺では太刀打ちできない存在がゴロゴロといた。
「なぁ、お前志望校どこ?……お、やっぱ東大?俺も!そういや留学がさぁ……」
みたいな会話が1年生から聞こえてくるような場所で、俺は入学3日目で既に場違いさを感じていた。
そんな嫌な予感は的中して、俺は一気に落第に転がり落ちた。
先生方は「この学校の1番下でも、普通の高校だとトップだから」とか言って慰めてくれたが、そんなことを言われたって俺が1番下なのは変わらない。
クラスメイトも部活動に邁進したり、数学オリンピックで賞をとったり、休み時間に「漢文で詩を書いてみた!」とか言うやつもいて、何か特技がある訳でもない俺は疎外感がハンパじゃなかった。
部活も入ってみたけど、顧問のパワハラが酷くてすぐに辞めた。
そんな俺の居場所なんてなくて、中学の時に漠然と考えたていた高校デビューは夢のまた夢となった。
それから2年。
順調に試験で学年下位3分の1あたりをウロウロしていた俺は、これからの進路もよく分からないままだった。
周囲はみんな国公立に向けて勉強していて(田舎なので国公立信者が多いのだ)、就職どころか私立に行くのもご法度って感じ。
そんな熱に押されて、俺もなんとなく勉強してなんとなく模試を受けて、なんとなく皆が受けそうな大学を選んだ。
で、落ちた。
本命だけじゃなく、滑り止めの私立も全落ち。
ンだよ、私立は全部Fランってのはウワサだけなのかよ。
とまぁ責任転嫁をしつつ先生に「浪人しまぁす」と言って、親に頭下げて予備校代出してもらって、……また落ちた。
終わった。
俺はもう19、いや今年で20だ。
20歳!俺の漠然とした予定では大学2年になって、彼女の1人や2人いるはずだったのに!
就職もしていない暫定2浪の俺は、ただの穀潰し、親の子としても生きているのが申し訳ない。
死にたい。
なんかもう全て捨てて死にたい。
最近はそんな思いばかりやってくる。
眠れば悪夢ばかりだし、家での居場所もなくて、今までバイトの1つもしてこなかった俺は働き方が分からない。
俺はどうすれば良いのだろう。
そう思いながら、今日も図書館で参考書を広げるのだ。
『白い吐息』
「それでは、どうぞ。」
シーンと静まり返った神殿。
皆が固唾を飲んで私を、否私の口の前の空間を見守っている。
私は手に持ったタバコを呑み、ほんの少し煙を口の中で留まらせたあと、ふーっと吐いた。
「わあっ、白い!白いぞ!」
誰かがそう叫んだあと、私の目の前で座っていた人々が立って拍手をする。
「さすが心の純粋な方だ!吐く吐息まで真っ白!」
ある日、私は異世界……と言えばいいのだろうか。
平行世界に飛ばされた。
皆とは明らかに違う格好をしていたから、直ぐに自分が違うところから来たことはバレてしまった。
「聖者様だ。あれは聖者様なのでは?」
違う世界から来た人間が、この国の難を救った伝説があるらしく、私もその聖者の再来なのではないか。
そう噂された。
私は普通の人間で、聖者と呼ばれるような知識も、特技も何も持っていない人間だった。
だが物珍しさと少しの疑念から、私はあれよあれよという間に『試練』を受けることになった。
その試練が、儀式に使われるタバコを呑み、履いた煙の色を見る、というものだった。
色が白ければ白いほど純粋で、国難を救えるというお告げ。
意味がわからない。
吐いた煙の色に差があるとは思えなかったし、第一私の平凡な能力は私がよく知っている。
タバコの煙はどう足掻いても白いのだから、これは出来レースなのだろう。
聖者と祭り上げられて、操り人形のように権威を表す神輿になるのだ。
私は何度も逃げようとした。
権力を持つことにいいイメージは無かったから。
けれど結局逃げられず、儀式の日がやってきてしまった。
どうやら民衆は、吐いた煙の色が人格によって変わると本気で信じているようだった。
これは私を聖者と言いたい神殿の陰謀なのに、あっさり信じているなんて。
私はもう何にも期待できず、手に持った儀式用のタバコをクルリと回した。
タバコを唇の隙間にねじ込んで、息を吸う。
少し間を開けて、ギリギリまで吐き出したくなくて、でも出てきたのは案の定『白い吐息』だった。
ああ、私は担がれて、お飾りの『聖者』になるのだろうな。
拍手をしながら泣いて喜ぶ民衆がぼやけるような遠い目をした。