『タイムマシーン』
「母さんはなんでそんなシワとかシミだらけなんだよ!ババアだから友達に見せるの恥ずかしいよ……」
思春期、と世間で言われる時期に差し掛かった息子。
私の顔を見て、ウンザリした顔でそう言った。
とてもショックだった。
自分の顔を貶されたことよりも、息子が、私の大事な息子が、平然と人を傷つける言葉を吐くようになったことが何よりも辛かった。
貴方を育てるのにお金を使ってしまって、自分の美容に使う余裕が無かったのだと言っても貴方は納得しないのでしょう。
私が被害者ヅラをしている、とより嫌悪感を抱くだけなのでしょう。それか、そんなものは甘えだと言うのかもしれない。
ああ、貴方は若いのだ、息子よ。
貴方は若いから傷も直ぐに治るし、シワやシミのないハリのある肌なのだ。
貴方もいずれこうなる日がくる。
何十年か後、鏡で自分の顔を見た時、ヨボヨボの老人がそこには写っていることだろう。
そうして貴方は自分の生きてきた月日の長さを知る。
今の私と同じように傷つき、長かった人生を思い出し、過去の自分にスキンケアや体調管理をちゃんとしておくよう、タイムマシーンに乗って言いに行きたくなるのかもしれない。
けれど。
私にとってこのシワやシミは、誰がなんと言おうと大切なものなのだ。
「これはね、貴方を育ててきた証なのよ。貴方を産まずに、貴方を育てないまますぐに死んでいたら、こんなに老いることも無かったでしょう。この顔や手のシワは、貴方と共に生きてきた年月の長さなの。」
───大事な息子を、大切に育てるための等価交換に、私の人生が必要だったのよ。
『特別な夜』
人生は死ぬまでの暇つぶし。
そう言ったのは誰だったか、僕の平凡極まる人生はダラダラと続き、ああこのままなんとなく死んでいくのだろうなと思いながら生きている。
そも、『特別』という言葉は『普通』があるから成り立つんだよな、なんてくだらない言葉遊びでも考えるとするか。
僕にとっての『普通』は、仕事に行ってご飯を食べたり食べなかったりして、アパートで一人暮らしをすることだ。
そして僕にとっての『特別』は、それ以外のイレギュラーなこと全て、ということになる。
例えばデート。
なんとなく気になっている女性と仕事終わりに食事に行ったり、もしかしたらそのまま夜を過ごすことだってあるだろう。
眠れない夜だってあるかもしれない。
布団が薄くて寒くて寝れないとか、逆に暑すぎて寝れないとか。
色んな夜の過ごし方も、眠るという一般的に『普通』とされる行為から逸脱すれば、それは全て『特別な夜』ということになる。
でも。
と考える。
思い出すのは数年前、国外のきな臭い地域で仕事をしていた時のことだ。
僕が暮らしていた場所はその国の中心地で、比較的安全が保証されている地域だったのだが、それでも時々ミサイルが飛んでくることがあった。
いや、ミサイルなのかドローン攻撃なのかその他の攻撃手段なのかは、この平和ボケした日本生まれの僕には見分けがつかなかったが、まあつまり僕が駐在していた場所は紛争地域だった。
花火を少し鈍くしたような音が常に聞こえる場所で、僕は仕事をしていたのだ。
その地域で生まれ育った同僚に「初めは花火かと思ったよ。でも真昼に花火が上がるはずがないものな」と言うと、彼は「俺は映画で花火を見ると、真っ先にまたミサイルが飛んできたのかと身構えちまうよ」と言われた。
彼にとって、あのドーンという音は『普通』ミサイルなのだ、と思った時、僕は初めてカルチャーショックの洗礼を受けて、目が乾くまで瞬き1つ出来なかったのを覚えている。
あとこれは僕の無知から来た衝撃だったのだが、ミサイルは夜よりも昼にくる。
僕は闇夜に紛れて奇襲をしかけてくるイメージを持っていたのだが、昼の方がミサイルの白い煙が光って軌道が見えづらいので攻撃の成功確率が上がる、らしい。
こういうことも、日本なら軍事に詳しい人しか知らないのだろうなという『特別』感と共に、現地の人間なら『普通』であるというギャップが僕の前に壁のように立ちはだかったのだった。
結局大きな攻撃もないまま赴任は数年で終わり、それから僕はずっと日本にいるが、帰国してからしばらくはソワソワする日が続いた。
「今日ミサイルの音が聞こえないな」とか、「初めての場所なのに避難経路を確認する人がいないな」とか、今まで『普通』だと思っていた日本での暮らしが鈍感な人間達の集まりのように見える感覚がずっと消えないままで、逆カルチャーショックも経験したのだが、これも直ぐに立ち消え、元通りの『普通』になった。
『普通』も『特別』も環境依存の言葉なのだ、つまりは。
この平和な日本で『普通』に夜静かな眠りにつけることを有難く思いながら、今日も僕はダラダラと生き延びる。
『海の底』
「ねぇ、空ってなんで青いと思う?僕、分かったんだ。」
声変わりが始まって気持ち低くなったような、でもほとんどかすれ声の貴方が、出し抜けに尋ねてきた。
「えー、太陽の光がなんとかで〜って話じゃなかったっけ。」
貴方が求めている答えとは違うだろうと思ったけれど、私は一般的な回答を言う。
案の定、貴方は少し落胆したような顔をする。
貴方が心臓の当たりのシャツをギュッと握るのは、何か言いたいのに躊躇している時のクセ。
「で、何?なんで空は青いの。」
ぶっきらぼうな言い方になってしまったが、貴方にはこれくらい雑でも背中を押す1歩になる。
「……え、えっとね。」
掠れた声。
ジワジワと蝉の泣く声に、汗ばんだ額。
早く言ってくれないかなと僅かな苛立ちを覚えてしまう。
「もしかしたら、ここは海の底なんじゃないかって……そう、思っただけ。」
貴方はいつもトンチキな事を言ってくる。
でもそれは適当な出まかせではなくて、貴方なりに考えた結果なのは分かるから、私は学校のいじめっ子達みたいにバカにしたりはしない。
「なんで?なんでそう思ったの?」
ホッと貴方があからさまに脱力したのが分かった。
私がバカにしたり笑ったりすると思ったのだろうか、この幼なじみは。
何年経っても私のことを信じてくれないんだな、なんて無駄な感傷が一瞬頭を過ぎって心臓を焦がす。
「えっと、ほら、ここって凄く息苦しいじゃん?だからもしかして僕たちが理解していないだけで、ここが海の底で、空気が海水で、空が海面なんじゃないかって……ごめん、変なこと言った。」
ごめんね、貴方は私が何か言う前に先に予防線を張る。
そういうところに傷ついてるなんて、自分の傷に精一杯の貴方は気づきもしないのだろう。
「ううん、そう思ったんだったら奏太くん的にはそうなんじゃない?私は別にここを海だとは思わないけど。」
ウソ。
本当はちょっと納得してしまった。
だからこんなにこんなに呼吸が大変なのかって。
ただの比喩だって分かってるけれど、貴方がそういった時自分の吐息がボコボコと音を立てたように錯覚した。
「……そっか、ごめん、忘れて。」
「ううん、忘れないよ。なんで忘れなきゃいけないの?」
忘れるものか。
ここが海の底だとした時、腑に落ちることが多すぎたから。
私達は海面から上がることも出来なくて、ずっと苦しいままなんだ。
『君に会いたくて』
どうにかして、「運命の人」とやらに会ってみたいと思いました。
運命の人というのは、多分顔立ちが整っていて、私に優しい性格で、頭からつま先までの全てが私好みである、という意味だと思うのです。
私は森の奥にずっと引きこもっている魔女でした。
先代の魔女に拾われてこの森の中の家で育てられて、100年だか200年だか、分かりませんがとにかくそれくらい経ちました。
先代はとっくの昔に亡くなり、私も薬を卸に行くか魔女集会に行くしか外出する機会はありませんでした。
「……ヒマ、というやつかもしれない」
毎日同じような作業をし続けるのは楽しくはありましたが、同時に体が覚えてしまって、別のことを考える隙間になってしまっていました。
ヒマ。
このヒマをどうにか解消したくて、そういえば人間は群れで暮らすんだっけ、昔読んだ絵本に「運命の人」と幸せに暮らすって書いてあったなと思って、なら作ろうと決心しました。
うじゃうじゃいる人間の中から「運命の人」を見つけるのはとても難しいことだと思ったのです。
それなら、自分の裁量で作った方が簡単だと。
そう思ったのです。
20年ほど費やして、とうとう私の「運命の人」が完成しました。
顔立ちの整った、優しい性格の「人」です。
彼は私によく尽くしてくれました。
私がやりたくないなと思った仕事も、家事も、なんでもやってくれるのです。
甘いマスクの彼。
優しく働き者の彼。
とても穏やかな日々が続きました。
なんだか違うな、と思いました。
彼はなんでもしてくれます。
でも、なんというか単調で、穏やかすぎるのです。
彼を私好みに調整しすぎたせいで、彼には隙やちょっとしたギャップみたいなものが存在しなくなり、ただの道具に成り下がってしまいました。
私好みの顔で、私好みのセリフを吐く、完璧な都合のいい存在。
人間とは、もっと揺らぎのある存在ではなかったでしょうか。
ふとした時に見えるいつもと違う顔なんかに惚れ直す、と雑誌で読みましたから、そういうのを期待していましたが、彼はあくまでも完璧でした。
「間違えちゃったな、次はゆとりを作るか。」
次はなんだか上手くいく気がします。
実験は失敗してこそです。
初めの子は失敗してしまいましたが、少し改良すれば私の「運命の人」になってくれる気がします。
「運命の人に、早く会いたいなぁ」
『この世界は』
「なぁ、この世界はあまりにも窮屈じゃないか?」
いつだったか、貴方はそう言ってため息をついたわね。
「言葉を喋るにしても何にしても、俺たちは人間という枠、この地球に住む生命体という枠から逃れられないんだぜ?」
それを聞いた時、私、なんだか途方もない話を聞いたような気がして笑い飛ばしちゃった。
だってそうでもしないと、貴方、どこかに行ってしまいそうだったじゃない。
「なによそれ。貴方、そんな大口叩いたって、人間の体でやれること全部やり尽くした訳じゃないでしょうに!」
「そうだけどよ、でも……。なんていうかさ、ほら、ロマンがない。制限されてるってのはロマンが無いじゃないか。俺は何事も自由にやりたいんだ。」
大きく腕を広げて、キラキラとした目で語る貴方は少年のようで、馬ッ鹿みたい。
「自由って。貴方今不自由なの?」
「うぅん。そうじゃないんだ、そうじゃない。その質問は見当ハズレだ。俺は不自由じゃないんだが、ホントの意味で自由でもないってことさ。」
「まるで本当の自由を1度でも経験して来たかのような言い分ねぇ。貴方っていつもそう。貴方の身の回りのこともロクに知らないくせに、大きな世界のことばっかり喋って。今度の話題は『自由』なの?そんなこと四六時中考えてて、よく自分を見失わないわね。」
私の考えだって知らないくせに。
自由なんてもの考える前に、今日の晩ご飯のメニューくらい考えたらどうなの。
貴方のことだからどうせ、「なんでもいいよ」とか言うんでしょ、私は何作るか考えるの面倒だから貴方に聞いてるって想像つかないのかしら。
想像つかないのでしょうね、貴方には。
大きな夢ばかり見ていつまでも少年のような貴方には。
あぁホントにもう、この世界は全くもって私に優しくない!