『安らかな瞳』
バタバタ、と長くすんなりした足でもがいていたロルフ。
茶色い毛並みの美しいロルフは、しばらくしてもがくのを止め、僕をまっくろな瞳でジッと見てきた。
まっくろなのに、透き通るような瞳。
闇を湛えるのではなく、ひたすら純粋で、僕をそのまま写す鏡。
くろく長いまつ毛がパサパサと動き、ゆっくりとした瞬きは、野原を駆けている訳でもないのに生命力に溢れていた。
ロルフ、僕の3歳の誕生日にやってきたロルフ。
「まだ仔馬だが、既にとても賢い瞳をしている」と父が嬉しそうに買ってきたロルフ。
ああ、君は僕と一緒に育ってきたのに、僕を先に置いていってしまうんだね。
そんなに安らかな瞳を僕に残したまま。
『愛と平和』
「愛と平和」という言葉における愛は、隣人愛のことだと思っている。
汝隣人を愛せよ。
自分にして欲しいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません。
そう、隣人愛とはつまり、他者への無条件の気遣いであり、自分の周りの人々(家族・友人だけでなく電車で隣に座った人とか……)を否定しない、ということだ。
第二次世界大戦時、ナチスによる強制収容を受けたヴィクトール・フランクルは、強制収容所に入れられた人々の多くは、極限状態にあると逆に周りの人に親切になった、と書いている。
そうすることで、人々は今から死にゆく(であろう)自らの精神状態を安定させ、尊厳を持ったまま生き抜いた、と。
これほど有意義な人生の過ごし方は他にはあろうか。
この心を極限状態でない今の私たちも日々持ち、実践すれば、人生は愛に溢れた豊かなものになるだろう。
自らの生活に余裕がなくとも、他者にまでその余裕のなさを波及させるのは良いことではない。
むしろ、そういう時にこそ人々に親切にするべきだ。
それは偽善のためではなく、自らの尊厳のために。
隣人愛が沢山の人に広まれば、そして実践されれば、自ずと世界は平和になることだろう。
他者を気遣い、ただ認めることに争いは生まれないからだ。
汝、どんな時でも精神的な余裕を持て。
そして隣人を愛せよ。
これをキリスト教的な考えだと「否定」する時、貴方は隣人愛を実践出来ていないことに気づくだろう。
そして自ら人や物を愛さない限り、貴方もまた愛されないことを知るだろう。
受け身になるな、全ての解決方法は行動からである。
そして、隣人を愛するように汝自身を愛せよ。
『大好きな君に』
ある時から、君の顔を見る度にドキドキして、目が合わせられなくなって、頬が赤くなっている気がしてソワソワとするようになった。
これが恋という感情なのか!
君の周りはいつもキラキラと輝いているようで、君が笑顔なら僕も嬉しく、君が泣いていると僕も悲しかった。
君が喜ぶだろう行動をして、君が「ありがとう」って言ってくれるのが嬉しくてくすぐったくて。
こんなに純粋な感情の発露は久しぶりだった。
とても気持ちが良かったんだ。
でも、君の笑顔は僕だけのものではなかった。
当たり前だけれど、君は誰のものでも無いから。
好きな時に君は笑い、泣き、怒り、感動する。
どうしてだろう、君のくるくると変わる表情が好きなのに、君の輝く笑顔が好きなのに。
僕に向けられた笑顔でないなら必要無い、だなんて。
これは恋などでは無かった!
こんなに醜い感情が恋であるものか!
僕は愕然として、困惑して、怖くなった。
大好きな君が僕の醜さを感知するかもしれない可能性に。
君には汚れていない僕を見て欲しいんだ。
大好きな君の綺麗な瞳には、曇りのない僕を映して欲しい。
だから、恋というにはヘドロのようなこの気持ちは君に一生見せないと僕自身に誓ったんだ。
『小さな命』
ふと、白い布の陰翳の円さに目を向けた。
揺蕩うリネンの隙間から、白く柔らかな肢体が見え隠れしている。
スゥー、スゥー。
貴女の命が燃焼するための拍動が溢れないように、しっかりと布を掛ける。
何も纏わずに目を閉じる貴女は繭の中。
その成熟した肉体に反するように、つい、と貴女から小さな命が殻を破って現れた。
第二の生よ、生まれ出たものよ。
私の手を柔く握るものよ。
私に小さな拒絶を見せるものよ。
貴女の少しばかり遅い成長は、いずれ、球から大輪の花を咲かせるのでしょう。
『Love you』
朝起きた時、私に光が当たらないくらいの控えめさで、カーテンが引かれていました。
掛け布団が肩の上まで掛けられていたから、蹴飛ばした寒さで目覚めることも無くなりました。
階下から小さな鼻歌と、ジュージューと何かが焼ける音が聞こえてきます。
この香ばしい匂いは、昨日一緒に買ったバジルが入ったソーセージでしょうか。
値引きのシールを見て……いえ、見ずとも、ソーセージが好物だからカゴの中に入れたのでしょう。
なんて事ない顔をしてひょいとソーセージをカゴに入れた手つきがいつもより少しだけ丁寧で、呆れたと同時に笑ってしまいました。
ベッドから下りれば、綺麗に並べられたスリッパ。
トントンと階段を降りたそこは、眩いばかりの光に包まれた穏やかな日常でした。
窓枠の両端まで引かれたカーテン、テーブルにラップを被せたまま置いてある食事。
それらにニコリと微笑んだ後、キッチンで神妙な顔をしてソーセージと目玉焼きを焼いている後ろ姿にそっと忍び寄ります。
「……おはよ」
驚いたように振り向き、私の姿を認めて破顔する貴方。
「おはよう。もう出来るよ、ヤカン沸いてるからお湯使って」
「うんありがとう、コーヒー?」
「コーヒー」