夜の静かな薄暗い部屋で、男の子は一人手で影絵を作って遊んでいた。
廊下の先の部屋からは、両親の言い合う声が漏れている。
今日もそんな両親とはほとんど会話していない。
男の子と会話してくれるのは、この影絵だけだった。
「今日はどんなことがあった?」
狐の形をした影が男の子に問い掛けてくる。
男の子は嬉しそうに答える。
「今日は、ゴミ箱に紙があったから、それにお絵かきして遊んでたよ。あと、お昼に飲んだスープは味がちょっとついてて美味しかった! お母さんにそう言ったら『そう』って返してくれた!」
「そうか……楽しいか?」
「今日はいつもより……でも、いつもみんながいてくれるから、楽しいよ」
男の子がいろんな影を作り、それに語り掛ける。
狼の形を作ると、今度はその狼の影が尋ねてきた。
「両親は必要か?」
男の子が一瞬口ごもる。
そして、言いにくそうにゆっくりと口を開いた。
「わからないけど……いないといけないんでしょ? お母さんもお父さんも僕のこと嫌いかもしれないけど、ここに僕がいられるのはお母さんとお父さんがいてくれるからだって……」
「安心していい。もし、両親がいなくなっても、別の存在がちゃんと保護してくれるさ。むしろそっちの方が幸せになれるはずだ」
その言葉に、男の子が少し笑った。
「そうだったら、いいなぁ……『幸せ』っていうのに、なってみたいなぁ」
狼の形をした黒い影が、強く大きく揺らいだ。
『影絵』
「物語を終わらせに来た」
突然目の前に現れた少女が私に向かってそう告げた。
――何? 誰? 厨二病?
その少女をポカーンとした顔で見ていたが、気が付いた。
この子、とても見覚えがある。この子は、そうだ、私が書いた物語の主人公だ!
え、何? どういうこと? 夢?
「全然物語を完結させないで! こっちは何年待ったと思ってるの! もういい加減許せない!」
少女がこちらに迫ってくる。
捕まったらまずい? 最後まで無理矢理書かされるの? そもそも今どこで止まってたっけ?
「あなたを殺して、物語を終わらせる!」
ええええええええぇぇ!?
いやいや、それなら無理矢理にでも書いて終わらせるよ! というか、それじゃ、物語止まってる現状は変わらなくない!?
固まっている間に、彼女はもう目の前まで迫ってきていた。そして、武器である短剣を構えて振りかぶる。
「覚悟ォ!」
――――……はっ!
汗だくで目が覚めた。
夢……か。さすがにそうか。当たり前だ。
ゆっくり体を起こす。ふと、何かが手に当たった。
そこには、見覚えのある短剣が落ちていた。
もしかして、私と彼女の、新しい物語が始まってしまったのかもしれない。
……いや、そんな物語は始まらせない!
その前に彼女の物語を終わらせようと、慌てて私は机に向かった。
『物語の始まり』
電車が止まっている。
何も知らずに駅にやって来た私は、響くアナウンスと時刻表示の消えた発車標に、立ち尽くしてしまった。
終わりだ。全部。
急いでいるのに。何なら少し早めに出たのに。どうして。どうしたら。
静かに怒りが燃え上がる。
正直その辺にいる駅員を怒鳴りつけてやりたくなる。動かせ! と。駅員が悪くないのも知っているし、全く意味がないからやらないけど。
でも、許せない。どうして今日に限って。
今日は推しのライブ。やっと取れたチケットなのに。
溜め息が出る。悲しくて、悔しくて、涙が出そうになる。
諦めるのか? ここで。
いや、まだだ。
私の中の情熱は、まだ燃えている。
そう、電車が動かないのなら――走るぞ!
『静かな情熱』
「お…………い…………」
遠くから声がする。
「おー…………い…………」
誰かを呼んでいる?
気になって、耳を澄ませてみる。
「おー……た……い…………ん……」
ん?
「大型類人猿……」
「『大型類人猿』」
どういうこと?
「おー……………………い……」
次の声はもっと長かった。
再び耳を澄ませてみる。
「大型上陸支援艇」
「あの第二次世界大戦のアメリカの?」
もう意味がわからない。最初からわからない。
「おー…………………………い………………」
次の声は更に長かった。
また気になってしまうじゃないか。
「大型シノプティック・サーベイ望遠鏡」
「いや何だよそれ!」
誰がチリの天文台にある望遠鏡を知っているというんだ。
ていうか、何がしたいんだこの声は!
そしてそのうち声は聞こえなくなって、ただ謎だけが残ったのだった。
『遠くの声』
新年度が始まった。
新しい学年。新しいクラス。
「じゃあまずは一人一人自己紹介をしましょう」
新しいクラスでの、最初のHR。みんなの自己紹介が始まった。
出番がやって来るまでの時間を、春子はまるで処刑台に送られる囚人かのような気持ちで過ごしていた。
春子は自分の名前を名乗るのが嫌だった。今どき古臭い、最後に『子』のつく名前。周りからは『パルコ』と、まるでどこかのデパートみたいなあだ名で呼ばれていた。しかも苗字が『渋谷』の為、余計にデパートのようで。馬鹿にされている気持ちが強かった。
(春だったら、子がつくなら、せめて『桜子』とかさ。そっちの方がかわいいじゃん……)
溜め息を吐きながらみんなの自己紹介を聞く。
前の席の男の子の番になった。この次は春子の番だ。
「『佐倉 春樹』です。『サクラ』でも『ハルキ』でも好きに呼んでください! でもオススメは『パルキア』!」
男の子が元気よく名乗った。
『パルキア』……って、あれじゃん。ゲームの。
「パルキアー!」
「パルキア! またよろしくなー」
人気なのか、春樹はみんなからたくさんの歓声を受けていた。みんなに向かって手を挙げて、楽しそうに笑っている。
次の瞬間、目が合った。
春樹は、春子に向かって弾けるような笑顔を向けた。
その様子をぼうっと見ている間に、春子の番になった。
慌てて立ち上がる。
「えっと、『渋谷 春子』です。その……『パルコ』って呼ばれてます……」
思わず言っていた。いらないあだ名まで。
(なんであだ名まで名乗っちゃったんだろう……)
きっと、春樹につられたんだ。だって、あんなにいい笑顔で、ちょっと変なあだ名を名乗るから。
「パルコちゃーん!」
「パルキアと二人でパルパルコンビじゃん」
「決定! パルパルコンビ!」
周りが囃し立てる。
気付けば勝手に春樹とコンビにされていた。
「なんかごめんな? 俺の友達うるさくて」
着席すると、春樹が振り返り、申し訳なさそうに謝ってきた。
「いえ、そんなことは……っ!」
「悪い奴らじゃないんだ。コンビ扱いされて嫌かもしれないけど……せっかくだし、これからよろしく!」
その言葉に、その笑顔に、心に花が咲いたように感じた。
嫌いだったはずの名前も、初めてこの名前で良かったと思えた。
あなたと同じ『春』を持っていて、良かった。
「もちろん! よろしくね」
窓から暖かな風が吹き込む。
初めての春がやって来た。
『春恋』