もうしばらく外に出ていない。
ふと外を覗くと、窓越しに君の姿が見えた。君が手を振っている。
「出ておいでよ。いい天気だよ」
突然の君の訪問だった。
君が外から声を掛けてきた。
「でも、外に出ちゃいけないって言われてるから」
そう言うと、君は残念そうに頭を垂れた。
そして再び顔を上げ、澄んだ瞳でまっすぐこちらを見て言う。
「本当にだめなの? 外ってすごく楽しいんだよ。ちょっとでいいから、出てみようよ」
ごめんねと伝えても、なかなか諦めない君。
そんな君に僕の方が根負けした。
「そうだね。出てみないとわからないことが、いっぱいあるよね」
僕はその窓を開けた。
ずっと閉じ籠もっていた、静寂に包まれた部屋から、一歩踏み出す。
出てはいけないと言われていた外の世界が、目の前に広がっている。
どれだけ時が経っていたのだろう。久しぶりに触れる手に、心が躍る。無色だった世界に色がついていく。
「あっちまで行ってみようよ!」
「うん!」
繋いだ手に引かれて、ここではないどこかへ、君と一緒に歩き出す。
少なくとも、今少年達に見えているのは、美しく輝かしい未来だった。
少し進んで、少年は振り返った。目の前には、ずっと自分が暮らしてきた部屋がある。
なんだか一言別れを告げておきたくて、少年は口を開いた。
「ばいばい。またいつかどこかで会いましょう」
『窓越しに見えるのは』
放課後。オカルトやミステリーを研究する部活に入っていた彼は、部動をする為、部室へとやって来た。
いつものように扉を開けると、中から何か赤い物体が素早く飛び出してきた。
「うわっ!?」
その何かは開いた扉ををすり抜けて、そのままどこかへと行ってしまった。
「な、なんだ?」
「行っちゃいましたー」
「何だったんだ? 今の」
部室にいた後輩の女子に尋ねる。
「部活に来たらいたんです。謎の赤い生き物が。それで、私の指に何かを結びつけた後、丁度先輩が入って来て、入れ替わりに出て行った感じですね」
「指に何かを巻き付けたって――?」
見ると、指に赤い糸が巻き付けてある。そして、気付けば自分にも。
顔を上げて、目の前の後輩女子を再び見る。なぜか途端に彼女がかわいく思えてきた。いや、今までもかわいいと思っていたけど。
「あ、あの――」
「え?」
「先輩って……かっこいい、ですね……」
「えぇ!?」
彼女から初めてそんなことを言われた。
真っ赤になりながら、急いで返す。
「俺だって君のこと――」
「遅れてすまない」
ガララと大きな音を立てながら、扉を開けて部長が入って来た。
「……何かあったか?」
先輩男子は真っ赤になりながら固まった。
「なるほど。それは妖怪赤い糸結びだな」
こんな部活に所属しているせいか、この中で誰よりも不思議な状況に出くわしてきた部長は驚くこともなく、話を聞いてそう言った。
「妖怪赤い糸結び!?」
「適当なこと言ってないか!?」
「いやいやこれは本当のことだ。適当な年頃の男女の小指に赤い糸を巻き付けて去っていく。この赤い糸をつけられた二人は想いを寄せ合うようになる。その赤い糸を外す為には、二人が結ばれないといけない――だったかな?」
「結ばれる!?」
「つ、付き合うとか、そういうことか!?」
部長の言葉に二人が慌てる。
「結ばれるがどの程度のことを指しているかはわからないが――」
「でも、結ばれるしかないんですよね……」
後輩女子が恥じらいながらそんなことを言う。
「だ、ダメだ! その妖怪赤い糸結びとやらを探して、どうにかこれを解いてもらうぞ!」
先輩男子がそれを遮った。二人が驚いた顔で彼を見る。
「でも、君――」
部長は何かを言いかけて止め「そうだな」と微笑んだ。
「では、妖怪赤い糸結びを見つけるぞ!」
「おう!」
「はい!」
紆余曲折あり――。
三人はなんとか妖怪赤い糸結びを見つけることができた。
気付けばもう最終下校時刻である。
「もう帰る時間になってしまったし、この糸を外してもらうぞ。妖怪赤い糸結び」
「キキィ!」
真っ赤な毛玉に手足が生えたような姿をしたそれは、部長に捕まって鳴いている。もがくように身動ぎするが、部長は離さない。
「キキッ…………」
諦めたのか、悲しそうに項垂れると、二人の赤い糸を解く。
「――外れた!」
「もう悪さするんじゃないぞ」
二人が無事なのを確認し、赤い糸結びを離してやる。
住処なのか、赤い糸結びはトボトボと裏にある林の方へと向かって去っていく――。
「こんなことするのは、何か理由があるのか?」
部長がその後ろ姿に声を掛けた。
「キ……」
赤い糸結びは振り返った。
「キィ、キキィ。キイィ……」
「ふむ。なるほど」
部長が頷く。
他の二人にはキィキィという鳴き声にしか聞こえず、頭の上に「?」をいっぱい浮かべていた。
「部長、何言っているかわかるんですか?」
「いやまぁ、なんとなく? どうやら、この妖怪が大人と認められるには、この赤い糸で誰かを結ばせる必要があるようだ」
「なぜわかる」
部長はしばらく考えると、赤い糸結びに向かってこう言った。
「俺の小指に結ぶんだ」
「え!?」
「ぶ、部長!?」
「で、もう一本の赤い糸をおまえ自身に結ぶんだ」
「どういうこと!?」
赤い糸結びも戸惑っているようだ。
「つまり、俺とこの妖怪が結ばれれば解決だろう?」
「だ、だめです!」
後輩女子が慌てて止めようとする。
部長は気にせず笑っていた。
それを先輩男子はただ眺めていた。胸が少し痛む。
知っていた、彼女の気持ちを。だから自分達が結ばれる方向じゃなくて、赤い糸結びを見つけることでこの問題を解決したのだ。こんな形で結ばれたくない。きっと赤い糸が解けてしまったら、彼女はショックを受ける。結ばれるなら、ちゃんと好きになってもらいたいんだ。
「とにかく、俺と君に赤い糸を結ぶんだ」
赤い糸結びが部長に言われた通り実行する。
すると、部長の頬が赤く上気した。
「かわいいな。妖怪赤い糸結び――」
「部長……」
(なんか別に普段と変わらない気もするが)
オカルトやミステリー、そういったものが好きだからこそ、この部の部長をやっているのだろう。この様子はいつも通りとも言えた。
それでも後輩女子にとってみれば、この状況は悲しかった。
部長が赤い糸結びに軽く口付けをした。
すると赤い糸が溶けるように消えていく。なんだかそれが、とても幻想的だった。
「キィ! キィキィ!」
赤い糸結びが嬉しそうに鳴いた。
「さて、これにて一件落着。めでたしめでたしだな。――どうした? 大丈夫か、二人とも」
様子のおかしい二人に声を掛ける。
先輩男子も、後輩女子も、なんとも言えない複雑そうな表情をしていた。
「いや、大丈夫――」
「はい。大丈夫です……」
「あまりそうは見えないが」
(いつかちゃんと好きになってもらいたいな。ま、難しいだろうけど……)
(部長のく、唇がぁ……。いいなぁ……。私もいつか……)
二人の様子は少々心配だが、ともかく――
「これで事件解決だ!」
かくして、妖怪赤い糸結び事件は解決したのだった。
『赤い糸』
夏の空に立ち上った入道雲を眺める。
あまりに爽やかな青空と流れてくる熱風に、くらりと一瞬めまいがする。
眩しい。こんなに眩しかったっけ。
私がいつも感じている世界は暗かった。夏休みに入り、毎日過ごしていたあの狭い教室から出て、少しだけ違う日常を過ごしている。
今日は家族に頼まれて、外へと買い物に出てきた。誰かに会いたくなくて、急いで買い物を済ませる。
重い荷物を持って、熱されたコンクリートの道を進む。
日々のあの暗い世界が嘘かのように、世界は眩しく、そして、熱い。
正直家まで持つ気がしない。
途中でコンビニへ入り、アイスキャディーを購入した。
近くの公園に設置されている東屋に入り、今しがた購入したそれを口にする。冷たくて甘い。涼しげな風が一瞬吹き抜けた気がした。
早く帰らなきゃ。あまり人に会いたくないのに。
でも、ちょっと休憩。
青空には大きな入道雲。まるで綿菓子のような。いや、ふわふわなかき氷にも、ソフトクリームにも見える。
あらやだ。もしかしてお腹空いているかしら? 今まさに、アイスキャディーを食べているのに。
外に出れば、こんな世界が広がっていたのか。あの暗い教室から見ていた、いつもの風景と違う。
夏はまだ始まったばかりだ。
『入道雲』
芸術家の男が一人、キャンバスに向かってひたすら筆を向けていた。
そこへ突然、友人の男が飛び込んできた。
「夏だ――――っ! 海行こ!」
「待て待て待て。お前、家に鍵かけてたのにどうやって入ってきた」
「俺達の間柄に鍵なんて無意味」
「意味わからん! そんで、海行く準備万端だな!?」
男は大きな浮き輪を抱え、格好といえば、アロハシャツにハーフパンツ、ビーチサンダル、そして麦わら帽子を被っていた。
「海の王に俺はなる!」
「麦わら帽子で著作権やばくなりそうな発言やめろ! まだ行くって承諾してないし、承諾したところで予定合わせて後日行こうとかじゃないのか? 今すぐなのか!?」
「お前の冷めた心とは違って、俺のこの真夏の熱いパッションは止められない」
「そうだよ。冷えっ冷えだよ。それに、今作品展に向けて絵を描いてるから無理」
「部屋にばっか篭もってたらカビるぞ!」
「そんなことにならないようにちゃんと除湿してるから大丈夫だ」
「そうじゃなくてー! お前自身の心がカビちゃうだろー? 外行こう外!」
浮かれた男が乗り気でない男の腕を引っ張る。
「なんでお前はそんなアグレッシブなのにニートなんだ」
「俺の熱いパッションをこの社会に収めておくことはできないから」
「ちょっとかっこいいこと言ってないで働け」
思わず溜息を吐く。
どうせこいつは諦めないんだろうな。知ってる。なんだかんだで長い付き合いになる。腐れ縁というやつだ。こうしていつも無茶ぶりに付き合ってきた。
それでも、別にこいつのことが嫌いじゃない。むしろ好k」
「勝手なモノローグ付けるなー!」
「心の声を読んだだけだよ」
「あーもう。……しょうがない。今描いてるのがもう少ししたら出来上がるから、そしたら行ってやる。ちょっと待ってろ!」
「やった――――――――!!」
描き上がったその絵は、夏の青空が広がる爽やかな海の風景だった。
『夏』
「ここではないどこかへ行きたい」
部室にて。
突然そんなことを目の前に座る先輩が言い出した。
現在は夏休みの部活中。まぁ、活動らしい活動もいまいちできていないけど……。
「校外活動ってことですか?」
「それだ――――――――っ!!!!」
いや、これたぶん「どっか行きた~い」って適当に言っただけだな。そんな気がする。
しかし、私の一言で、先輩はいい案だとばかりに顧問の先生を言いくるめ、校外活動をすることになった。余計なことを言ってしまった。
「どこへ行くんですか」
「それは当日のお楽しみ~」
と言うわけで、それから数日後。私達は近くにある建物に集合していた。
「はい。ここは、脱出ゲームで遊べる施設です!」
「はい?」
校外活動が何をどうして脱出ゲームすることになった? どんな言いくるめ方をしたんだ??
「この施設全部が脱出ゲームの舞台になってるんだー。建物は四階建てで、上から始まって一階が出口です。ペアで挑んで一番早くクリアできたところが優勝! ペアは決めておきました。じゃあ行ってらっしゃい!」
先輩が一方的に捲し立て、私達を建物内に無理矢理詰め込む。
「こっちが口を挟む隙ナシ!」
「まぁ、とりあえず、行くしかないんじゃね?」
「~――……!」
いや、別にいいんだよ。暇してたもん。楽しそうだし。
でもね、問題は――いや問題でもないけど。嬉しいけど――勝手にペアを好きな人と組まされてるってことだよ!
「あいつが滅茶苦茶なのはいつものことだし。とにかく、行こうぜ」
「はい……」
ドキドキしながら君の後ろをついて歩く。
そんなわけで、この建物から脱出をすることになってしまった。
とりあえず私が考えていたことといえば、ここを出た後、あの勝手な先輩をどれだけしばいてやろうかということだった。
『ここではないどこか』