川柳えむ(サブ)

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2/28/2024, 10:32:48 PM

 会社へ向かう電車に揺られる。たくさんの人にぎゅうぎゅうと押し潰される。息苦しさを感じながら窓の外へと目をやる。流れる景色を見ながら「なんでこんなことをやっているんだろう」と、ふと思う。
 遠くの建物を見て、あれが何の為の建物なのか想像してみる。答えはわからないけど。
 あれは何だろう。近くで見てみたいな。それよりも、もっと遠くへ行ってみたい。この窓の外よりもっと向こうへ。もっと遠くへ。
 会社の最寄駅に着いても、このまま乗り続けていたとしたら、一体どこへ行けるんだろうか。そういえば、試してみたことはなかった。
 たまにネットで綺麗な風景写真を見ては、行ってみたいなぁなどと思ってみたりもするが、実際に行ったことはない。結局、一歩踏み出す勇気がないのだ。
 大人になって、自分で稼いで、行動範囲も広がって。行こうと思えばどこへでも行けるはずなのに。子供の頃の方がずっと自由にどこへだって行けた。その事実が、無性に悲しくなった。
 そして、決めた。
 気付けば会社の最寄駅。すぐさまスマホを操作し始めた。
 この間ネットで見たあの街へ、今度こそ行こう。次の休みに行こう。泊まりたいと思っていたホテルに泊まろう。
 自由って、踏み出してしまえば、こんなに簡単なものだったんだと気付いた。
 早速予約を終えると、軽くなった心で会社へ向かった。


『遠くの街へ』

2/27/2024, 10:49:06 PM

 いつものように朝を迎えて、出勤の為、アパートの部屋の扉を急いで開けた俺の目の前に、それはそれは美しい妖精が現れた。
 そんなことが現実に起き得るわけがない。もしかして未だ夢の中にいるのかと、頬を抓ってみたが……痛い。
 突然の出来事に、何が起こったか把握するまで五分ほど。阿呆のように妖精を見つめていると、妖精が口を開いた。
「いつもお仕事にお疲れのあなた。そんながんばっているあなたに、ご褒美として私の国へ連れていってあげましょう」
 次の瞬間、辺りが光に包まれ、気付けば見たこともない場所にいた。そこは色とりどりの花が咲き乱れ、この世の物とは思えない美しさだった。
 先程の妖精に導かれ、俺は美しい宮殿へとやって来た。
 宮殿では、食べたこともない変わった、けれども、頬が落ちそうになるくらい美味しい食事を食べさせて貰い、美しい妖精達の見事なダンスまで見せてもらった。
 ふと腕時計を見てみれば、あれから二時間以上も経っている。
「そろそろ帰らなければ。今日も仕事があるんです」
 妖精達は寂しそうな顔をして「もう少しだけ待ってください」と私に告げ、どこかへと行ってしまった。
 そのまま待つこと十分ほど。
「これは私達からのプレゼントです。どうぞ受け取ってください」
 浦島太郎であれば、この箱を開くと老人になってしまう。開けてしまって良いものか。五分ほど悩んでいたが、意を決してその箱を開いた。すると、この世界に来た時と同じように眩い光に包まれ、気付けば自分の部屋に戻ってきていた。
 急いで仕事に向かわなければ!
 家を飛び出し駅へと向かっていると、なんだか周りの視線が痛い。駅のトイレへ駆け込み鏡を見ると、なんと、私は王子様のようなタキシードを身に纏っていたのだった。
 もしかしてプレゼントというのは家に帰してくれることではなく、このタキシードのことだったのかこれが……そんなことを考えながら、慌てて家にとんぼ帰りをし、スーツに着替え、また駅に向かうのに三十分。
 ようやく、会社へと向かう電車に乗り込むことが出来たのだった……。

 ――とかいう出来事が、この三時間近い遅刻の言い訳にならねーかなー。なるわけねーよなー。現実逃避の単なる妄想だしなー。マジでこんな風に誰かご褒美くんねーかなー。
 知ってる知ってる。現実は甘くない。


『現実逃避』

2/26/2024, 10:37:26 PM

 君は今どうしているだろうか。
 美味しい物を食べている? 外を駆け回っている? ひなたぼっこをしながら眠っている? それとも――?
 そこはきっとお日様が近いだろうから、ひなたぼっこするには最適だろうな。駆け回るにはふわふわしていて、やりにくいのかも。
 君と離れてしまってもう随分と経つ。
 最初は夢に遊びに来てくれていたのに、もうすっかり姿を見せなくなってしまったね。
 もしかして、もうそっちにはいないのかな?
 だとしたら、またどこかで逢いたい。いつか新しい姿の君と出逢って、笑い合いたい。
 でも今は、君がどこでもいいから、幸せでいてくれるならそれでいい。それだけを願っている。


『君は今』

2/25/2024, 10:36:06 PM

「こんなに話が通じない人だとは思わなかった」
 彼女が俺を睨む。
 俺は何も言わずに彼女のことをじっと見つめる。
「あなたなんて嫌いよ!」
 カフェのテラス席から立ち上がると、彼女はバッグを持ってそのまま行ってしまった。
 しばらくぼーっとしてから、支払いを終えると、俺も立ち上がる。

 物憂げな空は何か言いたそうにこちらを見下ろしている。
 そんな表情で見られても。
 誰にだって一つや二つ、どうしたって譲れないものがある。だから、仕方ないのだ。
 今回のことは、俺も君も譲れなかった。ただそれだけのこと。
 わかっている。それは、きっと君も。別々の人間だからこそ、それぞれ存在していて、一緒にいられるのだから。

 そのうち空は音を立てて泣き出して、俺は近くの店の軒下に駆け込んだ。
「まだ帰ってこないつもり?」
 突然の声に顔を上げると、彼女が傘を差して立っていた。
 俺もその傘の中に入ると、二人で歩き出す。二人の家に向かって。
「でもたけのこは譲れないから」
「知ってる。俺もきのこは譲れない」
 春の雨は暖かく、まるで俺達を包み込むようだった。


『物憂げな空』

2/25/2024, 6:36:28 AM

 初めて会った君は私にしがみ付き、愛嬌を振りまいて「にゃー」と鳴いた。

 野良猫が子供を産んで里親を探していると、親戚伝いに聞いた。少し前に先代の猫を亡くしていて、縁があれば新しい子を迎えたいと丁度思っていたところだった。
 早速家族みんなで出向き、子猫達に会ってみる。
 どの子もかわいかったが、その中で一匹、まるで私を待っていたかのように飛び付いてきた猫がいた。
 その猫は私にしがみ付くと、愛嬌たっぷりに「にゃー」と鳴いた。
 もうその時点でその子しか考えられなかった。
 でも一度持ち帰って話し合おうと、その日は帰ることになった。
 その子は「にゃー!」とケージごしに大きな声で鳴いた。まるで「行かないで」と言っているようだった。

 次に出向いた時、当然その子を引き取った。
 我が家に着いたその子は、まるでこの家が元々自分のものだったかのように、家の物で遊び、疲れたらすぐ眠っていた。こんなに緊張も不安もない様子で家に来た猫は初めてだった。
 私は、この小さな命を、絶対大切にしようと。幸せにしようと心に固く誓った。

 そして現在。
「おまえなんか嫌いだー」
 何故かわからないけど急にブチギレモードに入った猫に引っかかれた。
 外に出さなかったから? 君が入っていた布団に横から入ろうとしたから? 単純に虫の居所が悪かっただけ?
 さっきまでスリスリと足に纏わり付いてきた猫と同一人物ならぬ同一猫物と同じとは到底思えないような見事な手のひら返しだよ!
 と思えば、また可愛い声で鳴いては擦り寄ってくる。なんだこいつ。
 膝の上に乗ってきたんですけど! 胸の上まで来たんですけど!
 なんだこいつ。くそっ。かっ……
「かわいー! うちの猫かわいー!!」

 こうしてこの小さな子に今日も振り回されている。しょうがないよね。
 結局この子が愛しくて何よりも大切なんです。


『小さな命』

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