「ねぇ、私のこと愛してる?」
彼女がそんなことを訊いてくる。
彼が頷くと、彼女は顔色一つ変えずに、
「じゃあ死んで」
と言った。
いつものことである。いつものやり取り。
彼女はこうして彼の愛を試すのだ。
いつもは彼も、
「そう言っても、俺が死んだら悲しむでしょ?」
「俺が死んだら誰が君を守るの」
そんなことを言っては彼女を宥めていたのだが、さすがの彼もそろそろ限界を感じていた。
「俺が死んだら満足する?」
そうして、広がる景色へと続く柵に手を掛けた。
「え?」
彼女は虚を衝かれたようで、明らかに動揺していた。
幸い、ここは廃アパートの屋上。何か事件が起きてもすぐさま騒動になるようなこともないだろう。
「冗談でしょ?」
彼女か尋ねる。
「冗談だと思う?」
彼が身を乗り出す。
「君はきっと、俺が本当に命を懸けない限り安心できないだろう? だから、見せてあげるよ。俺が本気で君を愛していることを」
そうして、そのまま向こう側へと飛び降りた。
体が叩きつけられる。
「……成功かな?」
そこには大きなマットが広げられていた。その中心に、彼の体はあった。
「大丈夫か?」
彼の友人が顔を覗き込んでくる。
「あ~……大丈夫。さすがにこれに懲りて死んでとか言わなくなるといいけど」
彼はそう言いながら起き上がった。
これは彼が計画したドッキリだった。
いつも愛を試してくる彼女にうんざりしていた彼は、じゃあ目の前で本当に死んで見せたらどうだろうか? そんなことを思ってしまった。
だからと言って、本気で死にたいわけじゃない。疲れて一瞬そんな考えも過りはしたが、自分が死んでしまっては元も子もない。
ではどうすればいい?
そうだ。ドッキリだ。近くに廃アパートがあった。そこの屋上から飛び降りてみせよう。ツテのある友人に頼んで、救助マットをこっそり手に入れた。これで準備万端。あとは彼女を連れ、目の前で飛び降りて見せるだけ。
これで少しは彼女の目が覚めるといいけど。
愛があれば何でもできるわけじゃない。愛していると言っても限度がある。
それでも俺は君を愛しているから、それをわかってほしい。そして君にも、俺を試さず信じて愛してほしい。
本当は、それだけだった。
隣で激しい衝撃音がした。
それが何なのか理解できるまで、短く長い時間を要した。
これはドッキリだったんだ。
俺が本当に死ぬフリをしたら、もうそんなこと言わなくなってくれるんじゃないかと。ただ、それだけだったんだ。
もし俺が本当に死んでしまっても、君まで死ぬ必要はなかった。心中が愛の証明になるわけでもないし。
だって、きっと愛って、そういうものじゃないだろう?
『愛があれば何でもできる?』
「後悔するなら、やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がいい」
この言葉を初めて聞いたのは、私が中学生の頃。
離任する先生が最後のお話で仰った言葉だ。
その先生と特に何か思い出があったわけではないけれど、当時の私に、その言葉はとても衝撃だった。
なんというか、とても――そう、とても腑に落ちたのだ。
考えてみれば当たり前のことである。やらなければきっとやらなかったことに後悔する。でも、やってしまえば、後悔するかもしれないけれど後悔しない可能性だってある。
そして、実際、やって後悔することは少なかった。結局、やるかやらないか迷っているのは、やる勇気が出ないからだ。あの時やらなかったのは、仕方がないことだったと納得する為に、ただやらない理由を探しているだけなのだ。一歩踏み出してしまえば、やって良かったに変わるのに。
だから私は、あの時から考えを変えて、なるべくやってから後悔するようにした。いや、なるべく後悔しない道を進むようにした。
それでもやっぱり後悔することもある。
その時は、そんなこともあるさ。と、後悔をなるべくすぐ手放すようにしている。反省したら、また次を始めよう。
『後悔』
気持ちの良い風が吹いている。
この風に身を任せて飛んでいけたら、どんな素敵な風景が待っているのだろうか。
――というようなことを考えていたら、見事その風に浚われた。
僕の体が情けない声を上げて空に舞い上げられる。
でも、高いところで見えた風景はとても美しかった。そのままその場所にいたら、絶対に見られない風景だった。
風が止んで、僕の体は少しずつ堕ちていく。
少しずつ近付いてくる地面は、僕が思っていたものとは違って、硬く、汚い地面だった。
知っている。これは、コンクリートだ。
僕は柔らかい地面の上に産まれたたんぽぽの綿毛だった。
そんな僕がコンクリートに辿り着いたらどうなってしまうんだ。僕らは土がないと生きられない。
――いや、聞いたことがある。コンクリートの間の亀裂から、植物が生えてくることがあると。そういうのを、ど根性○○と呼ぶと。それに、潰されたカエルがTシャツにへばり付いて生き残ることもあると。それもど根性○○と呼ぶと。
とにかく、根性さえあればどうとでも生きられるということだ。
僕の体がコンクリートに辿り着く。
「ど根性オォ――――!!」
こうして、僕はど根性たんぽぽになった。
僕の毎日見る景色はとても綺麗とは言えないが、僕はまた次へ命を繋いでいく。きっとその綿毛が、新しい風景を見てくれるはずだ。
『風に身をまかせ』
失われた時間は戻らない。
どうして――。
私が何をしたというのか。
下心はなかった。ただの親切心だった。
親切で助けた相手にお礼をと言われ、どうして断れようか。
しかしきっと、断るのが正しかったのだろう。
そんなつもりで助けたのではないと。ただ、助けたかったから助けた。それだけなんだと。
私は目先の欲に釣られたのだ。
そしてその結果がこれだ。
箱を開けると私は老人になっていた。何も分からぬまま。
助けた相手に、お礼と称して連れていかれた先で、贅沢を尽くした。
そして暫くして戻ってきてみれば、世の中は一変していた。時が随分と過ぎ去っていたのだ。
おかけで、家族ももう誰もいない。
絶望の中、去り際に開けないようにと渡された箱を開けると、私の若さまでも奪われてしまった。
もう何も無い。全てを失ってしまった。
失われた時間は戻らない。
どうしてこうなってしまったのか。
私はどうすれば良かったのだろうか。
『失われた時間』
大人になりたい。なんて思ったことはなかった。
大人になりたい。そういう話を子供がするって聞くけど、そんなことはなかった。私は小さい頃から大人になんてなりたくなかった。
仕事に追われ、何が楽しいのかもわからない。責任も持たなきゃいけない。そんな大人になりたくなかった。子供のままでいたかった。
そう思っても、時間は無慈悲に過ぎていく。
でも、大人になってわかった。大人は、大人じゃない。大きくなった子供だったよ。少なくとも自分は。
もしかしたら、子供という言い方は正しくないのかもしれない。だって、様々な経験を積んで、考え方も少しずつ変わってしまった。けれど、私は私のままだった。
きっと、子供とか大人とかじゃない。私は私のままだから。
『子供のままで』