川柳えむ

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5/16/2024, 10:53:08 PM

「ねぇ、私のこと愛してる?」

 彼女がそんなことを訊いてくる。
 彼が頷くと、彼女は顔色一つ変えずに、
「じゃあ死んで」
 と言った。

 いつものことである。いつものやり取り。
 彼女はこうして彼の愛を試すのだ。
 いつもは彼も、
「そう言っても、俺が死んだら悲しむでしょ?」
「俺が死んだら誰が君を守るの」
 そんなことを言っては彼女を宥めていたのだが、さすがの彼もそろそろ限界を感じていた。

「俺が死んだら満足する?」

 そうして、広がる景色へと続く柵に手を掛けた。
「え?」
 彼女は虚を衝かれたようで、明らかに動揺していた。
 幸い、ここは廃アパートの屋上。何か事件が起きてもすぐさま騒動になるようなこともないだろう。
「冗談でしょ?」
 彼女か尋ねる。
「冗談だと思う?」
 彼が身を乗り出す。
「君はきっと、俺が本当に命を懸けない限り安心できないだろう? だから、見せてあげるよ。俺が本気で君を愛していることを」
 そうして、そのまま向こう側へと飛び降りた。

 体が叩きつけられる。
「……成功かな?」
 そこには大きなマットが広げられていた。その中心に、彼の体はあった。
「大丈夫か?」
 彼の友人が顔を覗き込んでくる。
「あ~……大丈夫。さすがにこれに懲りて死んでとか言わなくなるといいけど」
 彼はそう言いながら起き上がった。

 これは彼が計画したドッキリだった。
 いつも愛を試してくる彼女にうんざりしていた彼は、じゃあ目の前で本当に死んで見せたらどうだろうか? そんなことを思ってしまった。
 だからと言って、本気で死にたいわけじゃない。疲れて一瞬そんな考えも過りはしたが、自分が死んでしまっては元も子もない。
 ではどうすればいい?
 そうだ。ドッキリだ。近くに廃アパートがあった。そこの屋上から飛び降りてみせよう。ツテのある友人に頼んで、救助マットをこっそり手に入れた。これで準備万端。あとは彼女を連れ、目の前で飛び降りて見せるだけ。
 これで少しは彼女の目が覚めるといいけど。

 愛があれば何でもできるわけじゃない。愛していると言っても限度がある。
 それでも俺は君を愛しているから、それをわかってほしい。そして君にも、俺を試さず信じて愛してほしい。
 本当は、それだけだった。

 隣で激しい衝撃音がした。
 それが何なのか理解できるまで、短く長い時間を要した。

 これはドッキリだったんだ。
 俺が本当に死ぬフリをしたら、もうそんなこと言わなくなってくれるんじゃないかと。ただ、それだけだったんだ。
 もし俺が本当に死んでしまっても、君まで死ぬ必要はなかった。心中が愛の証明になるわけでもないし。
 だって、きっと愛って、そういうものじゃないだろう?


『愛があれば何でもできる?』

5/15/2024, 1:28:29 PM

「後悔するなら、やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がいい」

 この言葉を初めて聞いたのは、私が中学生の頃。
 離任する先生が最後のお話で仰った言葉だ。
 その先生と特に何か思い出があったわけではないけれど、当時の私に、その言葉はとても衝撃だった。
 なんというか、とても――そう、とても腑に落ちたのだ。
 考えてみれば当たり前のことである。やらなければきっとやらなかったことに後悔する。でも、やってしまえば、後悔するかもしれないけれど後悔しない可能性だってある。
 そして、実際、やって後悔することは少なかった。結局、やるかやらないか迷っているのは、やる勇気が出ないからだ。あの時やらなかったのは、仕方がないことだったと納得する為に、ただやらない理由を探しているだけなのだ。一歩踏み出してしまえば、やって良かったに変わるのに。
 だから私は、あの時から考えを変えて、なるべくやってから後悔するようにした。いや、なるべく後悔しない道を進むようにした。
 それでもやっぱり後悔することもある。
 その時は、そんなこともあるさ。と、後悔をなるべくすぐ手放すようにしている。反省したら、また次を始めよう。


『後悔』

5/14/2024, 10:39:29 PM

 気持ちの良い風が吹いている。
 この風に身を任せて飛んでいけたら、どんな素敵な風景が待っているのだろうか。

 ――というようなことを考えていたら、見事その風に浚われた。
 僕の体が情けない声を上げて空に舞い上げられる。
 でも、高いところで見えた風景はとても美しかった。そのままその場所にいたら、絶対に見られない風景だった。
 風が止んで、僕の体は少しずつ堕ちていく。
 少しずつ近付いてくる地面は、僕が思っていたものとは違って、硬く、汚い地面だった。

 知っている。これは、コンクリートだ。
 僕は柔らかい地面の上に産まれたたんぽぽの綿毛だった。
 そんな僕がコンクリートに辿り着いたらどうなってしまうんだ。僕らは土がないと生きられない。
 ――いや、聞いたことがある。コンクリートの間の亀裂から、植物が生えてくることがあると。そういうのを、ど根性○○と呼ぶと。それに、潰されたカエルがTシャツにへばり付いて生き残ることもあると。それもど根性○○と呼ぶと。
 とにかく、根性さえあればどうとでも生きられるということだ。

 僕の体がコンクリートに辿り着く。
「ど根性オォ――――!!」
 こうして、僕はど根性たんぽぽになった。
 僕の毎日見る景色はとても綺麗とは言えないが、僕はまた次へ命を繋いでいく。きっとその綿毛が、新しい風景を見てくれるはずだ。


『風に身をまかせ』

5/13/2024, 10:37:37 PM

 失われた時間は戻らない。

 どうして――。
 私が何をしたというのか。
 下心はなかった。ただの親切心だった。
 親切で助けた相手にお礼をと言われ、どうして断れようか。
 しかしきっと、断るのが正しかったのだろう。
 そんなつもりで助けたのではないと。ただ、助けたかったから助けた。それだけなんだと。
 私は目先の欲に釣られたのだ。
 そしてその結果がこれだ。

 箱を開けると私は老人になっていた。何も分からぬまま。

 助けた相手に、お礼と称して連れていかれた先で、贅沢を尽くした。
 そして暫くして戻ってきてみれば、世の中は一変していた。時が随分と過ぎ去っていたのだ。
 おかけで、家族ももう誰もいない。
 絶望の中、去り際に開けないようにと渡された箱を開けると、私の若さまでも奪われてしまった。
 もう何も無い。全てを失ってしまった。
 失われた時間は戻らない。
 どうしてこうなってしまったのか。
 私はどうすれば良かったのだろうか。


『失われた時間』

5/12/2024, 10:32:55 PM

 大人になりたい。なんて思ったことはなかった。
 大人になりたい。そういう話を子供がするって聞くけど、そんなことはなかった。私は小さい頃から大人になんてなりたくなかった。
 仕事に追われ、何が楽しいのかもわからない。責任も持たなきゃいけない。そんな大人になりたくなかった。子供のままでいたかった。
 そう思っても、時間は無慈悲に過ぎていく。
 でも、大人になってわかった。大人は、大人じゃない。大きくなった子供だったよ。少なくとも自分は。
 もしかしたら、子供という言い方は正しくないのかもしれない。だって、様々な経験を積んで、考え方も少しずつ変わってしまった。けれど、私は私のままだった。
 きっと、子供とか大人とかじゃない。私は私のままだから。


『子供のままで』

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