川柳えむ

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2/25/2024, 10:36:06 PM

「こんなに話が通じない人だとは思わなかった」
 彼女が俺を睨む。
 俺は何も言わずに彼女のことをじっと見つめる。
「あなたなんて嫌いよ!」
 カフェのテラス席から立ち上がると、彼女はバッグを持ってそのまま行ってしまった。
 しばらくぼーっとしてから、支払いを終えると、俺も立ち上がる。

 物憂げな空は何か言いたそうにこちらを見下ろしている。
 そんな表情で見られても。
 誰にだって一つや二つ、どうしたって譲れないものがある。だから、仕方ないのだ。
 今回のことは、俺も君も譲れなかった。ただそれだけのこと。
 わかっている。それは、きっと君も。別々の人間だからこそ、それぞれ存在していて、一緒にいられるのだから。

 そのうち空は音を立てて泣き出して、俺は近くの店の軒下に駆け込んだ。
「まだ帰ってこないつもり?」
 突然の声に顔を上げると、彼女が傘を差して立っていた。
 俺もその傘の中に入ると、二人で歩き出す。二人の家に向かって。
「でもたけのこは譲れないから」
「知ってる。俺もきのこは譲れない」
 春の雨は暖かく、まるで俺達を包み込むようだった。


『物憂げな空』

2/25/2024, 6:36:28 AM

 初めて会った君は私にしがみ付き、愛嬌を振りまいて「にゃー」と鳴いた。

 野良猫が子供を産んで里親を探していると、親戚伝いに聞いた。少し前に先代の猫を亡くしていて、縁があれば新しい子を迎えたいと丁度思っていたところだった。
 早速家族みんなで出向き、子猫達に会ってみる。
 どの子もかわいかったが、その中で一匹、まるで私を待っていたかのように飛び付いてきた猫がいた。
 その猫は私にしがみ付くと、愛嬌たっぷりに「にゃー」と鳴いた。
 もうその時点でその子しか考えられなかった。
 でも一度持ち帰って話し合おうと、その日は帰ることになった。
 その子は「にゃー!」とケージごしに大きな声で鳴いた。まるで「行かないで」と言っているようだった。

 次に出向いた時、当然その子を引き取った。
 我が家に着いたその子は、まるでこの家が元々自分のものだったかのように、家の物で遊び、疲れたらすぐ眠っていた。こんなに緊張も不安もない様子で家に来た猫は初めてだった。
 私は、この小さな命を、絶対大切にしようと。幸せにしようと心に固く誓った。

 そして現在。
「おまえなんか嫌いだー」
 何故かわからないけど急にブチギレモードに入った猫に引っかかれた。
 外に出さなかったから? 君が入っていた布団に横から入ろうとしたから? 単純に虫の居所が悪かっただけ?
 さっきまでスリスリと足に纏わり付いてきた猫と同一人物ならぬ同一猫物と同じとは到底思えないような見事な手のひら返しだよ!
 と思えば、また可愛い声で鳴いては擦り寄ってくる。なんだこいつ。
 膝の上に乗ってきたんですけど! 胸の上まで来たんですけど!
 なんだこいつ。くそっ。かっ……
「かわいー! うちの猫かわいー!!」

 こうしてこの小さな子に今日も振り回されている。しょうがないよね。
 結局この子が愛しくて何よりも大切なんです。


『小さな命』

2/24/2024, 5:11:17 AM

 あなたは世界を愛していた。人を愛していた。
 自分を犠牲にしても誰かの為にできることをする。
 本人曰く、みんなが喜んでくれることが自分の喜びだと。一度、無理をしないよう言ってみたが、無理なんてしていないと。それに、誰かの為じゃなく、自分がしたいからしているだけだと、心からそう言っていた。
 そんなあなたが死んでしまった。悪い人間の餌食にされて。ずっと心配だった。あなただけが損をして、酷い目に遭いやしないかと。そして、それが現実になってしまった。
 あなたは世界を愛していたけど、私はあなたが犠牲になる世界が嫌いだった。この世界を滅ぼしたいとすら思っていた。

 あなたが夢に出てきた。
 いつも通りに笑っていた。いつも通りに笑って、いつも通りに誰かを助けていた。
 わかっていた。
 あなたはきっと自分の選択を後悔していないことを。そして、私がこの世界を恨むのを望まないことも。

 あなたは世界を愛していた。
 だから、私は愛するあなたが愛していた世界を愛することに決めた。


『Love you』

2/23/2024, 3:05:44 AM

 あなたに憧れていた。みんなの中心で輝く、まるで太陽のようなあなたに。
 あなたは所謂陽キャ。明るくて面白い、それでいて誰にでも親切。対して私は陰キャ。クラスの隅にいるような、小さく縮こまって、周りに怯えている人間だ。
 あなたは太陽だから、遠くから見ているだけでいい。それだけで良かった。

 何を間違えてしまったのか。
 たまたま二人きりになった教室。その時も親切にしてもらえた私は、思わず言ってしまったんだ。「好き」と。
 元から手に入るなんて思っていなかった。太陽は空高く、みんなを平等に照らしているものだから。
 あなたはにっこりと笑った。

 忘れていた。
 太陽に近付き過ぎてはいけない、蝋で固めた翼が溶けて落ちてしまうから。そんな神話があったということ。
 憧れは憧れのままでいた方がいいこともあるって、今までの経験からも知っていたのに。


『太陽のような』

2/22/2024, 9:48:22 AM

 この世界は数年前まで魔王の影に怯えていた。世界征服を企む魔王は、その凶悪な能力を持って、人間を恐怖のどん底に落としていた。
 そう。数年前まで、この世界に勇者が現れ魔王を倒すまでは。
 勇者一行は魔王を討ち、世界には平和が訪れた。
 人々は勇者に感謝した。人々は幸せだった。きっと、この世界が平和になって、勇者達も幸せだと思っていた。
 人々は勇者達が多大な犠牲を払っていたことを知らなかった。

 どこを見るでもなく、外をただぼんやりと眺めていた。
「今日は道具屋の材料集めだよー!」
 泊まっている宿の部屋に、一人の女が元気良く入ってくる。そして、ぼんやりしている男を見て、小さく溜め息を吐いた。
「もうすぐ出発するよ。準備してね」
 彼女はそう一言だけ告げると、パタンと小さな音を立て、部屋から出て行った。
 彼は特に反応しなかったが、聞いていたようで、仲間数人で材料集めへ出掛けていった。

 戻ってくると、もう夕方だ。
 町の広場から音楽が流れてくる。たまに訪れる吟遊詩人の歌声だ。
 この町に滞在して数日。何度かその様子は目撃していた。ただ、今日はいつもと違った。この声に、聞き覚えがあった。

 彼等は走り出した。
 広場に佇む吟遊詩人。それは、よく見知った人だった。
「死んだかと思ってた……」
 彼が、吟遊詩人の姿をした女に向かって、絞り出したような声で言う。
(今まで何してたんだよ)
(会いたかった)
(生きてて良かった)
 言いたいことはまだたくさんあったが、ただ一言だけ。
「おかえり」
 仲間達みんなが、手を差し出して彼女に向かって笑い掛けた。

「――誰ですか?」
 吟遊詩人が言う。
 その言葉に、まるで雷にでも撃たれたかのような衝撃を受けた。
 彼女は、全ての記憶を失っていた。

 彼女を連れて宿へとやって来た。
 出会ってから今まであった出来事――自分達は魔王を倒した勇者一行で、女がその仲間だったこと。そして、その際に死んだと思われていたこと――たくさんの思い出を彼女に話した。しかし、とうとう記憶を取り戻すことはなかった。
「なんで」「どうして」そんな疑問ばかりが仲間達の胸中に渦巻く。
「今日はもう寝よう」
 話を切り上げ、それぞれが床に就いた。それぞれの想いを胸に。

 翌朝。
「おはようございます」
 聞き慣れない敬語で、食堂で会った彼女は彼に挨拶をした。
「おはよう……」
 どう接していいかわからず、お互いに口数が少なくなる。
「あの……」
 彼女がゆっくりと口を開いた。
「……よければ、私も旅に連れて行ってくれませんか」
 どうして急にその考えに至ったのかわからず、面食らう。
「だって、もしそれが本当に私だったら、きっと大切にしてもらってたんだろうと思って。それに……純粋に楽しそうだなって!」
 彼女が笑う。
 その顔が、よく知った笑顔で、彼もつられて笑ってしまった。
「あぁ、もちろん」

 覚えていないのなら、また最初から始めてればいい。元々知らない者同士で始まった物語なのだから。
 0からでも、きっと楽しい旅になるって、もうわかっていた。


『0からの』

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