にえ

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4/4/2024, 3:09:53 PM

お題『それでいい』

 朝、屋敷の窓という窓を開けることから俺の一日は始まる。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込めば、ほんのりと薔薇の香りがした。眼下ではアモンが薔薇の手入れをしている。
 2階の廊下の窓を開けるために主様の寝室のドアをノックした。相変わらずお寝坊をしているようだ。
「さあ、空気の入れ替えをしますよ」
 そう声をかけて部屋に入れば、フェネスは主様の布団に突っ伏して寝ていた。飛び起きたフェネスの顔には布団皺と、口の端に涎の跡が。どうやら昨夜も主様の寝かしつけをしていてそのまま一緒に眠ってしまったようだ。
「は、ハウレス、おはよう……つい眠ってた」
「よく寝ていたみたいだな、フェネス。起きたついでに主様を起こして差し上げてくれないか?」
 顔を真っ赤に染めて己の行動を恥じているフェネスだったが、俺はそれでいいと思った。主様はまだ10歳だ。ひとりで眠るのは寂しいだろう。
 妹のトリシアが同じくらいの年頃だったとき、身を寄せ合い、寒さを凌ぎながら微睡んだのを思い出した。

1/9/2024, 2:04:48 PM

お題『三日月』

 主様、4歳の頃のこと。

 その日はやたらと庭に出たがるので日焼け止めクリームを塗って差し上げれば、ぴょんぴょんぴょん、と裏庭に駆けていく。アモンがいて、お手伝いをしたい、主様にそんなことさせられないっす! という攻防戦をきっと繰り広げることだろう。

 近頃の主様は、誰かのお手伝いをしたいお年頃らしい。昨日はナックの隣で主様専用帳簿を作ってもらい、数字を書く手伝いをしていた。その前の日はルカスさんのところで口に入っても安全な染料で着色した水を使い、化学変化について手伝っていらっしゃった。

 さてさて、アモンのところでは何をお手伝いしているのだろうか。

 様子を伺いに俺もそっと裏庭に行ってみた。
 てっきりジョウロに汲んだ水を薔薇にあげているのかと思っていたら、どうやら違うらしい。地面に敷かれたストールの上にぺたんと座った主様はアモンとムーの3人で額を突き合わせて何やら手を動かしている。
「主様、何をなさっているのですか?」
「フェネスにプレゼント」
「え! 俺に……ですか?」
 そこでようやく俺の存在に気づいたらしい。
 おそらくは作業に夢中でついうっかり口から言葉がこぼれ落ちたのだろう。みるみるうちに目に涙を溜めて、それがまた悔しかったらしく袖でゴシゴシ擦った。
「あーあ、主様。そんなに擦ると顔が土まみれになってせっかくの美人が台無しっすよ。それに……」
 アモンはそう言うとじっとりとした視線を寄越して、ヘラっと笑う。
「あ、主様、俺なんかにプレゼントだなんて、そんな……でも嬉しいです。それで、そのプレゼントとは……?」
「っく、ひっく、アモンのおてつだいでつくった、はなかんむり。フェネスに似合うといいなって」
 そうか。アモンがよく花冠を作っては主様や他の執事たちに配り歩いているから、その手伝いをしようと思ったのか……。
「さぁ、主様。あとは端と端を繋げれば完成でよ……ほら、できました」
 ムーの手作業を観察しながら最後まで作り終えた花冠は、花びらもかなり落ちているしフレームも歪だ。
「主様、こんなに素敵なプレゼントを、俺なんかがいただいていいのでしょうか?」
 主様は何やら少し考えて、花冠と俺を見比べた。それから俺にしゃがむようにおっしゃると、それを俺の頭に乗せてくださる。
「俺に……似合いますか?」
 それからさらに少し考えて、
「こんどはもっとじょうずにつくるから、まってて」
とおっしゃったが、ムーとアモンは、
「主様! 初めてなのにすごいですよ」
「またいつでもお手伝いに来てくださいね。俺は大歓迎っすから」
口々にそう言っている。
「俺にはこれも十分過ぎるほどもったいないのに……えぇ、次も楽しみに待っています」
 俺の言葉に、主様はニコニコと笑い始めた。そう、まるで闇の中に降った雨空に浮かんだ三日月のように。

 俺はその日一日を主様からのプレゼントの花冠をつけて過ごし、その後はそれをドライフラワーにした。

1/3/2024, 2:40:28 PM

お題【日の出】

「日の出が見たい、ですか」
 幼い主にそう言われて、ハウレスは困惑した。話をよくよく聞けば『フェネスが意地悪をして日の出を見るのは駄目だと言った』ということなのだけれど。
「主様、フェネスはおそらく遅くまで起きていて生活のリズムが狂うことはよくないと思ったからではないでしょうか」
 しかしそんなことを素直に聞き入れるほどできた4歳児ではなかった。どうしても見たいと床を転げ回って駄々を捏ねる主に、ハウレスはこめかみを押さえた。
 トリシアが4歳のときはどうだっただろう? そもそも日の出に興味など持っただろうか? それさえもあやふやだ。
 主が泣き喚いていると、そこにフェネスが戻ってくる。シルバートレイの上には主の好物であるアッサムのミルクティー、そしてラズベリージャムをたっぷりとあしらった白い物体が乗っていた。
「主様、おやつはミルクティーとお餅ですよ」
 おもち、という単語に、主はバタつかせていた手足の動きを止めた。
「早く召し上がらないと固くなります」
 フェネスがテーブルにセッティングをしていると泣き腫らした目を擦りながら起き上がった。

「おい、フェネス」
 部屋の片隅にフェネスをごく小声で呼んだハウレスが、なぜ主がそこまで日の出にこだわっているのかを訊ねた。
「前の主様の世界には『初日の出を拝むとその一年が良い年になる』という言い伝えがあるらしいって、読み聞かせていた本に書いてあったんだ。それで興味を持ったらしいんだけど……主様がそんな時間まで起きているのがそもそも無理だし、それに風邪をひいてしまったら大変だからね。だから変に期待を持たせるよりもいいかなって」
 なるほどと、ハウレスは納得した。それにしてもフェネスにしては手厳しい気がする。
「お前がそこまでムキになるのも珍しいな」
「え……そうかな」
「いや、気のせいだったらすまない。
 主様、それでは俺はここで」
 ハウレスはムニョーンと餅を伸ばしている主の額に口づけをひとつ落として退出して行った。

12/2/2023, 1:44:10 PM

お題『光と闇の狭間で』

 これは、主様が5歳だった頃の話。

 書庫の扉が勢いよく開き、そのバンッという音に本の整理をしていた俺はドキッとした。もしや天使の奇襲か? 主様はご無事だろうか? 早くお迎えに行ってお守りしないと……脳裏にさまざまな思いや作戦が浮かんでくる。とにかく武器庫に行かないと……。
 突如、バサっという羽音にも似た音が背後から聞こえ、「しまった、後ろを取られた!!」と思っていたら——その、お守りしなくてはならない主様ご本人が俺の燕尾を捲って入り込み、じっとしている。
「あの、主様?」
「しーっ!」
 主様はそう言ったきり、うずくまってしまった。
「……?」
 俺は自分の仕事に戻っていいものかどうなのかうろたえていると、そこにハタキを片手にしたラムリがやって来た。
「ねぇねぇ眼鏡くん! 主様を見なかった?」
「主様なら……ッ」
 どうやらふくらはぎをつねられた。
 察するに、多分ラムリは掃除から、主様はマナー講座から逃げているうちに追いかけっこから鬼ごっこにエスカレートしたのだろう。

 さて、この状況、どうしたものか。うーん」
「ねぇ、早く掃除を済ませて、それから遊んだ方がいいんじゃないかな?」
「げ。眼鏡くんまでハウさんやナックの味方なの?」
「そうじゃないよ。怒られる前に手持ちの仕事を終わらせてからの方がラムリの評価も上がるし、何より主様と遊ぶことに集中できると思うんだ」
 ラムリは少し考えて、でも、と何か言いたそうにしている。
「主様を見つけてあげないと、ボク、心配になっちゃう」
「それだったら大丈夫。俺が探しておくから」
「……育ての親が言うんだったら大丈夫かな。
 ありがとう眼鏡くん、主様をよろしく!」
 そしてラムリはバタバタと出て行った。

 それじゃあ、次は主様をどう説得したものか。
「主様、ラムリも自分の仕事を終わらせるために行ってしまいましたよ。主様もベリアンさんのマナー講座を頑張りたくないならそれでもいいんです。お茶を淹れますから気分転換しましょう……主様?」
 足の間を見れば、そこには気持ちよさそうに眠っている主様の姿。
「フェネスくん、主様をお見かけしませんでしたか?」
 よほど慌てていたらしく前髪が乱れているベリアンさんがやって来た。
「主様がつまらないとおっしゃって食堂を出て行っ……おや」
 ベリアンさんの視線が俺の腕に止まった。
「あらあら、フェネスくんの腕の中がよほど気持ちいいみたいですね」
 ベリアンさんはそう言うけれど、どうなんだろう?
「とにかく主様をこのままにしておけないので、寝室までお運びしてきます」
 ラムリとの廊下という比較的明るい場所での追いかけっこからの、燕尾の薄闇に隠れたことで疲れが出たんじゃないかな。



 その後——
「フェネスがいないー!」
 午後から夕食前という、長過ぎるお昼寝から目覚めた主様は、控えていたハウレスではダメだとばかりに号泣する声が屋敷中に響き渡った。
「主様、俺では駄目でしょうか?」
「ハウレスも好きよ。でもねフェネスが大好きなの」
 俺が主様の寝室に到着したとき、ちょうどハウレスが主様の頬を拭って差し上げているところだった。
「さあ、主様。大好きなフェネスが到着したようですよ」
 すると照れているのか、主様はハウレスの腕をポカポカ殴り始めた。
 いいなぁ、ハウレス。俺も一度でいいから主様にそれをされてみたい……。

11/28/2023, 2:51:45 PM

お題『終わらせないで』

「主様、あの、主様」
 ツカツカなんてかわいいレベルではない、どちらかというとドカドカと歩く私の後ろから困ったと言わんばかりの声がした。声の主はきっといつも以上に八の字眉になっていることだろう。
 私が何に腹を立てているかというと、こけら落としをしたばかりの劇場の向かいにあるレストラン。そこで私と食事をすることになっていたはずだったのに。

 だったのに。

 このあんぽんたんは予約を入れていなかったのだ。

 せっかくのデートだったのに。
 フェネスの方から食事に誘ってくれたのに。
 私からフェネスにプレゼントもあったのに。

 フェネスにとって私のこの対応は理不尽以外の何物でもないだろう。そんなことくらい分かってる。それもこれもPMSによるものだということも。

「あ、あの、主様!」
 不意打ちに、フェネスが私の手首を掴んできた。
「レストランの件は本当にすみませんでした! ですが、あの、俺、主様に大事なお話があって」
 大事な話? なんだろう、ちらっと聞くぐらいはいいだろうか。
 立ち止まってゆっくり振り向けば、ほっとしたのか、困り眉をほどいた。
「……まだ怒っていらっしゃいますよね」
 それでも不安そうに揺れている瞳に絆されて、つい「怒ってないよ」なんて言ってしまった。そして口からまろび出てきた言葉は不思議なもので、私の凝り固まった心がほぐれていく。
「本当に、ですか?」
「本当に、ですよ」
 私の返事に何か思うところがあったのかもしれない。口をはくはくさせてから、顔が真っ赤に染まっていく。
「や、やっぱり今日はやめておきます!」
「えっ!?」
 な、ななな、何ですと!?
「それでは屋敷に帰りましょう!」
 え、あ、ちょっと! 勝手に終わらせるとか、ないわー!! このプレゼントと私の想いはどこに行けばいいのよ!?

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