お題『遠くの空へ』
(一次創作・一昨日からの続き)
夏休み初日から続いていた補習もようやく最終日になった。
夏菜子は明日から修学旅行らしい。進学校は夏休みが潰れていろいろ大変だ。
それに比べて俺は? 俺は何をしている?
「なぁ、中村」
呟くように前の席に声をかけた。
「中山! やっとその気になってくれたか!!」
勢いよく振り返ったリレー馬鹿を「早えよ」と冷たくあしらう。
「なんでそんなに俺にこだわるんだ? 陸上部には他にメンバーいるだろ」
すると中村はギリっと唇を噛んだ。
「……だって、悔しいと思わないか?」
「悔しい?」
思ってもいなかった言葉で、ついおうむ返しをした。
「あぁ。だってあいつら、グラウンドにすらちゃんと来ねえんだぜ」
中村は窓の外、遠くの空へと目を向けたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「陸上部で走ってるのは数人だけ。他の奴らは来ないか、来ても部室にこもってエロ漫画ばっか読んでやがる。こんなんじゃ、リレーなんか勝てねぇよ。どこの高校とも勝負にならねぇよ……」
心底悔しいらしい。中村は作ったゲンコツで自らの膝を殴った。何発も、何発も。
「部活、今日は何時からだ?」
「え?」
中村の手が止まる。
「仕方がねーから、見学ぐらい行ってやるよ」
半泣きだった顔がぱあああっと輝いた。
「場合によっちゃあ助っ人にならなくもねえ」
自分の人の良さにため息を漏らしつつ、俺も遠くの空を見上げた。
俺はこのポンコツ高校を卒業したら、どうするつもりなんだ?
リレーに出たところで何も変わらないかもしれない。
でも——俺が真面目に走ることで、勉強を頑張っている夏菜子を応援することくらいはできるかもしれない。
小6のときは運動会自体が中止になったから、あいつは今の俺の走りを知らないはずだ。
また走るなんて知ったら、夏菜子は飛び上がって喜ぶんだろうな。
……いや、まだ走るなんて決めてねえから!!
決めて、ねえよ!! ねえけど……おう。
お題『!マークじゃ足りない感情』
(一次創作・昨日のスピンオフ)
私は川崎夏菜子。高校2年生。世を忍ぶ、所謂腐女子というヤツ。世を忍びすぎて、部活動仲間以外には腐臭を漂わせていない……と思いたい。
幼い頃からずっと一緒にいたのに、中学へ進学するときに離れ離れした幼馴染みがいる。彼の名前は中山優斗。
まぁ……その、私は腐っていながらにして優斗にずーーーっと片思いをしている。
足が速いのは小学生女子の心を掴むには十分すぎる要因だった。
だけど、私が彼のことを好きになったのにはもうひとつ理由がある。
それは、小学4年生の運動会でのこと。
優斗はクラス対抗リレーのアンカーだった。
しかし彼の競技が始まる直前、優斗の前に走る予定だった男子が倒れてしまったのだ。クラスメイトたちが慌てふためく中、優斗だけは冷静だった。
「おい、早川、聞こえるか、おーい! ……意識なし。
小林、先生呼んできて。高原は保健室の先生を。夏菜子、AED持ってきて」
そのときは頭の中が混乱していて、とにかく必死にAEDを運んだ。
私がAEDを持って行くと既に到着していた先生たちが心臓マッサージをしていた。
「先生、AEDです!」
AEDを大人たちに渡すと、私の膝が緊張のあまりか崩れ落ちそうになった。けれど私を優斗が支えてくれた。
「夏菜子、サンキュ」
後になって冷静な頭で振り返ると、そのときの優斗の、あまりの格好良さに言い表せないほど心臓を掴まれた。その時のAEDは使われることなく済んだけれど、私自身には見事に作動していたらしい。
それからは夢中だった。
優斗の一挙手一投足が気になって仕方がない。
優斗の笑顔が最高に眩しいし、優斗が私の名前を呼んでくれる、もうそれだけで有頂天になった。
しかし、私と優斗は離れ離れになった。親の教育方針の違いというやつだ。私は中学から私立に通うことになった。
優斗になかなか会えない。
この事実が、もしかしたら私を歪めたのかもしれない。
私は中学で文芸部に入った。
そして、そこでとんでもない世界を知ることとなった。
部室の机に、一冊の雑誌。表紙は、思わずため息が漏れてしまうほど耽美なイラストが飾っていた。
私は中身は何だろうかと興味を唆られ、その雑誌の表紙を捲った。
表紙の中は小説で、最初は男同士の友情に胸がキュンキュンしたのだけれど、その……あ、あはは……なるほど……。
有り体に言ってしまえば、男性同士の恋愛ものだった。
私はそのまま納豆となってしまった。もう大豆には戻れない。
BL本を読んだり書いたりして、私は優斗と会えない時間を潰した。
つい先日、久しぶりに優斗とゆっくり会える機会を持てた。咄嗟に双葉町のカフェを思い出した私、グッジョブ!
しかしそこに現れたのは優斗だけではなかった。
「優斗ー! こっちー!!」
私の呼び声に驚いていた同級生の中村くんも一緒だったのだ。ふたりは終始仲が良さそうで、見ているだけでシアワセな気分にさせてくれた。
浅黒く日焼けした体格のいい男子高校生ふたりは仲が良く、しかも片方がもう片方を口説き落としにかかっているという。ヤンチャ系というのも素敵だわ……私の好敵手として相応しい。
何より、シチュエーションが既に美味しすぎる!
私はまた優斗が走る姿を見られるかもしれないことへの喜びを噛み締めつつ、この味わい深い三角関係へと身を投じて行った——
中村くんに勝てるかな?
いや、私、中村くんになら負けても構わない……!!
お題『君が見た景色』
(一次創作・昨日の続き)
「中山、な、頼む!」
こいつは中村正人。出席番号1番違いの同級生。陸上部。
「この夏の大会、お前がいると勝てるんだ! だから頼む、陸上部リレーメンバーの補欠になってくれ!」
両手を合わせて拝まれてもなぁ……。
「俺がいると勝てるとか言う割に扱いが補欠ってどうよ?」
俺は帰り支度の手を止め、頬杖をついて中村に目を向けた。
「いや、だってお前から出てるオーラがお守りのソレと一緒」
中村はそう言うと俺の空いてる手を両手で包み込んだ。
「やめろよ、暑苦しいし気持ち悪りぃ」
その手を払いのけて俺は碌に何も入っていないカバンに手を伸ばした。
「じゃあな、中村」
こうして俺はひとり颯爽と夏菜子を迎えに行った。
——はずだった。
「なぁ中山、頼むよぉー」
中村は、今日は嫌に食い下がってくる。
蜃気楼揺らめく真夏のアスファルトを歩きながら俺はコイツをどうしようかと思い悩む。
だってそうだろう。もうすぐ夏菜子との待ち合わせ場所だ。中村がいると色々ややこしくなる気しかしない。
しかし。
「優斗ー!」
あ、この声は。
「優斗ー、こっちー!」
あぁ……夏菜子だ。どうやら俺を迎えに来たらしい。
はっきり言ってしまえば、夏菜子に俺のダチを会わせたくなかった。
方やきゅるんとした目、肩口で切り揃えられた今時珍しい黒髪、そして元気溌剌なかわいい女子高生。対する中村は阿保という2文字がとんでもなく似合う茶髪ヤンキー風ど天然野郎と来る。コイツといると俺まで阿保扱いされる。
なので今回も阿保扱いされることがほぼ確。何なら夏菜子に愛想を尽かされる。
「優斗……って、もしかしてお前のこと!? え、芹沢学院のあのお嬢様、お前と友達なの?」
ぽけっとしている中村はこの際置いて帰るか。
「んじゃ俺はここで」
そうしてヤツと別れた。
「んー! クリームソーダ、うめえぇぇ!!」
数分前に別れたはずの中村は、何故か俺の隣で歓声を上げている。
「ばっ……! もっと静かにしろ!!」
俺たちのボケツッコミが面白かったらしい。夏菜子は白い頬にえくぼを浮かべた。
「ふふ、優斗にちゃんと友達がいて安心した」
「お前なぁ、俺のこと何だと思ってんだよ」
「だって、優斗の口から友達の話聞いたことないし」
夏菜子はそう言った唇でストローを吸った。ちくしょう、ストローの奴、羨ましいぜ。
俺はスプーンで目の前にある、水色のソーダ水に浮かんだアイスクリームを転がした。
「あ、申し遅れました。俺は中村正人です。高山第一高校の2年B組で、部活は陸上部。キャプテンをやっています。よろしくお願いします」
中村は、俺の向かいに座る夏菜子に握手の手を伸ばそうとした。すかさずその手を俺がはたき落とす。
「ふふ、面白い人」
くすくす笑う夏菜子に気をよくした中村が、
「おい聞いたか中山、俺を褒めてくださったぞ」
と、また騒ぐ。
「馬鹿かお前は」
隣の茶髪にぐりぐりゲンコツをお見舞いしておいた。
「いで、いでで」
このやりとりがツボったらしい。夏菜子はテーブルに突っ伏して肩を震わせている。
「夏菜子も夏菜子だろ。そんなに笑うな」
「だって、優斗も中村くんも面白いんだもん。
あ、私も申し遅れました。川崎夏菜子です。優斗のおうちの2軒隣に住んでいて、言ってみれば幼馴染みです。よろしくお願いします」
頭をぴょこりと下げると、黒髪がサラサラと顔を隠した。それがあまりにも絵になりすぎて、ドギマギしてしまう。
パッと顔を上げた夏菜子は「あ、そうだ!」と小さく声を上げてから鞄を開けた。夏菜子の鞄はさすが進学校というべきか、参考書らしきものやらノートやらがみっちりと詰まっているようだ。
その中からひとつ、小さなファイルを取り出した。
「ポケットカメラで撮った昔のフィルムが出てきて、現像してみたの」
いつ頃のだろうかと思いながらそのファイルを開いてみると、見覚えのあるイガグリ頭に赤いハチマキ。
「これ、小5の運動会じゃねぇか!」
うわぁ、懐かしー……。俺の声にならない言葉に、
「懐かしいでしょ」
と、相槌を打つ夏菜子。
夏菜子の写真は一枚もない。
この時、俺と夏菜子はそれぞれのポケットカメラで各々好きなものを撮ろうという取り決めをしていたのだ。
俺が撮った写真は友達や先生、後輩たちの演技など。もちろん夏菜子の写真も。
しかし、夏菜子が撮った写真はどれも画角に俺が収まっている。
耳の奥がドクドクと音を立てている。アルバムに付くのではないかと心配になるほど手汗をかいてきた。
「夏菜子、これ……」
「ふふっ。リレーで走る優斗があんまりにもカッコよかったから、何枚も撮っちゃった」
はにかんで視線を落とされ、俺は、俺は——!
「なぁ、中山……これは夏菜子様がお前にリレーメンバーに加わるようにと、お告げしてくださったのではなかろうか……?」
おどろおどろしい声に視線を向ければ、見知った男の姿。
「な、中村! い、いつからそこに!?」
夏菜子とのふたりの世界に浸りすぎてしまい、すっかりコイツの存在を忘れていた。
「俺のこと忘れんなよぉー。
夏菜子様からもコイツに言ってやってくださいよ。リレーのメンバーになれって」
リレーと聞いて夏菜子の顔が紅潮した。
「え! それって、また走る優斗が観れるってこと!?」
「ええ、そうですそうです!」
調子のいいこと言ってやがる。
「優斗、頑張って」
「そんなこと言われたって、どうせほけ……」
補欠と言いかけた口を塞がれた。
「中山ならすぐにスタメンですから!」
調子よくヘラヘラしている中村に、嬉しそうにニコニコしている夏菜子。
ああ、俺は一体どうしたらいいんだ?
走るしか、ないのか……!?
お題『言葉にならないもの』
(一次創作)
「おーい!」
片側二車線の道路の反対側の歩道に、ぴょこぴょこ飛び跳ねるような歩き方をする幼馴染みの夏菜子の姿を見つけた。特徴的なその歩き方はなんとも言えない可愛らしさがある。
俺の呼び声が聞こえたらしい。こちらを見ると、パッと顔を綻ばせた。
約10メートルをサッと走り、歩行者信号のボタンを押す。ここの信号のいいところはすぐに変わってくれるところ。横断歩道を渡ったところで夏菜子と合流した。
「今日も暑いね。アスファルトを踏むと熱されて焼豚になりそう」
そう自虐する夏菜子だけど、俺はそうは思わない。ふにふにと柔らかそうな白い肌は触ると心地いいに違いない。昔、幼い頃はお互いつつき合ってじゃれてたのになぁ。
「まあまあ、そう言うなって。ところでこれから補習?」
「うん。優斗は?」
「俺も補習」
俺と夏菜子では同じ『補習』という名称でも意味合いは全く違う。夏菜子は進学校ゆえの授業の延長。俺は低レベル高校の、さらに底辺ゆえの夏季休暇返上。
「あー! かったりぃぜ」
「まあまあ、そう言わないで」
俺の言葉を夏菜子は混ぜっ返した。
「何時までかかるの?」
「昼前まで。夏菜子は?」
「私も同じくらい」
そんな他愛もない話をしているうちに夏菜子が通う高校の前までやって来た。
「優斗、よかったらお昼にカフェ行こ。こないだできた双葉町の」
思わぬお誘いに一瞬目をぱちくりさせた。
「……いいけど、そういう夏菜子こそいいのかよ?」
俺は1週間前、見かけたのだ。背の高い男と一緒にこいつが歩いていたのを。胸の奥が焦げたのは日差しのせいだけではなかった。
たっぷり3秒間ぽかんとした夏菜子は、
「いいに決まってるじゃない」
と、いかにも心外だと言わんばかりに呟いた。
「それじゃ、補習が終わったらまたここで」
そう言い残して夏菜子はスカートの裾を翻しながら校門の中へと駆けて行った。
どどど、どうしよう! これはデートのお誘いなのでは!?
幼馴染みへの片想い、その長さは生まれてから今まで。言葉にするなら『愛してる』。
だけど口にすることで関係が木っ端微塵になりそうで怖い。
言葉にならないこの胸の内を抱えたまま歩いているうちに、我が校の校門を通り過ぎた。同級生の田村に首根っこを掴まれてそのことに初めて気がついた。
「おいおい中山、どこまで行くんだ?」
「あ、田村。おはよ」
「おはよ。ってか、何にやけてんだよ? 気持ち悪りぃな」
そうか、俺はにやけていたのか。胸の内は言葉にできないけど、顔には出ているらしい。
緩んだ頬の筋肉をムニっと摘んだ。ああ、早く補習が終わらねぇかなー!
お題『真夏の記憶』
(一次創作)
それは、真夏の真夜中のこと。
昼間が焼けるように暑かった影響で夜だというのに寝苦しく、俺は入眠を諦めてコンビニへと足を向けた。
足元は、カラコロと鳴る下駄。汗をかいてしまうほど暑いのに、草むらでは虫が鳴いている。見上げれば空は雲で覆われていて、なるほど昼間の熱が逃げない訳だと納得する。
目的地に到着した。自動ドアの向こうはキンキンに冷えており、火照った肌に心地よい。何となくやってきたコンビニだが、体がほどよく冷えたらビールと枝豆とアイスを買って帰るという目的を作る。
それまで立ち読みをして過ごすことにした。ゴシップだらけの週刊誌を捲る。
しばらくして、視線を感じた気がして目を上げた。はめ殺しのガラス窓の向こうに目を向けたが誰もいない。
気のせいかと思い、雑誌に目を落としたが、今度は何か聞こえてきた。俺は声もなく唇で『まさか』の形を結ぶ。
雑誌を棚に戻して外に出た。そしてぬるい空気の中で見たのは一匹の猫。
実家で飼っている猫によく似た姿形、雰囲気。もしかして、と、そんなばかな、という思いがした。だってそうだろう。実家から俺のアパートまでたっぷり3時間かかるのだ。
その猫は俺を一瞥して、なぁん、と一声甘えたように泣くと茂みに飛び込んでそのまま姿を消した。
翌日、母から電話があって、俺が小学5年生のときに拾い、そのまま飼っていた猫のナナが夜中に亡くなったことを知った。