お題『夢を描け』
タイトル『再会』
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まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
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車の中で皐月に念押しをした。
「あなたがコハナちゃんに会えるわけじゃないのよ」
コクコクと頷く上気した頬。握りしめすぎて蒼白になった両手。
「コハナちゃんの【はどう】をかんじたいだけ」
皐月にとってのコハナちゃんは、片想いの相手になったり信仰の対象になったりと忙しい。
白石さんと私たち親娘を乗せたワゴン車は、郊外にある立派なお屋敷の前で停まった。
「おしろみたいだねぇ、おかあさん」
皐月の目がまんまるに輝く。
「コハナちゃんがすむのにふさわしい……」
それでこそ我がコハナちゃんと言わんばかりに満足げな様子の皐月だったけれど、車を降りようとしている白石さんに気がついて、慌てて呼び止める。
「しらいしさん、これ、おねがいします」
白石さんに渡したのはピーマンごはんのお手紙と、あの日買ったハンカチ。ハンカチに至っては洗ってアイロンをかけたはずなのに皐月が握りしめてシワシワになっているし、皐月の手汗でびちょびちょになっている。
「……うん、分かったよ。ちゃんと届けるからね」
降りて行った白石さんの背中を見送る視線から感じるに、一目でもいいから会いたかったのだろうな。
皐月を連れてきたのは間違いだったのかもしれないと、最初は思った。だけどうちの娘は、なかなかどうして、凛としている。生まれてまだ4年しか経っていないのに堂々としていて、頼もしさすら感じられる。
「……! コハナちゃんだ!!」
皐月が声を上げて、しばらくすると車の外が騒がしくなった。
「コハナちゃん! コハナちゃん!! あいたかったよ!!」
きっとコハナちゃんも会いたかったのだろう。皐月の顔をペロペロと舐めている。
「すみません、目を離した隙に飛び出してしまって」
コハナちゃんの今の飼い主さんだろう、中肉より少しだけふっくらした男性が申し訳なさそうに顔を見せた。
帰りの車の中で皐月は、
「わたし、おおきくなったら、いんたいけんをかいたい」
と言い出した。
「どうしたの? 急に」
「きょうあった、かわさきさんみたいに、たくさんのいぬを、しあわせにしてあげたい」
皐月の目にはコハナちゃんたちがとても幸せそうに映ったのだろう。
「よくぞ言ってくれた、我が娘よ!」
皐月も私も、そして白石さんも。川崎さんのご自宅まで連れて行ってくださったボランティアの方も。
幸せに満たされた空気に、みんなほっこりしたのでありました。
お題『届かない……』
タイトル『風向きの変化』
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まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
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最近、皐月の元気がいい。いや……『良すぎる』と言うべきだろうか。ちょっと心配かな、母としては。
「ねぇねぇ、さっちゃん」
私はお昼ごはんを終えた皐月に、ある提案をしてみる。
「コハナちゃんにお手紙書こうか?」
「おてがみ?」
「うん、そう。コハナちゃんに最近あった出来事を、手紙で伝えてみよう」
皐月はいい笑顔で「うん」と大きく頷いた。
私としては、皐月の心の中でどのくらい悲しみの作業が進んでいるのかを確かめたい、という思いもあった。
文具店で、さつきとふたりで「このピンク色、コハナちゃんに似合うのでは?」「コハナちゃんにはこっちのあかいろだよ」と、ひそひそ声で会話をしながらレターセットを選んだ。
久しく会っていない友人……いや、恋人かな? とにかく、心の距離は近いのに物理的な距離が遠くて会うことが叶わない相手に向けてプレゼントを選んでいる。まさに皐月はそんな感じではにかんでいた。
そうして選んだとっておきのレターセットをテーブルに広げ、私は皐月のためにカッターナイフで鉛筆を削る。
「おかあさん、なにしてるの?」
「これはね、さっちゃんの気持ちがコハナちゃんによーく伝わりますように! っておまじない」
コハナちゃんのことが大大大好きな皐月の想いが伝わりますようにという強い願いをこめて削った鉛筆で、皐月はどんなことを書きたいのだろうか?
でも、手紙を書いたことがない皐月は、鉛筆を渡されて戸惑っているようだった。
「どうかしたの?」
「だって、あのコハナちゃんにおてがみだなんて……」
よくよく聞くと、毎晩夢の中で会っているらしい。そういえば寝言でもよくコハナちゃんって言ってるわ。
「今さら恥ずかしくて何も伝えたくなくなっちゃった?」
首をふるふる振った皐月はようやく鉛筆を手にする。
コハナちゃんへ。
きのうのばんごはんは、ピーマンごはんでした。
さっちゃんより。
自信満々に鉛筆を置いた皐月は誇らしげに「むふー」と鼻息も荒くしている。
しかし、母からしてみると『これで大丈夫か?』という気持ちにならなくもない。
「さっちゃん、本当に他に伝えたいことはないの?」
「うん。なぜなら、だいじなことはゆめのなかでおつたえしていますもの」
そう言って皐月は、オホホ、と笑った。どうやらこの小さい心の中では、かなり悲しみの作業は進んでいたらしい。
私は皐月からそのお手紙を預かると、渡せなかったハンカチ共々クッキー缶に仕舞っておいた。
いつか機会が訪れたら、このお手紙、コハナちゃんに届けてあげたい。
届かない、なんて弱気でいちゃダメだ。
そしてその転機は意外と早く訪れた。
夕方、皐月と一緒にコナツの散歩に出かけたら、反対側から新たなパートナーをお迎えした白石さんに出会った。今回の盲導犬はラブラドールレトリバーの男の子。うちのコナツがキャンキャン吠えても微動だにしないのも頼もしい。
何より、変にコハナちゃんに似てなくて良かった。
「さっちゃんがいない間にコハナちゃんを次のおうちに連れて行ってすまなかったね」
一瞬皐月の顔色は曇ったけれど、小さく「うん」と頷いた。
「うちもコハナちゃんがいなくなって寂しくてね……お散歩リーダーたちもこれからは忙しくなって、お散歩に連れて出るのも難しいから、次のパートナーとして完全室内飼いのコタロウに来てもらったんだ」
そこまで言って、「あぁ、そうだ」と白石さんは顔を綻ばせた。
「おじさん、今度コハナちゃんに会いに行くんだ」
すると皐月は食い気味に「コハナちゃん!?」と叫んだ。
「さっちゃん、預かり物があれば持っていくよ」
お題『木漏れ日』
タイトル『帰ろっか』
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まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
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『警察に連絡しなきゃ』なんてことは頭からすっぽ抜けていた。とにかく見つけなきゃ、という一心で、やみくもに走り回った。
皐月に何かあったらどうしよう。
連れ去りや事件に巻き込まれていたらどうしよう。
事故に遭っていたら——
パトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。それは私を追い抜き、近所の公園の前で停まる。
私の顔から血の気が、ザアァーっと引いていった。
なんで最初にここに来なかったの、私のバカ!
ここは大事な場所じゃないの!
皐月が、コハナちゃんと一緒に、あんなにも飽きるくらい遊んだじゃないの!!
私はもつれる足もそのままに、公園へと駆け込んだ。
結論から言うと、皐月じゃなかったけど、皐月はいた。
いや、これだと言葉が足りなさすぎる。
救急車に運ばれたのは皐月じゃなかったけれど、桜の木の下、ベンチの上で、あの青いハンカチを握りしめて膝を抱えた皐月がいた。
ストレッチャーで寝ているのが皐月ではなかったことへの安堵と、運ばれていく少年に対する申し訳なさを味わい、次の瞬間『だったら皐月はどこにいるの!?』とすっかり狼狽えた。
しかし、そこにきて振り返ったら皐月がいて、拍子が抜けしてしまったのだ。
「さっちゃん。ここで何してるの?」
私は皐月の隣に腰を下ろした。
「ここにきたら、せんさーがきくかなって」
「……【せんさー】?」
なんのことだかさっぱりわからないでいると、皐月は鼻先を膝の間に埋める。
「おかあさん、よく言ってたじゃん。さっちゃんにはコハナちゃんせんさーがある、って」
あー、そっか。それでここに来たのか。
「だけど、ぜんぜんだめ。せんさーこわれちゃった。コハナちゃん、どこにいるのかわかんないよ……」
ひっく、ひっく。
小さな肩が震えたかと思ったら、私の首根っこにしがみついてきた。
「……帰ろっか」
「っく、ひっく……」
皐月はすっかり落ち込んでいて。でも、こういうときくらいは甘やかしてもいいと思うのよ。
「さっちゃんの大好きな、かぼちゃのシチュー、作ってあげる! 食べてくれるよね」
「おなか、すいてない」
「空いてないなら空くまで待つわよ」
よしよし、しっかりお泣きよ、我が娘よ。木漏れ日を受けて輝く緑髪を指で梳いた。
甘やかしついでに家までおんぶをしてあげることにした。
お題『手紙を開くと』
タイトル『残された封筒』
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まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
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皐月に、コハナちゃんがもう帰ってこないということをどう説明したらいいだろうか? 真二くんには「私に任せて」なんて言ってきたものの……。
私は困ったけれど、大抵のことは意思疎通できる私たち親娘だ。皐月が納得するまで根気よく話をするしかない。
帰宅して、顔を覗かせてくれたお義母さんへの挨拶もそこそこに、私はソファに腰を降ろして皐月を膝の上に乗せた。
「さっちゃん、あのね、コハナちゃんのことで大切なお話があります」
「おかあさん、なにー?」
あどけない瞳に、これから残酷なことを言わなければならないと思うと胸が痛む。
「コハナちゃん、遠くへお引っ越ししちゃったの」
「おひっこしー?」
「うん、そう。お父さんもお仕事するために、ひとりだけ離れて暮らしてるでしょ?」
皐月が頷くのを見届けて、言葉を続けた。
「お父さんは時々帰ってこれるけれど、コハナちゃんはもう帰ってこれないの」
言われていることが理解できないのか、皐月は固まってしまった。
「さっちゃん……皐月、どうしたの?」
いや、皐月は理解していた。
小刻みに首を左右に振りながら「うそ」と呟く。
「さっちゃん、嘘じゃないの」
「おかあさん、なんで……なんで?」
皐月が取り乱すのも仕方がない。あんなに大好きで、大好きで、コハナちゃんのこととなると少し様子がおかしくなるほど大大大好きなのに。
その小さな身体で受け止めるにはあまりにも大きな絶望。
「おかあさんのうそつき! コハナちゃんにはまたあえるもんっ!!」
膝の上から飛び降りた皐月は、お義母さんの部屋に駆け込んだものだと、てっきり思い込んでいた。
夕飯の買い出し帰りで気がついた。玄関の前に、青い封筒が落ちている——誰だ、こんなところに? 誰かが投函しそこねたか、それか誤配達か。
しかし、そのふたつのどちらでもない。
だって、その封筒は。
「お義母さん! 皐月、居ますか!?」
その青い封筒は。
「さっちゃん? いや、私の部屋には来てないよ」
ネモフィラの丘で、皐月と一緒に選んだハンカチを包んだものだったから。
お題『すれ違う瞳』
タイトル『突然の引っ越し』
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まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
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単身赴任先に帰る都合で、浩介さんはひとり1日前倒しで帰っていた。
私は皐月を連れてネモフィラの丘から帰ってきて。そして皐月と話し合って、白石さんとコハナちゃんにそのままお土産を渡しにいくことにしている。
皐月は今にもスキップを踏みそうなくらい浮かれていて、そんな皐月を見ながら、
「またコケても知らないからね」
と言った私も少し浮ついていた。だって、皐月とコハナちゃんのために最高のプレゼントを用意できたんだもの。
浮かれ親娘と一台のワゴン車がすれ違おうとした。その車を見た皐月が、
「コハナちゃんだ!」
と声を上げた。
「コハナちゃん! どこにいくの?」
すれ違うとき、私とはっきり目が合った。
それは確かにコハナちゃんだということが私にも分かった。すごく悲しそうな瞳をしていて……まさか!
「皐月、おんぶしてあげる! 白石さんの家に急ぐわよ!!」
皐月は頷くと私の背中に回り込み、肩に腕を回してきた。
皐月のお誕生日のときから抱いていた、白石さんへの違和感が何かの勘違いであってほしかった。だってそうでしょ? 万が一にでもこのままコハナちゃんが帰ってこないとか、そんなことがあれば、皐月は落ち込むに決まってる!
「白石さん!」
私が玄関に転がり込むと、奥から真二くんが赤い目を擦りながら出てきた。
「あ……さっちゃんと七海さん……」
「さっき、そこで車に乗ったコハナちゃんとすれ違ったんだけど!?」
半ば叫ぶように放った私の言葉に、真二くんが鼻声になる。
「コハナ、もううちには帰ってこないんです」
「……え?」
「コハナは引退犬ボランティアさんの家に行って、もう、この家には……」
そこまで言って絶句した真二くんに、私もまた絶句した。
「ねぇねぇ、おさんぽさぶりーだー? コハナちゃん、どうかしたの?」
沈黙の中、事態が分からない皐月の声だけが玄関に響いた。