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7/28/2023, 4:43:33 PM

ぼんぼりの薄明かりが宵闇の神社を照らしだすと、人々のざわめきも明るくなる。

そろそろ始まってしまう。


「あ、千世ちゃんどこ行くの」

「ちょっとだけ、すぐ戻るから。」


お顔の白化粧が終わって、唇に紅を差される前に
私はたまらず自治会館を飛び出した。
ごめんねおばさん。

この地区で300年の伝統を誇る厄除けの夏祭りでは、男の子は獅子舞、女の子は稚児舞神楽を舞う。
夏が近づくとちいさな町全体の雰囲気がいそいそとして、私たちはお稽古のために、学校を早帰りしてもいいのだ。

私は最年長で、今年が最後の舞になる。
そして、同じクラスの和美くんも最後の獅子舞だ。

和美くんは幼稚園のときから一緒だけれど、何となく話した記憶もない。ずっと無口で、いつも本ばかり読んでいるから。

お稽古の時間がときどき被ると、彼が獅子頭を持っている姿をみかけることがあった。
普段はぼーっとしているみたいなのに、鋭い眼差しがちょっと怖くて、どきどきする。

獅子舞のあとに稚児舞があるから、私はちょうど
支度をしていて毎年見ることができないでいた。
彼がいったいどんな風に舞うのかを。夕空に吹く
夏風をなぞって想像するしかなかった。

和美くんは中学受験をして、来年の春には都会にいく。だから、今年が最後のチャンスなんだ。どうしても。

お囃子の合図とともに、歓声があがる。
始まったのだ。

せっかくはたいた白粉が崩れないよう慎重になりながら、人混みを縫って明かりの中心に近づいていった。

灯籠の影を落とす地面に、朗々と獅子が踊りでる。
一人舞。風流系だ。
夏の夜を切り裂く、神々しい獅子の姿。
太鼓をくくりつけて重圧感があるのに、軽々とした身のこなしは一朝一夕で身につくものじゃない。
息をするのも惜しいくらい。すごい。

獅子舞が終わる前に、私は人混みから抜け出した。なんだか涙がでそうになったから。

獅子は去る。もう私の手の届かないところまで。
こんなに満たされているのに、みなければ良かったと、思っているのかもしれない。 

すごすごと引き返して、自治会館の裏口にまわる。
もうお衣装を着てしまわないと。
引戸に手をかけたとき、熱い空気を背後に感じて、振り返った。


「……千世、ちゃん」


彼がいた。まだ息を切らしている。
獅子舞が終わって、彼もちょうど戻ってきたところなんだ。毎年これくらいの時間だから。

いつもだったら「お疲れ」と笑えるのに、今日は
ぎこちない。だいいち、中途半端なお白粉顔をみられたくなかった。


「もう最後だね、私たち。」


やっと絞り出した言葉が暗い。そうだね、と彼がいい、冷たい沈黙が流れる。思いきったように、でも自然と、和美くんの息を吸う音が聞こえた。


「稚児舞、毎年みてた。綺麗だった。」


鋭い眼差しが私を見据える。痛くなるほど。
急に世界がざわめきだす。全身に炎がめぐっていくみたい。あの雄々しい、獅子の姿が。


「頑張ろうね」


もうどうしたらいいのかわからなくて、
そう早口で言いきって、逃げるように自治会館に
駆け込んだ。

頑張ろうねって、彼はもうしっかりと自分の役目を終えたのに。馬鹿みたい。

おばさんたちが待っている。私の唇に紅を差して、玉串と豊栄のお衣装を着せるために。
でも、今度こそ白粉が崩れてしまう。瞼から溢れ
落ちるものをとめることができない。

私も最後に、あなたをみられた。綺麗だった。

ただそれだけの言葉を返せばよかったのに。
私たちの夏は短すぎる。


「どうしてたのよ千世ちゃん。もう神事が始まっちゃうわよ。」


障子の向こうからおばさんたちの声がする。
濡れる頬をそっと押さえて立ち上がった。

私も最後に舞わないと。最後まで、綺麗に。
年に一度の夏祭りは、まだ始まったばかりなのだから。




7/27/2023, 11:19:17 PM


「オイディプスが目を潰したのは、彼には何も見えていなかったからだ。」


私の前に舞い降りたあなたは、機械仕掛けの神様。
柔らかそうなネコ毛の髪は天使っぽいなと思っていたけれど、地上に神様が舞い降りたっていう表現にふさわしい雰囲気をまとっている。

実際あなたは、暗がりのあの世界にどっぷりと
浸かってしまっていた私を、あっという間に掬いあげてしまった。愛憎渦巻く狭い路地裏、ボロ雑巾
同然の私の前に、ただ現れただけなのに。 

あれから身体の傷が戻るよりもはやく、心があなたに取り込まれていくのを止めることができない。

あなたが何を思ってオイディプスの話をしだしたのか私にはわかる。でも、私はあなたを信仰することでしか自分を信じる手段をなし得ていないから。

幸せが遠くにあると信じて、逃げられない。


7/27/2023, 9:59:23 AM

双子の弟が死に、私は「それ」をつくりだした。

朽ちかけた死体を繋ぎあわせ、微量な電流を少しずつ心臓に流せば神経が動き出す。はじめは弱った魚が跳ねるようだったのが、少しずつ人間らしい動きを取り戻していった。私と瓜二つの顔で眠るそれを眺め、私は感慨深い気持ちに落ち着いていた。

これが成功すれば、死人に口なしなどとはもう言わせない。近頃めっきり増えた、凶悪な犯罪やおびただしい数奇な事件にも牽制をかけることができるかもしれない。

狂人といわれたって構わない。誰かのためになるならば、研究者冥利に尽きるというものだ。
そのためになら私は、実の弟の死体だって利用できる。

やがて瞼をあけたそれは、特別驚きもしていないようだった。腐敗がはじまっているが、私のしたことをすべて見透かしているかのような瞳まで、生前のままだ。


「どうして、僕を死なせてくれなかった?」


流暢に喋りだしたそれに、私は内心おののいた。
が、感情なくつとめてこたえる。


「人類への貢献だ。私の実験が誰かのためになるならば─」

「違うね、兄さん。自分でわからない?なら僕がふたつほど説明してあげようか。」


途端に言葉を遮り、それは今にも崩れ落ちそうな身体を起こした。腐った体液が私の頬に飛び散る。
恐ろしい予感がした。


「ひとつは、僕を激しく憎んでいるから。幼い頃から、僕と兄さんにたいする周囲の扱いの差は歴然としていたものね。四六時中研究に明け暮れる兄さんより、婚約者がいて、普通に優等生の僕の方が優れてみえたみたい。父さんや母さんからの愛を独占した僕を、殺したいほど憎んでいたんだろう。だから墓を掘り起こしてまでして、僕の尊厳を踏みにじったんだ。」


「──もうひとつは、何だ。」


全身に冷たいマグマが流れている。爆発することもできず、私の身体を蝕みつづけた、愚かな劣情。

血に濡れたその唇が、赤い三日月に歪んだ。


「そんな禁忌を犯してしまうほど、僕を愛しているからさ。僕を見るその目をみればわかるよ。」


ずるりと顔が溶けてゆく。私と同じその顔が。
皮膚が流れ落ち、瞳が濁る。それはもう死体に戻ろうとしていた。

暗がりの研究室に、悪魔の声を永遠にこだまさせて。


「僕のためだとお言いよ。自分のためだと。」




7/24/2023, 12:51:53 PM

梅雨空のターミナルに、偶然にも君はいた。
数年振りに会った君はすっかり大人になっていて、
グレーのスーツ姿がまぶしい。


「久し振り。」


疲れ果てた顔の君からは、喧騒めいた都会の風の
匂いがする。それでも、水面のように静かに揺らぐ瞳は、泣きたくなるほどに10代の頃のままだ。

君の瞳は、僕がついに触れることのできなかった
何かにまで届くみたいに、いつも固くてまっすぐな光に充ちている。

夢を切り捨て、東京に行くと僕に告げたときも、
君は同じ瞳をしていた。僕は何も言わなかった。
言えなかった。

それから高校を卒業して以来、君と会うことはなかったのだ。

それでも、綻んだ思い出を繋ぎあわせるように
ひと言、ふた言と交わしていくうちに、蒼白い君の表情がほどけていく感触がした。


「僕は変わらないよ。いつまでも子どもじみた夢ばかりみて、君のような大人にはなれなかった。」


自嘲気味に笑う僕の目をみて
君も初めて、さみしげに微笑む。


「羨ましいやつだよ。」


ああ、君のその瞳だけは、あの頃と同じ質量を感じさせられるというのに。

今、僕には同じ夢を追いかける仲間がいる。かつては君とみた、愚かで若い夢を。恋人もできた。

それなのに、胸の片隅には、君のいた熱の痕が今も燻り続けている。

その熱をさらけだしてしまうには、あまりにも時は経ってしまった。若く青い日々は刻々と去りゆく。

僕たちの道は、たがえたのだ。


「じゃあ。」


君はいなくなる。灰色の人混みに、君の背中はたちまち溶け込んでいってしまう。

僕が僕を生きているように、君も君を生きていくんだろう。これからも、空しいほどに。

夏の雨はやみ、時刻は6時になろうとしていた。


『友情』

7/22/2023, 11:26:03 PM

サナトリウムで療養することになった、
妻の身辺整理をしているときのことだった。

心を閉ざしてから、彼女は子ども部屋で1日のほとんどを過ごしていた。

机の上に残された大量のスケッチブックには、彼女が描いたクロッキーやエスキースでびっしりと埋めつくされており、そのどれもが未完成だ。

ときどきまっさらなページもあるそれらを、
僕はもくもくとポリ袋の中へいれていった。

そうしているうちに、ふと、なめらかな机の表面に何か書かれているのをみつけた。まるで、小学生のいたずらな落書きのように。妻の字だ。

それをみて、僕は今度こそ頭が真っ白になった。


『 過去につれていってくれるものが記憶
  未来へつれていってくれるものが夢 』


H.G.ウェルズの小説『タイムマシン』のなかの台詞だった。結婚前に、僕が彼女にあげた小説だ。
僕は目眩のする思いで、膝が震え、それでも何とか立っていた。

望んだ結婚ではなかった。少なくとも、彼女にとっては。当時、彼女には恋人がいた。地位は低いが、美しい男だった。

家柄で結びあわされた婚姻関係だったとしても、
僕は彼女を愛していたし、愛せることを証明したかった。

それでも、僕の存在により、いっそう熱病のような恋に浮かされている2人をみて、邪悪な魔が差したのだ。彼女を妻にできるのなら、あの男から永遠に
奪ってしまえるのなら、後先もかえりみなかった。

僕と彼女はついに結婚し、まもなくあの男は自身に刃を突き立てた。

恋人の死を知ってからというもの、彼女の命の輝きは失せていってしまったのだと思っていた。
が、それは違うと、ずっと僕の恐れていたことが
残酷なまでにはっきりとしてしまった。

君のなかで、あの男はまだ生きているのだ。
あの男の体温を記憶して、熱病のような恋の続きを夢にみている。君は心を閉ざしてしまったのではなかった。そうやって、あの男と逢っていたのか。

もしもタイムマシンがあったのなら、君の身体も
今ここにいないだろう。真っ先にあの男のもとにいって、二度と帰ってこない。

わかっていたことだった。
もう、僕の敗北だ。


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