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10/10/2025, 9:48:10 AM

 

 あの人の指先や睫毛が気になりだしたとき、金色の風が町をめぐっていたけれど。ひやりと胸に落ちた甘い香りは、冬の来る前に消えてしまった。

                  『秋恋』

10/7/2025, 8:57:38 AM

雪をみてみたいと涙する王女様に、魔法使いがアーモンドの花を散らしてみせたという話、幼い頃言い様のないときめきを感じていた。

色づく葉がみてみたいと泣いたら、赤々と燃える葉を空から降らせるのかもしれない。

9/25/2025, 9:58:58 AM



私と君はわかりあえない。
それはわかっていたことだった。

生きるスピードが違うのだ。
私と君が見据えている方角に寸分の狂いはないはずなのに、ときどき私を見つめるみずみずしい瞳の、その焦点はいつまでもあわない。

悔しさ、恨めしさ、眠っていた感情を揺さぶるすべてを私たちはぶつけ合えるのに、肉体は虚ろのままで震えることすらできないでいる。

私たちは刻々と、規則正しくずれている。
時計の針が重なってまた過ぎていくように。私は君には追いつけない。

でも私は、昔からたった一人しか愛せないのだ。1000年前の人間だったら、私はそのたった一人に殺されてもかまわないとすら思える。その時君は私を私だと知らずに命を奪う。

薄ら冷たい私の死体が君の瞳に映るとき、私たちは初めて同じ時を刻める。それくらい鮮烈な何かを君との間に予感している。

私と君との針がいつか重なりあう、そのひとときにだけ、ただ息をしていたい。


            『時計の針が重なって』

9/23/2025, 1:12:29 PM



湖の底から、星屑みたいな君の骨を掬い上げた。

美しい夏の朝に、君は一人出ていった。まっさらなシーツを床に落としたまま、靴も履かず、僕のほうを振り向きもせずに。

生意気な声、柔らかい唇、耳たぶの薄さ、君がいたときよりにも深く濃く、僕は君のことを考える。
歳月が流れて、湖から身元不明の白骨があがったと耳にしたときも、ただ君のことを思い出していた。

出会った頃よりも痩せた君の背中は血の気がなくて、骨が生白い皮膚から浮き出ているのが服越しにも伝わるのだ。薄い月明かりの下、珊瑚の死骸のような身体はいつも冷たかった。僕はそれを指でなぞるのが好きだった。

生きている。君は生きている。
君はこの広い大地のどこかで息づいている。

君がいなくても、世界はいつも美しかった。君がいなくなった夏の日のように、エメラルド色の木漏れ日が僕の肩を透かし、蜘蛛の巣にかかる朝露は、宝石のようにきらめき震えている。

君はどこかで生きている。
つんとした顔、あどけない頬の思いがけない柔らかさ。この掌にかかった息のぬくもり、今もすべてここにあるのだから。

夜の水面のような歳月が過ぎた。
余命が幾ばくもなくなってから、僕はふと、あの湖へ訪れる気になった。

家族のみなが寝静まった頃、ひっそりと浴びた夜風の心地よさを僕は死ぬまで忘れない。

月夜に沈む湖は、僕を優しく迎え入れた。
鎖骨のあたりまで水に浸かると心臓の動きが鈍くなる。素足に固いものが触れて、そっと掬い上げたときに、あの夏の匂いが甦った。

濡れた小石に混ざる白い欠片。
掌に伝わるこれは、君の骨だとすぐにわかった。

薄い皮膚の下に隠された君の脊椎を、僕はよく想像した。いつか触れてみたいと思っていた。

なぜ、君は出ていってしまったのだろう。

遠くの月は沈み、もうすぐ夜が明ける。
君がいなくても、僕の心臓がとまっても、
あの夏のように美しい世界は訪れる。

君は生きている。
僕と一緒に生きている。


                『僕と一緒に』





9/4/2025, 8:17:21 AM



私は小さい頃に神隠しにあったことがある。

8月の終わりだった。蝉の鳴き声もどこか疲れの滲みはじめた夏の午後、友達と公園で遊んでいて、
その日も夕暮れ時のチャイムで帰るはずだった。

いつまでも家につかないことに気づいたときには、もう公園にも戻れなくなっていた。
見慣れた景色をたどり、用水路の音を聞き、草葉を踏みしだいて歩けども、まるで知らない土地に取り残され、私の存在が切り離されてしまっているかのような、そんな感覚に落ちた。

気づけば涙をこぼしていたし、呼吸も荒くなっていき、沈まない夕日を背に私はついに座りこんだ。
蝉の声だけがじわじわと、お腹の底まで鳴り響く。もう足を動かせない。


「迷ってしまったのか」


その時、突然声がふってきた。思わず顔をあげると若い男の人が私を見下ろしていた。白のブラウスシャツの、あたり見たことのない格好だった。そのままそっとしゃがみこんで、どこか控えめな目線があう。その人のアイスグレーの瞳に私が映る。


「君は綺麗な子だから隠されてしまったんだろう。おいで。」


そういって差しのべられた白い手を、恐る恐るとった。触れた指先の冷たさが巡るように広がり、私の血管を通して心臓にまで流れ込んでくるみたいだった。それがなぜか満ち足りた気持ちにさせられて、いつのまにか涙はやんでいた。

今まで、私はどこに行っても「かわいい」と褒められてきた。それは幼ながらに自覚していたけれど、「綺麗」と言われたことは一度もなかった。真剣な眼差しが焼きついてほてった頬を、夏の終わりの風が撫でてゆく。

その人はとてもいい匂いがした。さくさくと草を踏みしだく音も心地よく、慈しむ響きをもっているように感じた。私はいつしか、ずっとこの時間が続いてほしいと思っていた。

しばらくそうして手を引かれていると、「この辺りでいいだろう」という呟きとともに、繋がれた手が綻びる気配がした。


「ここで見たことや感じたことは、すべて忘れるんだよ。いいね?そうでないと、いずれ迎えにきてしまうことになるからね。」

「どういうこと?」

「得たものは、何も持ち帰らないように、ということ。もっとも、みな自然と忘れてしまうから大丈夫だとは思うが。」


その瞬間に、するりと指先が離れていった。蜘蛛の糸のような、細い光の筋を残して。


「さようなら、お嬢さん」


途端に身体が重くなり、思わずよろけてしまう。いつもの帰り道の風景だ。振り返ってみても、彼の姿はもうどこにもなかった。

あれから月日は流れた。結局、私は3ヶ月ものあいだ行方不明になっていたらしい。今までどこにいたのか、何をしていたのかと散々聞かれたが、何も覚えていないと私は言った。

何ごともなかったかのようにして日常が過ぎてゆく。中学、高校と進学していくうちに、私はますます変に注目を浴びるようになった。他校の男子生徒からも告白されるようになり、周りからは「かわいい」「美人」と相変わらず評価され続ける。

それでも、誰のどんな言葉でも埋められない、いつまでも忘れられない記憶がある。

8月の終わり、白い指先、アイスグレーの瞳。私の身体をゆるやかに侵食した、物哀しい冷たさ。
走馬灯のように淡くゆらめき宙を巡る。

あの人は呆れるだろうか。それとも。

誰にも言えない、秘密の恋。
あの人の迎えは、まだ来ない。

                  secret love
   




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