私の手首をとろりと伝うあなたの指。血管の筋をなぞるたび、そこがどうして青いのか不思議に思う。
親指でぐっと沈められるとたちまち色を失って、私の鼓動は貴方のものになったのがわかる。
「脈、はやいね」
貴方は力を緩めない。悪魔の子どもより無邪気な顔で、桜色の細い指で私のすべてを押し潰す。
「痛い」と思わず漏れた。その唇はうっすらと熱を帯びて、血の色に枯渇している。
このまま私の肉と彼の皮膚が交ざりあい、ひとつの細胞が形成される。その光景がじりじりと脳の一部に焼きついて、眩暈がした。
みんな死んだような色の季節がめぐると、不思議と君がまだどこかで生きているような錯覚をする。
夏の間、蝉の声に掻き消されていた細やかな息づかいと、もう死んでしまったものの冷たい心音が聴こえてくる。だから冬は嫌いなんだ。
君に会いたくて、ありとあらゆる迷信を実証しようとした。しかし異世界に行くことはなければ、霊の気配を感じることもなく、そこにはただ、君がいなくなってしまったときから何も変わらない私がいる。
しかし私は老いていく。年だけは立派に重ねていって、流す涙の味も薄くなり、私の背後に横たわる君の死に近づいていく。それは嬉しいことだけれど、トパーズの欠片を寄せ集めたみたいな君の記憶も、私の命が尽き果てれば、そのきらめきを失ってしまうんだろう。
なかったことにならないかと思う。
何もかもがなかったことに。
何に才能があろうとも、金にならないと言われてしまえば、それに反論する術を私は持っていないから。食っていけない。生きていけないと言われて、実際そうなのだとそこで止まっている私がいる限りは。
人と同じように並ぶために、いつまでも馴染めないものを目指して、どうせこのまま生きていくというのなら。鍋底で煮え切らない骨の屑のように、順応しているふりをして、つまずいて、呆れられ、信頼されず必要とされず、積み重なってゆく記憶に蓋をして笑うなかで、ふっと訪れる虚しさにこたえながら生きていく、その連続が私の人生だというのなら。いっそ最初から、私という存在がなかったことになってしまえばと。そう考えているときだけ、ぼやけた思考回路がクリアになって、はじめて、ただ一点だけを見据えることができるようになる、そんな錯覚をする。
弱々しい鳴き声の子猫は、真っ先にカラスに食われるだろう。人間は弱々しい声をあげてるだけでは誰の目にも止まらない。そこが辛い。
聞こえない、もっと大きな声を出せと、
どうして声が出ないのかといわれるだけ。
だから、命有る限りは、ただ、生きるしかない。
マイナスから0になるために、そのために、生きることしかできない。
私が押し出したはずの声は秋の風に揉みちぎられてしまうのか、心臓とか肺とか、どこかの空隙に落ちてしまうみたいだ。金木犀の花弁が地面に落ちてもその香りはいつまでもとどまっているのに、私の声はどこにも残らない。あの日、あの時、届かなかった言葉たちは冷たい腹の底ではらはらと積もり、
枯れ葉によく似た骸となっているんだろう。
昔から声が小さかった。何か話そうとするたびに喉がきゅっとすぼまって、酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせることしかできない。私はただ、この何色でもない空気に溺れているのだと思った。みんなが何気なく吸っては吐いてを繰り返すそれを、まるで重たい水流のように受け止めてしまうのだと。
泣きべそばかりかいていた私を、気だるげに、いつもやさしく引っ張ってくれたのは、5歳上の兄だった。
「だいじょうぶ」
だいたい、兄が私の目をみることはなかった。
あわない視線をたどって、ぶっきらぼうに差し出された掌に私の手を重ねる。人気者の兄は、私を厄介に思っているのかもしれない。
でも繋がれた手は、その隙間から零れ落ちるものがないほど密着していて、互いの体温を逃がさない。年のわりに落ち着いた兄の声は、混ざりけもなく私の内側に触れてくる。
「だいじょうぶ」
それは、見た目も性質も真反対な兄と私の時間を
結ぶ合言葉だった。「この子はこの先苦労する」とか、親を悩ませ先生を呆れさせ、そんな私に与えられた密かな想い。
兄が私を鬱陶しく思っていても、兄と交わす「だいじょうぶ」の時間を、私は生きていた。
あの、小鳥みたいに泣いていた幼い日は遠くに過ぎた。冬の来る頃、兄は幼なじみと結婚する。もう私の触れえない場所にいってしまう前に、私は相変わらずの小さい声を振り絞って、伝えたい言葉があった。
「私、もうだいじょうぶだから。」
合言葉。私から言ったのはこれが最初で最後だ。
なぜなら、兄からの「だいじょうぶ」を聞けることは、いつまで待ってもなかったから。
気丈な兄の、不安と切なさが複雑に入り雑じった、見たことのない表情。それから、影のある微笑みを浮かべる。
遠い秋の空の下、はじめて、兄の瞳の深くをみたような気がした。
幼馴染みと指先が少し触れあっただけで、妙な空気が張りつめる。そのまま繋いでしまえばいいのに、もう子どものようにはいかない。
あれだけ大人になりたいと思っていたのに、
年を単純に重ねてもいつまでも子どものままでいて、変なところで大人だと感じるをえなくなってしまったのだと実感する。
言葉の数を知るほど無口になる。
人の心がわかるようになるほど触れあうのが怖くなる。愛を知るほど痛みが増える。
たとえ幼馴染みだとしても、男女であるというだけで大きな意味が附随されてしまうし、それに応えなくてはと身体のどこかで感じているのかもしれない。二人きりでどこかに出かけるのにも、ただ指先を触れあわせるのにも、そこに理由を求められている。「距離感おかしいよ」と言われる。お互いに恋人がいればなおさらだ。
複雑な関係ではなかったのに、そんな風に思うだけ、私が変わってしまったのだ。さっき指先が
重なったのにも「ごめん」と咄嗟に呟いていた。何が「ごめん」なのかわからなくても。あれだけ切望しつづけてきた大人になってしまった。
もう子どものようには。