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サナトリウムで療養することになった、
妻の身辺整理をしているときのことだった。

心を閉ざしてから、彼女は子ども部屋で1日のほとんどを過ごしていた。

机の上に残された大量のスケッチブックには、彼女が描いたクロッキーやエスキースでびっしりと埋めつくされており、そのどれもが未完成だ。

ときどきまっさらなページもあるそれらを、
僕はもくもくとポリ袋の中へいれていった。

そうしているうちに、ふと、なめらかな机の表面に何か書かれているのをみつけた。まるで、小学生のいたずらな落書きのように。妻の字だ。

それをみて、僕は今度こそ頭が真っ白になった。


『 過去につれていってくれるものが記憶
  未来へつれていってくれるものが夢 』


H.G.ウェルズの小説『タイムマシン』のなかの台詞だった。結婚前に、僕が彼女にあげた小説だ。
僕は目眩のする思いで、膝が震え、それでも何とか立っていた。

望んだ結婚ではなかった。少なくとも、彼女にとっては。当時、彼女には恋人がいた。地位は低いが、美しい男だった。

家柄で結びあわされた婚姻関係だったとしても、
僕は彼女を愛していたし、愛せることを証明したかった。

それでも、僕の存在により、いっそう熱病のような恋に浮かされている2人をみて、邪悪な魔が差したのだ。彼女を妻にできるのなら、あの男から永遠に
奪ってしまえるのなら、後先もかえりみなかった。

僕と彼女はついに結婚し、まもなくあの男は自身に刃を突き立てた。

恋人の死を知ってからというもの、彼女の命の輝きは失せていってしまったのだと思っていた。
が、それは違うと、ずっと僕の恐れていたことが
残酷なまでにはっきりとしてしまった。

君のなかで、あの男はまだ生きているのだ。
あの男の体温を記憶して、熱病のような恋の続きを夢にみている。君は心を閉ざしてしまったのではなかった。そうやって、あの男と逢っていたのか。

もしもタイムマシンがあったのなら、君の身体も
今ここにいないだろう。真っ先にあの男のもとにいって、二度と帰ってこない。

わかっていたことだった。
もう、僕の敗北だ。


7/22/2023, 11:26:03 PM