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6/26/2023, 9:55:32 AM

君はとにかく横暴で、ガサツを絵に描いたような
人間だった。

上級生と喧嘩ばかりしているから、日に焼けた顔はいつも擦り傷だらけで、人の心配も笑い飛ばす。

正直君のことは嫌いだった。周囲から優等生といわれて、日々平穏を心がけている私の杞憂を、君は
豪快に丸めて放り投げてしまう。

それなのに中2のとき、私は君と、職場体験で老人ホームに行った。問題児の君と、優等生の私を先生は組み合わせるしかなかったのだ。

流れる汗も乾くような暑い日だった。
老人ホームの中庭を掃除しているとき、いつも乱暴に動く君の手が、ふととまっているのに気がついた。

うだる暑さに目を細めて、植木鉢いっぱいに溢れる真っ赤なハイビスカスを、君はじっと見つめていた。ハイビスカスなんて、別に珍しい花でもないのに。


「俺、小学生のとき、沖縄に住んでいたんだ。」


君の呟きに、私は「そう」とこたえた。君の出自になんて興味がなかった。

でも次の瞬間、その腫れぼったい瞳から流れ落ちるものをみて、私はぎょっとした。

ぽろりぽろりと、海の雫が落ちてゆくみたいに、
君は涙を伝わせていたのだ。人はこんなにも静かに泣けるものなのかと、私は息を呑む思いで見つめることしかできなかった。

結局、それから私たちは終始無言で、特に何事もなく職場体験は終わった。中3になると君とクラスも離れて、涙の理由もわからないまま、あれからもう関わることはなかった。

高校の修学旅行で初めて沖縄に行ったとき、
あの華やかな花たちがお墓にばかり咲いていてたのには驚いた。

ハイビスカスの花びらにそっと浮かぶ朝露は、あの日どうしてか泣いていた、君の涙のようだった。


6/20/2023, 9:51:02 AM

雨の夜は、どこもかしこもきらきらと、妖しい光に満ちている。雨で銀色にそまる歩道を、ひとりじめにするのが私は好き。

だから君の傘の下は、息苦しくって溺れそう。
いつもはみえない透明な膜が、私たちを包み込んでいるのがわかる。

いっそのこと傘をとじて、この雨の夜に飛び出そうよ。2人で本当に溺れてしまうのが気持ちいい。

6/19/2023, 8:55:36 AM

イカロスの墜落。

美しい海と、のどかな街の風景のはしに
まさに今、溺れ死のうとしている人間を見つけた。

秋の夕日をなめらかに照らしだす水面には、逞しいイカロスの脚が突き出ている。

ゆうゆうと浮かぶ船の帆は、はち切れんばかりに膨らみ、小舟は大きく傾いていて、その落下の衝撃を物語っている。

しかし、誰ひとり、その異変に気がついていない。
過ぎゆく日常の片隅に、イカロスはただ落ちた。

無情で無関心。彼の翼を焼いた太陽だけが、
沈むイカロスを見つめている。

6/16/2023, 10:35:27 PM

悲しみの輪郭をなぞるように白い花に触れた。
細く細く糸を重ねて織った心が、はらはら崩れていくのがわかる。

月日は経ち、星は流れて、木洩れ日に翳る夏がやってくる。1年前に地上に落ちた君が、そろそろ空に昇ってゆくのを私は黙って見届けるつもりだ。

君のことは誰も知らない。知るよしもない。
誰も知らないまま、知られようとしないまま、君は夜の静けさに溶けて、光を求めることもない。

庭に埋めた月下美人は、今年も冷たい色を咲かせた。君の面影を永遠に残して。


6/15/2023, 11:03:07 AM


『緋色の研究』


いわゆる純文学みたいなのが好きで、謎解きとか、探偵や刑事。魅力的なキャラクターが活躍する推理小説に、なんとなく苦手意識を持っていた12才のとき。図書室でたまたま手に取った。

はじめて、本を読んで泣いてしまった。
探偵小説でありながら、ひとつの文学作品として、心の底から惹きこまれた。

シリーズものも苦手だったのに、あっという間にシャーロック・ホームズシリーズは読破して、はじめて自分で買ったのもこの本。

あの日読んだときの衝撃と感動は、今も鮮やかに残っている。再び味わえないはじめての感情を追うように、中学、高校、ずっと読み返してきた。

本の数だけ好きはあって、相変わらず本といったら純文学ばかり読んでいるけれど、いつまでも大切な1冊。




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