イカロスの墜落。
美しい海と、のどかな街の風景のはしに
まさに今、溺れ死のうとしている人間を見つけた。
秋の夕日をなめらかに照らしだす水面には、逞しいイカロスの脚が突き出ている。
ゆうゆうと浮かぶ船の帆は、はち切れんばかりに膨らみ、小舟は大きく傾いていて、その落下の衝撃を物語っている。
しかし、誰ひとり、その異変に気がついていない。
過ぎゆく日常の片隅に、イカロスはただ落ちた。
無情で無関心。彼の翼を焼いた太陽だけが、
沈むイカロスを見つめている。
悲しみの輪郭をなぞるように白い花に触れた。
細く細く糸を重ねて織った心が、はらはら崩れていくのがわかる。
月日は経ち、星は流れて、木洩れ日に翳る夏がやってくる。1年前に地上に落ちた君が、そろそろ空に昇ってゆくのを私は黙って見届けるつもりだ。
君のことは誰も知らない。知るよしもない。
誰も知らないまま、知られようとしないまま、君は夜の静けさに溶けて、光を求めることもない。
庭に埋めた月下美人は、今年も冷たい色を咲かせた。君の面影を永遠に残して。
『緋色の研究』
いわゆる純文学みたいなのが好きで、謎解きとか、探偵や刑事。魅力的なキャラクターが活躍する推理小説に、なんとなく苦手意識を持っていた12才のとき。図書室でたまたま手に取った。
はじめて、本を読んで泣いてしまった。
探偵小説でありながら、ひとつの文学作品として、心の底から惹きこまれた。
シリーズものも苦手だったのに、あっという間にシャーロック・ホームズシリーズは読破して、はじめて自分で買ったのもこの本。
あの日読んだときの衝撃と感動は、今も鮮やかに残っている。再び味わえないはじめての感情を追うように、中学、高校、ずっと読み返してきた。
本の数だけ好きはあって、相変わらず本といったら純文学ばかり読んでいるけれど、いつまでも大切な1冊。
天の海に 雲の波立ち 月の船
星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
まどろむ雨空の、その向こうにさす景色を想い描いてみる。千年前から変わらない空を。
「水の器」といわれたのも、夜のあじさいをみれば頷ける。
薄い藍色は、時にガラスのようにはらはら透けながら、夕闇にひっそりと隠れてしまう。
その葉陰に蛍が光って、夢幻の花をみせる。花びらに浮かぶ露は月光を吸い込んで、淡いゆらめきを湛えている。
梅雨の水面を映したような、静けさのある花だと思った。
「この子たち、海蛇だったのよ。」
君の言葉を、昔は笑った。どうして海蛇なんだろう。相変わらずファンタジーな世界に生きている君らしいと思った。
でも、虫の音もしない梅雨の夜にひとり。
しっとりと濡れるあじさいは、まるで生きているようにみずみずしく、あでやかに咲き誇っている。
あじさいは「水の器」という意味があるんだ、と教えたのは僕だけれど、君はそれを海と解釈したのかもしれない。
たっぷりと水を含んでいるあじさいは、確かに陸に咲く小さな海のようだ。だから、母なる海をつかさどる神の姿に重ねていたのだろう。
でも、僕には今ようやく見える。
君にも、見えていたのだろうか。
無数のあじさいの中にひそむ青い海蛇が、
重い頭をもたげている、その姿が。