朝焼けの、桃色の海に飛び込んだら生あたたかくてびっくりした。
きらきら消える朝と、命のぬくもり。
文学なんて勉強して何になるの?
進路に悩んでいた高校生のとき、情報系の分野を
目指す友達から何気なく言われて、私は言葉につまってしまった。その子に悪気はなかったのだとは思う。
本が好き。だから日本文学を学べる学科にしよう。
それくらいのシンプルさで、漠然と文学部に進むものだと考えていた私は恥ずかしい思いをしなければならないのかと、妙に縮こまってしまった。
でも、同じ文学部を志望する別の友達は、その問いにさらりとアンサーを出してきた。
文学を学ぶって、心身を削って考えて考えて、考え抜くこと。つまり物事に対する考え方や価値観を学んで、自分の生き方に反映させることだと思う。
これから経験する深い悲しみ、憤り、後悔、自分の力じゃどうにもならないこと、それらにどう向き合っていくか、生きる対処法を身につけることができるでしょ。
避けようのない人生の岐路に立ったとき、
文学の学びを通して得たものが道を開いてくれる、自分を自分たらしめる指針になるって、私は信じているから。
だいたいこんなような演説をしてのけて、私はぽかんとしてしまった。彼女はまだ18才になったば
かり。胸の底でくすぶっていたものを根こそぎえぐり取られたような衝撃だった。
そして私は、そこではじめて「キロ」という言葉を知った。だからこの言葉を目にするたびに、あまりにも眩しかった18才の彼女を思い出してしまう。
ずっとこの日を待っていた。
僕にやさしく触れてくれた君の白い手は、もう朽ち果てている。そうか、君はこのまま土に還るんだ。
その骨は、いずれ夜空に碎け散って無数の星になる。そうして次の世界の夜に生きるんだね。
金糸の髪は、地上に差す太陽の光だ。薔薇色に染まっていた君の頬。柔らかい皮膚の下に流れた血潮は、いつかほんもののの花になる。
君を拒んだ暗い世界も、遠くからみれば光の森にいるみたいなんだろう。醜くて、残酷で、かけがえのない世界だ。
僕の世界は、君とともにもう終わった。
今はただ、君の隣で眠りたい。
きっとこれからも、世界は光に包まれていて、人々は退屈でいとしい日々を生き、まるで僕たちのことなんてなかったかのように、陽が昇っては沈んでゆくんだ。
いつか僕らの朽ちた身体が引き剥がされるとき、それは終わりではなくてはじまりだね。
今度こそ、新しく平等に生まれ変わった世界に生きることを夢見て。
20℃50%。
ピアノにとって理想の数字だ。
つまり、紫陽花が雨にしとど濡れるこの時期は
音が狂いやすくなる。人間も同じようなものだ。
たとえば雨の日にばかり、遠い昔にやめてしまったピアノを弾きたくなることとか。湿ったピアノは鈍く響いて、私の指ものろのろと、思い出を探るように動くばかり。
低気圧で死にかけの私と、憂鬱なピアノの音色。
その不調の重なりが妙に心地よくて、薄ら暗い曇天の心模様にマッチするんだ。
だから梅雨なんて、まるで生きた心地がしないよ。
そういいながら、あなたは今日もピアノを弾いている。ほとほと参っているような力ない微笑みを浮かべ、それでもあなたの繊細な指は、正確に音を叩く。
雨の日のあなたのピアノを聴くたびに、私は胸の高鳴る想いがする。「梅雨だからね。君の調子も狂ってるのかもしれない。」なんて、あなたは笑って返すんだろう。
僕は今日も船を漕ぐ。3年前、この海で姿を消した彼女を探して。
つまらない喧嘩をした。この先に待っていた僕らの未来を考えたら、本当に小さくてくだらないことを言い合った。
ずっと島で育ってきた彼女にとって、この青い海とは離れがたいものだったのだ。結婚したら本土で一緒に暮らせるだなんて勝手に思って、僕は彼女に酷いことを言ってしまった。
「もうここに戻ってこれないなんて、そんなの絶対に嫌よ。」
泣きながら飛び出した彼女が向かったのは、確かにこの海だ。僕はあとを追いかけたのに、彼女の姿はどこにもなかった。
呆然とする僕の前にはただ、恐ろしいくらい静かに、暗がりの海が凪いでいた。
あれから僕は島に残って、船を漕ぎつづけている。君は、僕を許してないんだろう。だから帰ってこないんだ。この海のどこかで、君はひとり息を潜めているのに違いない。
今日は、いつもより穏やかな曇り空が広がっていた。冷たい風が心地よく、このまま君を探してどこまでも遠くにいってしまいたい気がした。
ふと、船の底が揺れる。
あ、と思ったときには、僕の身体は水中にいた。
青空のように遠のいていく水面に、透明な泡が吸い寄せられる。息ができなくて、重い身体はずんずんと暗い底に沈んでいく。
あがこうとする本能とは裏腹に、意識は自分を手放していく。僕を押し潰してきた後悔とともに。
ごめんね
懐かしい彼女の声が、聞こえた気がした。