彼は中2の夏に転校してきた。
伏せる瞼にどこか影のある真っ白な美少年で、女子も男子も彼にドキドキしていた。
半袖からのびる腕には、大きな傷跡があった。
赤黒いそれは生まれつきのようにも、何かひどい事故にあったかのようにもみえて、誰も彼のそれに触れることはなかったのだ。
隣の席だった私が、思わず聞いてしまうまでは。
「その傷、どうしたの?」
彼は、その綺麗な顔をこちらに向けることなく、淡々と話した。
「昔、猫を殺したんだ。」
窓にはりつく蝉が、私の耳を蝕むようにけたたましく鳴いていた。
「それからこの傷ができた。どんどん大きくなっている。もう隠すことも諦めた。」
彼はそれから、数ヵ月もたたないうちにまた転校してしまった。私はしばらく、半袖姿の彼が目に焼きついたままでいた。
今でも夏がくると、あの猫の目の形のような、おぞましい傷痕を思い出してしまう。
君の天国は私の地獄のもとにできている。
貴族の君と貧しい労働者の私。柔らかくてしなやかな君の手と、あかぎれだらけの私の手。
はなから生きる世界が違うのだ。君のその柔らかさに私は癒されて、なけなしの自尊心を傷つけられる。
君はなぜか私のことを好きになってくれたみたいだけど、心と身体が求めたって私たちがわかりあえることは一生ないよ。
少なくとも、君が幸福であるうちは。
せめて君の地獄が私の天国を支えてくれたのなら、私たち初めて目線があうのに。砂金ほどの君の悩みも聞いてあげられるのに。
潮汐のはざまに、私はあなたをみつけた。
まるで宝物のように、あなたは白い砂のうえに横たわっていたのだ。
あなたは人間じゃない。真珠のような肌や冷たい瞳は夕空に透けて消えてしまいそうに、淡いきらめきを秘めている。
あれからも潮はひいては満ちていくけれど、あなたの姿をみたのはあれきりだ。あなたは今でも、私の瞼の裏に潜んでいる。
あなたは、水中都市の忘れ物だったのだろうか。
青い海に沈んでゆく街を、ずっとひとりで眺めていたんだろうか。たゆたえども沈むこともなく、あなたは孤独の海をさ迷っているのか。
自然はいくつもの神秘を可能にする。
月の引力は太陽や地球と複雑に絡みあい、あなたの姿を露にした。
だから月に願いをかけてみる。
あなたが私の幻でないことをいまいちど証明してほしい。
君の秘密は裏庭にある。
雨の日にひどく怯えるのはそのせいなんだろう?
君は悪くない。君の親父は本当に最低な生き物だったから。父親のいた痕跡をすべて燃やして、ナイフまで埋めたのはいい判断だった。警察もただの失踪事件として扱っている。ほとほと困り顔だ。
君がそれを埋めたのも、穏やかな雨の晩だったね。
もちろん、君の秘密は僕の秘密だ。死ぬまで明かしやしない。
いつか、雨でぐずぐずになった土の表面に白い骸が浮き出てきたって、僕が完璧に埋めなおしてみせるさ。
だからこれからも、降りやまない雨の夜は、
僕のもとへ来ればいいよ。永久に。
たとえば、自らの糸に絡まって死んでしまった蜘蛛なんていないだろう。でも、ときどき人間は、自分の編み出した糸に絡めとられて息ができなくなることがある。
それがいいものにしろ、悪いものにしろ。
僕が彼とキスをしてしまったのも、僕たちを縛りつけるそれぞれの糸が奇妙に絡み合ってしまった結果ともいえる。
周りからのけ者扱いにされてきた君と、両親に捨てられた僕。僕たち2人の孤独を求める魂は、どういうことだか強い引力で引き合わされてしまったようなのだ。
月のない夜だった。僕は、僕のたった一言が永遠に君を捕らえつづけてしまうのだとわかっている。わかっているのに、だからこそ、とどまることができなかった。
「僕も君を愛しているよ」
君は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
僕は男に性的な興味があるわけではない。彼に恋情を感じているのかもわからない。
もう誰も愛したくない。
石のように孤独でいたい。
そういう僕らの望みは皮肉にも、互いに情愛を植えつけ結びあわせる強い呪縛になってしまったんだろう。
僕は今夜も君に触れる。その体温は蜘蛛の糸のように僕たちを絡めとり、もう逃れることはできない。