意識はしてないが、捉え方によっては注意
「ねえ」
突然、話しかけられた。
「なに、×××」
できるだけ明るい声で返したつもりだったが、寝起きで掠れていたらしい俺の声は、ひどく気持ち悪く感じた。
「俺、引っ越さなきゃいけなくなっちゃったんだ」
初耳だった。お前からそんな話は聞いたことがなかった。
「…へぇ、そうなのか」
どこに引っ越すのだろうか、ここから遠かったらもう会えなくなるのかな、なんてことを考えながらテキトーに返事をする。
「え、もっと悲しんでくれるかと思ってたのに」
「いや、別に死ぬわけじゃねえだろ」
残念、と口を尖らせて目を細める。
「そうだけどさ、会えなくなるんだよ」
まあ、それは確かにそうだ。
ほぼ毎日ここに来て、いつも遊んでいる俺たちが離れたらどーなるんだろ、とは思う。
「…安心しろ、いつでも会いに行ってやるからよ」
そういうと、お前はその丸くて大きな目をさらに開いて、きらきらと輝かせた。
「嘘じゃないよね」
「嘘なんてつかない」
「うれしい、ありがとう」
「これからも沢山あそぼーぜ」
「うん」
これからも、君と
「ねー、何してるの」
「ん?」
「ぼーっとしてたから」
「いや、空、見てただけ」
「空?」
「うん。あれ、みえる?」
「えー、?月?」
「よくわかったね」
「そこまで馬鹿じゃないんですがね」
「夜ってさ、月が輝くじゃん」
「そうだね」
「夜の月ってみんなが見てるじゃん」
「うん。まあね」
「てことは夜の月はみんなのものじゃん」
「うん」
「でもさ?明るい時の月ってみんなみないよね」
「確かに…!」
「ね、でしょ?」
「俺しか見ないでしょ」
「そうだね?」
「そしたら、この月はおれのものだよね?」
「うん…?そうだね」
「俺は、月が欲しいんだ」
「夜はみんなのものだけど、明るい時は俺のもの」
「たしかに!」
「でも月は手に収まらない」
「うん」
「だから、その代わりに毎日見てるの」
「月を?」
「うん」
「えじゃあ、俺見たらダメ?」
「うーん、まあ、仕方ないから、今日だけ見せてやってもいいよ」
「ありがとう」
「うん」
「はじめまして!私はこのホテルを経営しているベルマンで御座います!ご予約はされていますでしょうか?」
「えっと、…」
目を開けたら、知らない場所にいた。
知らないっていうか、見たことないホテル。
ホテルの中は古びていないけど、なんとなくそういう雰囲気があるところだった。
「予約をされていないのでしたら、おすすめのお部屋に案内いたしましょう」
このベルマンさんは、優しい。帽子を深くかぶっていて、顔が見えないけど。
「ありがとうございます、すみません」
「いえいえ、大丈夫ですよ!ここに来る方は貴方のような方が沢山いらっしゃいます」
「…あの、自分記憶がなくて」
「承知致しました!証明書などは不要ですので、ご安心ください!では、こちらがお部屋のキーとなります」
「あ、ありがとうございます」
「朝食は朝6時半から、夕食は夜7時となります。昼食はご希望される方のみつけさせていただいておりますが、お客様はどうなさいますか?」
「えー、じゃあ、つけてください」
「承知致しました!メニュー一覧はこの用紙に記載されていますので、アレルギー等ご確認を。あ、あそこにアメニティグッズがございますので、ご自由にお使いください」
「、分かりました」
「あぁ、それと」
「はい?」
「必要のない外出は、抑えるようにお願い致します」
「…?分かりました」
「では!よい宿泊になりますように」
「いってらっしゃいませ!」
「ふぅ…」
案内された部屋は、綺麗で文句のつけどころがない部屋だった。theホテルって感じ。
軽くシャワーを済ませて、髪の毛をがしがしとタオルで撫でまわしながらさっき貰ったメニュー表をみる。
「へー」
嫌いなものはなさそう。アレルギーもないしなあ。
「え、そういえばここ何泊すんの?聞いてこなかったけど」
困惑の声だけが部屋に響いた。
「…ん」
めっちゃ眩しい。昨日は来たのが夜だったから、カーテンを閉めるのをすっかり忘れてそのまま寝てしまった。
「今何時〜…」
近くにコードに繋がれているスマホをみると、その画面は[6時20分]をさしていた。
「えっ!?もう朝食来るやん!」
急いで持ち前の寝相で乱れているナイトウェアを直して、冷たい水を顔に浴びせるために洗面台に駆け足で駆け込んだ。
「…お休みのところ申し訳ありません、朝食をお持ち致しました!」
聞いたことがある声だ。はっきりしていて、少し高めの声。
昨日対応してくれたベルマンさんだということが分かる。
そこらへんのタオルで顔面を拭いて出た。
「すみませんっ!ありがとうございます」
「いえ、これが仕事ですから。…お客様、失礼なことをお聞きしますが、寝起きですか?」
何故、バレている?
「え、そうなんですよ…よく分かりましたね」
「いえ、いつものところが跳ねて」
「?いつもの?」
「っ!なんでもありません、失礼しました。ただ、後ろの髪の毛が少し跳ねていたので」
「うえ!恥ずかしっ!!」
「…ふふ。大丈夫です、きちんと休むことができた証拠ですから」
「…はは、ありがとうございます!」
「こちら、朝食です。何かありましたら、カウンターまでお電話を」
「はい!」
「では、失礼します」
「朝飯朝飯〜」
テーブルの上に朝食を置いて、部屋に常備されているコーヒーをいれる。こういうときはブラックなんだよな
今日のメニューは、トーストとコーンスープ、サラダにスクランブルエッグとベーコンチーズ、うさぎ型に切られたりんご。
なんとも豪華である。普通にうまそう。
「腹減ったー…早く食べよ」
コーヒーをおいて、トーストについている林檎ジャムをぬって口にいれる。
「え、うまっ!」
林檎ジャムが想像以上にうまい。
市販のものなんかじゃなくて、きちんと工夫して作られているんだなってわかる。甘すぎなくて、食べやすいさっぱりしたジャム。
「んー、いいなあ」
腹が減っていた自分は、すごいスピードで口に放り込んでいく。こんな洒落ついているホテルですることじゃないだろうが、俺は今一人なんだから別にいいだろう。
「あー、うまかった」
最後に残したのはこのウサギのリンゴ
…あれ?このりんご、うさぎの形どっかで見たような、?
まあ、気のせいか。
テキトーに放り込んで、皿が乗っているトレイごと外の置き場において部屋に戻った。
「風、強っ…」
「なあ、知ってるか?風というのはな、沢山のものを運んで来るんだ」
「は?何急に。ロマンチストみたいなこと言って」
「こういうのは、ロマンチストって言うの?ふーん、そっか」
「その反応ビミョーすぎるだろ、もう少し、なんかしろよ」
「いや別に、風が色々運んで来るのは事実だろう?」
「あーもう、話通じねえ」
「風にはな、いろいろな意味があったりするらしい」
「…へー、そうなの。たとえば?」
「いや、俺は知らないけど」
「じゃあ言うなよ」
「別にいいじゃないか。人には発言する権利が」
「あー!!はいはい、うるさいです」
「…ふふ」
「?何、気持ち悪い顔して」
「それは失礼だろ。お前の髪の毛が靡いて面白いと思っただけだ」
「は!?ちょっと、はやく言えよ」
「面白いから、言わない」
「ねぇ!なんでだよ!」
「いいから、はやく行こうぜ」
「いや髪の毛なおんないって!まって」
「待ちません」
「くっそ、お前も変な髪型になれ!」
「うぉっ!?…おい、やめろよw」
「うるせーw!」
「…ねえ、なんで泣いてるの」
呟くようにそう言うと、君は悲しそうに顔を歪ませて、大きなしずくの粒を溢した。
「わからないのっ…?」
「えー、ごめん…わかんないかも」
戸惑いながら返すと、君は目を鋭くして、僕のことを睨む。
「…」
何も言ってくれないから、段々と不安になってしまう。
「えっと…僕が何かしちゃったなら、ごめんね?」
「何もわかってないくせに、そう言ってる?」
君に謝罪をすることしか僕には思いつかなかったから、とりあえず謝罪をしたんだけど、それが君は気に入らなかったのか間髪いれずに次話そうとした言葉を遮られてしまった。
「そう言うわけじゃなくって…んー、そうなのかな…?
ごめん、何にも覚えてないんだよね」
眉を下げて、申し訳なさそうな顔をすると、君は僕の手をぎゅって握ってくれた。
「いつか、きっと思い出せるから…自分のことも、みんなのことも」
「そっかあ、ねえ、もう泣かないでよ」
口角を少し上げて、励ますように手をぽんぽんと叩いてやる。
「僕が泣かせちゃったみたいじゃんか」
「…まあ、違くはないかもね」
「えっ」
「全部、思い出したら分かるよ」
「えぇ…じゃあ悪いの結局僕じゃあん…」
「へへ、そうだよ」
「その涙も、僕のせいなんだもんね。ほんとにごめん」
「…じゃあさ」
そこまでいって、君はにやついた表情をみせた。
「じゃあ、いつかこの涙、嬉し涙にしてよ」
「…!…もちろん」
そう言う君は、すごく綺麗で、美しかった。