君は、冬の日坂道で滑って、車に轢かれて死んだ。
と思っていたのに。
目の前には、君の姿があった。
傷ひとつない、いつも通りの笑顔を浮かべる君。
「なんで」
君の目を見てそういうと、君は椅子から立ち上がって、こちらに歩いてきた。
「痩せちゃったね」
君の手が、俺の頬に触れる。
優しく撫でるその手は、温かい。
「…そうだね。痩せちゃった」
必死に、口角を上げて笑って見せる。
「ごめんねえ」
眉を顰めて、申し訳なさそうにする君。
「ほんとうに、死んじゃったんだ」
この温かい手の体温も、透けてない君の身体も。
生きていると思わせるには、充分すぎるのに。
「また、会いに行くからね」
「ほんとうに?」
君の手をとって、優しく握りしめる。
もう会えないだとか、もう触れられないって考えていたら、気持ちがぐちゃぐちゃになってしまう。
君が、目の前にいるのに。
「本当だよ。絶対」
俺の頭をなでて、君は、俺の大好きな笑顔でふんわりと笑った。
「忘れないでね」
そう言う君は、天使みたいに美しかった。
「当たり前でしょ、俺が忘れるわけないじゃん」
君のこと、ずっと考えてるよ。
「くそ〜っ…」
土砂降りの中を、必死に走る。
降る雨が体の体温を奪っていくけれど、そんなこと気にしていられない。
はやく、会いに行かないと。
「…うぉっ!?」
最悪だ。こんなところで転ぶなんて。
全身びしょびしょになってしまった。
「ダッサ…」
転んだ結果、手の甲を擦りむいてしまった。
血がどんどん滲んでいく。
急いで、ポケットからハンカチを取り出して、止血する。
蝶々結びをして、固く固定する。
「よし」
勢いよく立ち上がって、足を進めた。
「ごめんっ!!」
そう言いながら、合鍵を使ってドアをあけた。
「…ん、まってたぁ」
顔を真っ赤に染めて、ソファに寝ている君は、いつも以上に目頭がとろんとしていて、呂律がきちんと回っていないように思える。
「ごめんね…」
頭を優しく撫でると、君の手が俺の手に触れる。
異常に、体温が高い。
「ふへへ、手、冷たい」
は?可愛いすぎるじゃないか。
それは、反則だろ。
「…ねえ、熱あるでしょ」
君は、少し肩を震わせた。
「そんなことないよ」
君は、平気を装ってそんなことを言うけど、俺にはわかる。
嘘をついている顔をしている。
「嘘だ。本当は、辛いくせに」
鋭い目でそう言ってやると、君は眉を顰めて、涙を大きな目いっぱいに溜めた。
「…つらいよお、助けてえ」
「うん。やっと言えたね」
えらいね、と言いながら、体を起こす。
「…何して欲しい?」
そんなの看病に決まっているだろ、と言われるだろうが、
相手はかなりの強情っ張りである。一筋縄では行かない。
こう言う時は、何をして欲しいのか聞くのが一番良い。
「みず、欲しい。」
「うん」
「あと、アイス」
背中を優しくさすりながら、耳を傾ける。
「それで、今日一緒にいよ?」
やっと、言ってくれた。
「わかったよ」
水を持ってこようとソファから立つと、君の手が俺の服をきゅっと掴んだ。
「…ごめん。今日、忙しかったでしょ」
俯きながらそういう君は、見ていられない。
「いや?今日、暇だったよ」
君の前に屈んで、手を握ってやる。
「ほんとに?」
「うん」
すると、君は眉を下げてふにゃりを笑った。
転んでも、嫌なことがあっても、君が笑っているだけで一日が良い日になる。
そんな顔が、俺は大好き。
「だって、今日は雨だからね!」
「ねえっ!どこいっちゃうの…?」
俺の服の裾をきゅっと掴んで、引っ張る君。
「…知らなくて良いよ」
これは本音。本当に、君は知らなくて良いんだ。
「なんで!ずっと、一緒にいるっていったじゃんっ…?」
不安で今にも溢れ落ちそうな君の目頭を、優しく撫でる。
「ごめんねえ」
俺がそう言うと、君は堪えていたしずくを、ぼろぼろとこぼして、俺の服を濡らした。
「なんなんだよ、約束しただろお」
嗚咽のせいで、呂律が回らなくなってきた君の手をとって、両手で包む。
「約束、忘れてないよ」
君の腰に手を回して優しく抱きしめると、君は俺の服を顔に近づけて、わんわん泣いた。
「絶対に戻ってくるから、ね?」
「…ほんとに?」
俯いていた顔を上げて、こちらを見る君。
その顔は、真っ赤に染まっていて、絶え間なく、しずくをこぼし続けていた。
「ほんとだよ」
裾を指で引っ張って、しずくを拾ってやると君は安堵したような顔をして、口角をくいっと上げた。
「…約束だからね」
「うん」
「やぶったら、ゆるさないんだからねっ!」
俺の服をぐいぐいと引っ張ったりして、ぴょんぴょんとジャンプをする君を見ていると、俺はなんでもできる気がしてくる。俺って、呪いかけられてるのかな?
「え〜、何されちゃうんだろう」
ニヤついて、冗談まじりにそういうと君は大きな目を細くして、顔を近づけた。
「…こうだよっ!」
俺の服を掴んでいた手を離して、俺の頬をぷにぷにとひっぱった。
「っふふ!」
満足げに頬を和らげる君は、赤ちゃんみたいで。
「もー、困っちゃうなあ」
本当に、困っちゃう。
「ねぇ!此処すごいよ」
君の手が、俺の腕を掴む。
君の周りはずっときらきらしていて、見たくないほどに、眩しい。
「そうだね、すごいねえ」
君の隣に寄って、反対の手で、頭を撫でる。
さらさらとした触り心地が良い。
それでいて、ちょっと癖毛なところとかふわふわしているところとかが好きなんだよね。
「もう!なんだよ、子供扱いしてるわけ?」
あぁ、いけない。子供扱いされていると感じたのか君は少し怒ってしまった。
「そんなことないよ。ただ、無邪気でかわいいなって」
目を見てそういうと、君は頬を紅色に染める。
「は!?そういうところだろっ、ばーか」
そう言いながら、繋いでいる俺の手をぶんぶんと振り回す。
頬をぷくーっと膨らませて、こちらをにらみつける。
本当に、可愛い。
また、君とこの景色を一緒に見れたら良いなあ。
「…ん?」
ゆっくりと瞼をあけると、一気に太陽の光が差し込む。
真っ先に、白い天井が目に入った。
「病院?」
消毒液のような、ツンとくる匂いが鼻を刺激しているため、ここは病院なのだろう。
身体を起こすと、何かの機械が数機と、白く靡くカーテン。
さらに視線を落とすと、腕に点滴の針が刺さっていた。
「え、何これ。俺、入院してる?」
突然のことで意味がわからない。俺は入院するような病気をした覚えはないし、何か事故に巻き込まれた記憶もない。
急いで周りを見渡すと、棚の上にりんごがひとつ、置いてあった。ベットから慎重に出て、棚の前まで移動をすると、りんごの下に一切れの紙が見える。
「よいしょっと」
りんごをよけて、その紙切れをみると字が並んでいた。
字が汚い人が、頑張って丁寧に書いたような字だ。
『×××へ
突然のことで、何かわかってないと思うんだけどさ。
簡単に説明すると、×××は今入院してるの。
一ヶ月くらい、昏睡状態だった。
×××は頭を打ったから、記憶が少し混濁しているかもしれない。もしかしたら、俺のこと覚えてないのかもって、思うと怖いけど、×××ならきっと思い出してくれると信じてるよ!
ベットの横の服かけに外套が掛けてあるから、それを着て一階まで来て欲しい。
起きたばかりで、身体が痛むかもしれないけど、ちょっとだけ頑張ってほしいな。
俺は、そこで待ってる。』
これを書いている人は誰なのか、わからないけどとりあえず従うことにする。
振り返り、服がけをみると、確かに外套が掛けられている。
病院用だろうか、白くて手触りが良い。
すぐに手に取り、羽織る。
微かに身体が怠いような気がするけど、一ヶ月も眠っていたからだろうな。
正直、俺が一ヶ月も眠っていただなんて、信じられない。
こんな病院は来たことがないし、看護師の足音も、聞こえてくるはずの他の患者の話し声すら、一切聞こえない。
「なんか不気味〜」
俺は、点滴が掛けられているイルリガールド台を手に持って病室を出た。
「はー、広すぎじゃねえ?」
信じられないくらいに病院が広い。
俺が住んでいたところは、こんなに大きな病院なんて建っているわけなくて。
やっぱりなんか可笑しいなと思いながら、廊下を歩く。
やけに静かで、薄暗い。それでいて、病室の中は気味が悪いくらいに明るくて。
「何処なんだよ、此処」
その気味の悪さが、俺の鼓動を速くさせた。