何も楽しくない
言われた通りにしたのに無能だと罵られた。言い返すのも面倒でいつも通り黙って笑いながらその場を去る。
一時期流行った感染症のおかげでマスクをしていても誰にも文句を言われなくなったのが救いだ。目元だけ細めて眉を少し下げれば困ったように笑う人の完成である。口元は一ミリも動かしていないのに、随分と楽をさせてもらっている。
書き心地がよくて気に入っているボールペンでもう何度もリピートしているリングノートを抉るようになぞる。ジャッジャッと重い音が鳴るのを無感動に聴きながらページを埋めていく。文字を書いていたのが線になって、それが湾曲して幾重にも重なり正体不明の絵になって黒く侵食する。紙が反って手を斬りつけてくるので、しかたなくページを破って丸めてゴミ箱に捨てた。
綺麗なものを探して手芸用品を床一面に広げた。
色とりどりの刺繍糸、キラキラなビーズ、無駄なく巻かれたレース糸、ふわふわな毛糸、太さの違う編み針、細く鋭い縫い針、編みかけの何かと縫いかけの布地。
どれもこれも好きで集めたものばかり。目的があるわけでもないのに一目惚れして手元に置いて、しまい込んでは引っ張り出してまたしまうのを繰り返す。
完成した作品は一つもない。最後に何かを完成させたのはいつだっただろうか。全部捨ててしまったから分からないや。
空の瓶にビー玉を詰めて、空に掲げたらカランと音がした。色のついた影が服や床を染めるから何度もカランカランと鳴らす。あんまり鳴らすものだから、一つ、また一つとビー玉が飛び出して最後に残った一つをただ見つめた。
昔、祖父がよく食べさせてくれた缶のドロップを思い出して喉がなった。一番好きだったリンゴの味と同じ色のビー玉が瓶の中にいたから、口を開けて瓶を空に戻してやった。
味はしない。飲み込めもしない。
「…おいしくない」
はやく、誰にもみられないうちにこっそりと吐き出してしまおう。もう、鬱陶しく怒鳴られたくないからね。
【題:夢が醒める前に】
「常春の庭はどうでしたか」
満開の桜を風が柔らかく撫でて、またひとひら花弁が舞う。右へ左へ不規則に弧を描きながら音もなく玉砂利の上に落ちる。僅かに積もったそれらが季節外れの雪を思わせた。
よく磨かれた板張りの濡れ斑で私は一人、庭を眺めている。目を覚ましたときから変わらない景色に今もまだ夢をみているのではないかと錯覚する。
遠くから雷鳴が微かに響いて、枝に止まっていた鶯が飛び立つ。柔らかな花の香りに混ざってじっとりとした水の気配が庭を満たしていく。あれだ、花の濁流。香りが濃くなるあの感じ。
降り出す前に室内に下がる。道具のない文机と飾りのない棚、空の床の間。緋色の座布団だけが色を持っていて空虚な部屋の中で浮いている。
部屋を突っ切って廊下に出る。小さく軋む廊下は等間隔に並ぶ電灯のおかげで薄明るい。突き当たりの壁に額だけがかけられていて、向かって左は庭に、右は建物の奥に繋がっている。
さあさあと微かな雨音が響いている。その音から逃げるように奥へと歩を進めれば、大きく開かれた襖の前に出て自然とその中に視線がいく。
立派な雛壇に向かって緋毛氈が引かれ、早咲きの桃の花が両脇にところ狭しと生けられている。手招かれている気がしてゆっくりと雛壇の前まで進んだ。
シャン
鈴の音がして、目を閉じ頭を垂れる。そうしなければいけない、それが当たり前、常識。
「おかえりなさい」
頭に添えられた手がそのまま優しく撫でてくれる。
泣きそうになって目元に袖を当てたけどつるりと頬を撫でただけだった。思わず顔をあげて撫でてくれた手の主をみる。細められた目と目があって、何も言えなかった。
感情の凪いだ、人形のようなその目に映るものを信じたくなかったから。
【題:安らかな瞳】
どういう形でもいいって言ったけどさ
「はいこれ、どうぞ」
手渡されたのはコッペパンのサンドイッチだった。最近お気に入りのパン屋でのイチオシ商品なんだと楽しそうに語る彼女は大変可愛らしい。
お礼を言って財布を出すと野暮なことはするなと押し留められ、代わりにスマホの画面を突きつけてきた。
「次はここ、ここのパフェ行こうよ」
春らしく桜色で溢れる写真と高く盛られたクリームをアラザンやマカロンやらがこれでもかと華やかに演出している。甘い物好きの私にはたまらない一品なのがよく分かる。速攻でスケジュールを組んで、絶対に攻略するぞと誓い合う。彼女がいてよかった、最高すぎる。
スライスされた合鴨をグリーンレタスが包み込み、隙間には玉ねぎとマスタードが詰め込まれたサンドイッチを頬張る。スパイスの効いた肉の旨味とそれをほどよくまろやかにしてくれる野菜の甘み。それをビネガー漬玉ねぎが爽やかさを足して飽きさせずマスタードがしっかり最後を締めてくれる。
食リポはダメダメでも罪悪感を感じさせない美味しさがここにある。いや、本当に。すごく美味しい。
「美味しそうに食べるねえ」
買ってきた甲斐があったと彼女は笑う。素晴らしいお店を見つけた上に提供してもらえるなど感謝しかないので、感謝を伝える方法の一つとしてしっかり味わっているのである。伝わっていたのなら嬉しいな。
これからも一緒に美味しいもの食べようね、と言うとそうだねと頷いてくれる。幸せだなとまたパンを頬張る。その度に彼女は笑ってくれる。優しい女神だ。
まさか胃袋の絆だとは思わないでしょ
【題:絆】
私はいつも無力だった
怪物で溢れかえったこの世界で、何かしら能力を持たねば生きていけない世界で、私は無能で無力だった。
幼い頃、遊びに行った海岸で巨大な龍のような怪物に襲われたときだ。勇敢に立ち向かう人々が食い散らかされるのを近くの洞窟の中から見ていることしかできなかった。
あるときは、死の間際にいる人への慈悲を与えるのも癒しを施すこともできずその手を握り続けた。苦悶に顔を歪め繰り返される恨み言に返す言葉もなく最期を看取った。
この前は、花を供えた場所が荒らされ弔いも拠り所もなくした人々が怒り狂った。荒らした怪物は討伐されたが花を供えた私は誰にも気に留められることなくその場を去るしかなかった。咎められることも償うこともできなかった。
それでもできることといえば、ここまで生きてこられたこの悪運でたった一人を守り抜くことだけだ。この手で抱きしめて離さなかった存在だけは怪我1つなく生き残る。
病は癒せずとも祈りを捧げることで最期を見届けることができるから、遺した言葉も伝えられる。
「あなたはわたしの希望よ」
愛する我が子を私に抱かせて小さな額に口づける母親。そして私の目を見て迷いなく言い切るのだ。我が子を生かしてくれ、と。焼かれ赤く爛れた両手の代わりに私を選んでまた戦場へと向かうのだ。
私はいつも無力だったのに
【題:たった1つの希望】
小さな欠片を集めながら進んで行くの
オープンワールドを好きなように駆けたり飛んだり泳いだりしながら街を目指すゲームがリリースされた。バトル要素はないが、冒険ギミックが豊富で隠し要素を網羅しようとするとかなりの時間を要する。バトル系が苦手な人でもできる易しいゲームである。
やることはシンプルで、街に辿り着くこと、が目的でゴールである。あちこちに落ちている星の欠片を集めて、それを様々なアイテムに加工し、道中の村や集落で売って旅費を得る。体力や空腹口渇ゲージがあるのでゲーム内アバターの『プレクス』を細めに世話しながら進んでいく。
たまに発生するストーリーイベントはどれも抽象的かつ断片的で考察要素もありハマる人は嵌まる。アバター名がある時点で何かしら想像できなくはないが、公式は明言せず、街についても答え合わせはなく終了する。今後ワールドが増える予定はあるらしいがそれすらも未定のふわふわな曖昧っぷりだ。気長に待てるかどうかが肝である。
それにしたって、このプレクスとかいう種族、種族と言っていいのかすら不明、はどうしてこういう見た目なのか。
真っ白なデフォルメ素体をそのままアバターとして動かし、あちこちに落ちているアバターパーツを拾って好きなように飾り付けられる。目だけは閉眼がデフォルトだがそれ以外は割と充実していて、課金要素もある。ゲーム進行にも影響してくるのでパーツ集めも重要な要素だ。ちなみにガチャとかはない。ひたすら探索、探索次第で進行難易度が変わることもある、発生するストーリーにも小さな変化がある。あ、パーツは一度決めたら変更不可だからそこだけは注意が必要だ。服も靴も変更できない。
一番衝撃的なのは街に着いた後だ。ネタバレにはなるが、なんとなく予想はつくだろうし構わないだろう。
プレクスは街に着くと操作不能となり、ひとりでに神殿へ向かう。街の中央にある大きな湖に浮かぶ真っ白な神殿は舟は出せない橋も渡せない謎のパワーがあり、今まで誰一人辿り着けたことがない未踏の地であった。プレクスは当たり前のように水面を歩いて神殿に向かい、神殿内部の大きな星の欠片にその身をかけて祈りを捧げる。
そこでエンディングムービーがはじまり、ひたすら光る星の欠片を眺めていると、最後に欠片が集まって真っ白なデフォルメ素体が完成する。だが、どれだけ探索しつくそうと「欠片が足りない」と表示される。
そしてまた、最初から、になるのだ。
今度こそ、見つけてね
【題:遠くの街へ】