シシー

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2/25/2026, 5:31:48 PM

 一定の距離ってなんだろう



 「ようやく名前を呼んでくれた」

 そう言って嬉しそうに笑うあなたをみて、初めて気がついた。会話は普通にするし、冗談も言えるくらいには打ち解けていたのについさっき初めて彼の名前を呼んだ。
 理由はわからない。彼が嫌いな訳ではないし、むしろ好ましいと思う。友人になれたらいいなとすら考えていた。
なんで、どうして。責められてもいないのに、彼は何も言っていないのに、きつく叱られたような気がして苦しい。

 「敬称はいらないからさ、また呼んでよ」

 彼は変わらず嬉しそうに笑っている。なのにどうしてこんなにも罪悪感でいっぱいになるのだろうか。
 なんて返せばいいのだろう、名前を呼べばいいのか、それとも彼が好みそうな話題を振ればいいか。その前に私は今ちゃんと笑えているのかな。

 「泣かないでよ、大丈夫だからゆっくりでいいからね」

 呆れられただろうか。重たいと思われたかな。面倒くさいからと離れて行ってしまうかもしれない。余計な気を遣わせるようなことしたくないのに、なんで、どうして、ごめんなさい。

 あのね、私はすごく怖がりなの
 だからどうか、離れていかないで

 何度も、何度も彼の名前を呼んだ。その度に返事をしてくれて、嬉しいよ、ありがとう、を繰り返し伝えてくれる。その優しさに触れる度に私はもっと苦しくなる。その優しさが嬉しいのにそれ以上に怖くてしかたない。
 心配そうに揺れるその目が、冷たく鋭く私を映さないビー玉のようになる光景がちらついて恐ろしい。

 「…何がそんなに怖いの?」

 ああ、ほら。ほらね。
 ボタボタと音を立てて降り出した雨に項垂れる。涙が雨粒に飲み込まれて消えてしまって、それに安堵してその場にへたり込む。直前、腕を強く引かれてそのまま一緒に走り出した。バシャバシャと地面を蹴りつけているのに足元はふわふわして覚束ない。

 「降られちゃったね」

 その笑顔は、さっきまでのと同じですか。
 それすら怖くて私は何も言えないの。




               【題:物憂げな空】

2/17/2026, 9:52:45 AM

 その謎のこだわりがよかったのかもしれない



 恋人時代はいつも何を考えてるのか分からなかった。

 いつもどこか遠くをみていて目は合わないのに、私が一歩下がろうとすると背中に手を添えてくる。
適当に相槌を打って気の無い返事ばかりするくせに、私が何か言いかけて口を噤むと、もっと話せ、と言う。
 いつもどこか優しさを発揮するタイミングが噛み合わない気がして、好きなんだけどそうじゃないみたいなモヤモヤとした気持ちがあった。


 お揃いの指輪をつけるようになって、少しだけ見え方が変わった。

 手を繋ぐとき、指輪をはめている手で繋いでくるようになったのだ。以前とは反対の立ち位置に首を傾げるばかりだったのだが、ふと彼の顔を見上げてみた。
 だらしなく口元が緩んでいて、目が合った瞬間にバッと勢いよく顔をそらされた。手を離そうとするのを力を込めて引き止めて声を出して笑ってしまった。
今まで必死に隠していただけだったのかと、自惚れていいのかと、色んな気持ちが溢れていく。

「好きだな、そういうとこ」




                【題:誰よりも】

2/15/2026, 12:05:52 AM

 可哀想と思うのは私が人間だからだろうな

 古い骨董品を扱う老舗が店をたたむことになったらしい。骨董品屋の中でも特に古いものを扱っているので、マニアですら匙を投げるような状態のものや用途不明のものが多い。
でも晩年は買取業のようなものもしていたので比較的新しいものも多少ある。苦肉の策ではじめた経営に失敗のだろうな、という印象だった。

 広い建物なのでこれだけ客が押し寄せても歩くのに不便はない。いつかぶりの盛況ぶりに店はてんてこ舞いであるが、店主は嬉しい悲鳴だと笑っていた。近所でよくおやつだのおもちゃだのもらっていた私が幼い頃から変わらない気のいい爺さんだ。
店内を一緒にゆっくりと歩き回りながら様子をみて回る。顔なじみに挨拶をし、品のない客を追い返し、乱れた陳列を整える。
 お前には特別に、と奥の間へと連れていかれた。店の手前は安価な物を置き、奥に行くほど高価で貴重な物が置いてある。だから客足も少しずつ減って、特に奥の間に通されるのは常連か太客くらいのものだ。
 金は持っているのか、と聞かれて年齢に千をかけた分しか持ってないと答えるとしょっぱい顔をされた。ここでケチだと言わないのがこの爺さんのいいところである。

 年配の店員が呼ばれ、これまた古く使い込まれた品々が並べられた。わらわらと古い着物をきた男たちも一緒に来たのだが、台の向こうに座って私を観察してくる。
気にせず爺さんの解説を聞きながら商品をみる。私でも買える価格帯のものばかり選んだから使い込まれた日用品くらいしか出せないと残念そうに言われたが、丁寧に扱われていたようで欠けや剥げはあっても壊れているものはない。
 悩んだ末、飾りが一部欠けた簪と褪せた一輪挿しを選んだ。派手さはないが造りが複雑な簪は見応えがあるので、青磁の褪せた色の花瓶によく映えると思ったからだ。
爺さんは2人の男を呼んで、私についていくよう言った。世間知らずの若造をよくよく頼んだぞ、と言って裏口から帰された。2人の男と共に説明もなく、だ。

 ポカンとしていると、背の高い方の男にベンチに誘導された。そこに座ると両脇に男たちが座ってきて、どうしてそれを選んだのか聞いてくる。
そのまま会話をしていたのだが、爺さんと話しているかのように話しは尽きず延々と昔話や品物自慢を聞かされた。
 分かったのは、ある夫婦が恋人時代に送り合った品物同士で悩みに悩んで手に取った一級品だったということ。何代にもわたって使われたが、決まって晩年は一輪挿しに簪を飾るという使われ方をしたらしい。

 「あの子が目をかけているのなら間違いないさ」

 薄々気がついてはいたが、後にも先にもこの2人の男をみることはこれきりだろう。想い想われた主人らの縁から離れてしまうのだ、ただ寂しそうだというのはあまりにも安っぽい感想に口を噤む。
 選ばれるのを待つしかない彼らに私ができるのは大切に扱うということだけ。

 あなた方は運がいい、今日はその逸話にぴったりの日だ

 遠い目をした彼らに今日という日がもつ意味を教えてやる。チョコレートではなくても贈ることに意味があって、贈り合いなら余程お互いのことを考えていたのだろうと微笑ましくなる。そういう日なのだ。
 少しでも彼らの救いになれるように、ね。




              【題:バレンタイン】

2/10/2026, 2:51:41 PM

 笑っていられることに感謝しろ



 一度くらいは言われたことや聞いたことがある言葉ってあるでしょう?
 あまりにも理想化された正論を騙った理不尽な言葉を。

「それが当たり前じゃない人がいるんだぞ」

 それが何か?と思っていても返すことができない正論である。同情はしても会ったこともない人にどうしてそんなに自分の心身を削らなければいけないのか。決して冷たく突き離してるわけではなくて、余裕のない自分が他人の世話までできない、それだけのことなのだ。
 なのに悪いことだと責められて罪悪感を植え付けてくる。理不尽以外の何物でもないでしょ。

「生きたくても生きられない人がいるのに」

 だったら、あなたが命を分け与えられる発明でもしたらいいでしょう。何もないのに死にたいと思う生き物はいないのだから、その理由も理解しないまま責め立てるあなたは悪魔を名乗った方がいい。人の心を殺す悪魔としてその身勝手で理不尽な正義を振りかざせばいい。
 誰かの痛みに理解も共感もできない正義なんていらないの。そうだよね、分からないよね。だったら黙って。



 こうやって語る持論も、きっと誰かを傷つけて苦しませるのだろうね。だって正義も正しさもその人自身が夢見続けてきた理想の世界を表すものだから。
 全員が笑ってせーので一歩を踏み出せることがどれだけ難しいか、誰かの笑顔の裏で踏み潰される痛みに耐える涙を流したことがあるか。美談と謳われるものに酔いしれることの幸福と醒めたときの絶望との差にあなたはどんな感想を抱くのだろう。

「笑って」

 私にはそれがとても難しくて、すごく苦痛なんだよ。
 その機械に映る私はどんな顔をしているのかな。
 期待通り笑えていたら、いいな。




              【題:誰もがみんな】

1/30/2026, 12:26:42 PM

 いつかは終わるものだから、ありがとうね



 板張りの床を一歩一歩、ゆっくりと行く。さらさらと揺れる竹林の根元を淡い光が静かに流れていく。細い流れが幾筋も続き、歩を進める毎に合わさっては別れてを繰り返す。空が白みはじめる頃に竹林の終わりが見えてきて、細い流れは一つになって今はもう見えない天の川のようである。

 夜が、明ける―――?


 強い光に閉じた目を開けると、大きな能面を吊るした吹き抜けの広場に立っていた。広間を囲むように渡り廊下が張り巡らされ、色とりどりの垂れ幕と緋毛氈が鮮やかに空間を飾っている。
手近な階段に足を掛けて上を目指す。幾重にも重なる渡り廊下を能面を横目に歩き続けると、どこからか花の香りが漂ってきた。それに誘われるように自然と早足となる。
 最後の階段を上りきると濃い百合の香りに包まれた広間に出た。天井の代わりに何重もの布が垂れ、黒塗りの床も欄干もまるで鏡のように磨かれている。一際大きな能面がこちらを向いて吊るされ、向き合うように金箔がふんだんにあしらわれた豪華な屏風が立てられていた。
ぼうっとそれらを見渡していると、シャリン、と涼やかな音がした。瞬き一つの間に屏風の前に一対の座布団が用意され、すでに誰かが座っている。真っ白な手に招かれて、促されるまま隣に腰を下ろす。

 宙に、落ちていく―――?


 くるりと回った視界は白く染まった後、色を取り戻した。桜の大木を中心に、左に紅葉、右に藤棚が広がっている。それぞれを隔てるように小川と飛び石が並び、奥へ進めば梅に菊に、とまるで季節感を無視した花々が咲き乱れている。白百合の絨毯を囲う赤い椿の垣根、その真ん中に東屋がポツンと建っている。竹を編み込んだ机と長椅子に腰掛けて一息つくと、苔玉に桔梗を挿した飾りが机に置かれた。そっと手を伸ばしてその花弁に触れる。

 誰かが、手を引いて―――


 「もう、いかなくちゃ」


 暗転、そして扉。固く閉ざされたそれを押す。
背後から白い手が一本伸びてきて同じように押す。もう一本、もう一本、何本もの手が扉を押す。肌の色も大きさも違うそれぞれの手が、少しずつ開く扉を筋が浮かぶくらい強く強く押す。
 バンッと派手な音を立てて開いた扉の先へ身体が傾く。お礼を言おうと首を後ろに向けきる前に背中を押された。落ちていく、何も言えていないのに落ちていく。悲しくて寂しくて視界が滲むが、視界の端々に映り込んでいたたくさんの花弁が頬を撫でながら舞うので溢れることはなかった。


 長い、永い、夢をみていた。
 私はその中でちゃんと生きていた。
 優柔不断な私のための揺り籠であり、
 一人旅立つ私のためのお墓でもある。
 飲み込んだ言葉の中に、
 紡いだ言葉の中に、
 あなたたちへの感謝と謝罪があった。

 ちゃんと、届いただろうか
 季節の花を添えたそれを
 もっとも近くで支えてくれたあなたに



 
 
            【題:あなたに届けたい】

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