シシー

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 一定の距離ってなんだろう



 「ようやく名前を呼んでくれた」

 そう言って嬉しそうに笑うあなたをみて、初めて気がついた。会話は普通にするし、冗談も言えるくらいには打ち解けていたのについさっき初めて彼の名前を呼んだ。
 理由はわからない。彼が嫌いな訳ではないし、むしろ好ましいと思う。友人になれたらいいなとすら考えていた。
なんで、どうして。責められてもいないのに、彼は何も言っていないのに、きつく叱られたような気がして苦しい。

 「敬称はいらないからさ、また呼んでよ」

 彼は変わらず嬉しそうに笑っている。なのにどうしてこんなにも罪悪感でいっぱいになるのだろうか。
 なんて返せばいいのだろう、名前を呼べばいいのか、それとも彼が好みそうな話題を振ればいいか。その前に私は今ちゃんと笑えているのかな。

 「泣かないでよ、大丈夫だからゆっくりでいいからね」

 呆れられただろうか。重たいと思われたかな。面倒くさいからと離れて行ってしまうかもしれない。余計な気を遣わせるようなことしたくないのに、なんで、どうして、ごめんなさい。

 あのね、私はすごく怖がりなの
 だからどうか、離れていかないで

 何度も、何度も彼の名前を呼んだ。その度に返事をしてくれて、嬉しいよ、ありがとう、を繰り返し伝えてくれる。その優しさに触れる度に私はもっと苦しくなる。その優しさが嬉しいのにそれ以上に怖くてしかたない。
 心配そうに揺れるその目が、冷たく鋭く私を映さないビー玉のようになる光景がちらついて恐ろしい。

 「…何がそんなに怖いの?」

 ああ、ほら。ほらね。
 ボタボタと音を立てて降り出した雨に項垂れる。涙が雨粒に飲み込まれて消えてしまって、それに安堵してその場にへたり込む。直前、腕を強く引かれてそのまま一緒に走り出した。バシャバシャと地面を蹴りつけているのに足元はふわふわして覚束ない。

 「降られちゃったね」

 その笑顔は、さっきまでのと同じですか。
 それすら怖くて私は何も言えないの。




               【題:物憂げな空】

2/25/2026, 5:31:48 PM