振り返りながら髪を耳にかけて微笑む、ただそれだけで可愛いと言われる時代は終わってしまった。
CMや漫画などでよく見る仕草であるのも頷けるくらい魅力的なワンシーンだ。まあ前提条件に美少女であることが付け加えられるわけだが、若さがあればどうとでもなる。
青春真っ盛りで、自分自身がヒロインだと心の底から思える無敵メンタルは10代までの特権だと思う。だからこそシンプルな仕草だけでキラキラと輝くのだ。一切の邪念や諦念が混ざらないその純粋さが一番の宝石である。
「気持ち悪いこと考えてる暇あったら働けー」
気持ちは分からんでもないけどね、とバイト仲間のおねーさんは肩を竦めた。
言葉遣いは荒いが面倒見のいいまさにおねーさんである。メイクもオシャレもこの人から教わったし、汚客対応の極意までしっかり叩き込んでくれた最高のおねーさんだ。
「そっか、もうすぐ成人式か。メイクしてあげようか」
楽しげに振袖の色や髪型やアクセサリーはどうだと尋ねてくるおねーさんに、私は苦笑するしかない。
「…もしかして参加する気ない?」
はい、と答えて視線を泳がせた。振袖のレンタルもできるくらいには余裕はあるし、多くはないが中学時代仲が良かった友人もいる。だからこそというか、過去の自分を覚えている人に会いたくない。
「なになに?悪いことでもしたの」
悪い顔をしながら、これまた楽しそうに聞いてくるのでどう説明したものかと逡巡する。結局、黒歴史があるんです、としか言えなかった。内容は絶対に言えない。
「アタシも参加しなかったし大丈夫、大丈夫」
何か察してもらえたようで励まされた。でも何を想像したのか、とても生温かい目でみられるのでいたたまれない。
その日は一緒に飲もうかと誘われたので、お高いやつ飲んでみたいです、と答えた。贅沢者め、と笑って流してくれるおねーさんが本当に大好きだ。
黒歴史が、勘違いブスの暴走、なんて知られなくない。
めちゃくちゃ恥ずかしくて記憶を消したいよ。
【題:20歳】
ねえ、もう1年経ったよ
朝日が昇る、ご来光とかおめでたい言い方もあるけど私にとっては単なる時間経過を知らせる単位でしかない。
寝て、起きて、寝て、また起きる。
ずっと帰ってこないあなただけを待っているの。
日の出とともに、どこかへ行ってしまった。なんかの歌で希望がどうのと歌うものがあるけどさ、初めから何もない私にはどれだけ明るくても常に影が差してばかりなんだよ。
天井から吊ってゆらゆらと揺れる蜘蛛の糸に無力感が湧いて、慈悲の欠片すら恐ろしい責苦の一部に変わって逃げられない。絶望と諦念はもはやセット売りされている。
浄化されずに残ったこの心はどうすればいいのでしょうか。
ずっと待っているのに変わらないのは、やはり私のせいなのでしょう。手を離さなければ、いや、そもそも届いていればこんな思いはしなかった。
すっかり冷え切って固くなった丸い頬を撫でる。
反射ばかりでその目に映るのが私かも分からない。
分かっていた、知っていた、その弱さは何度も私に見せてくれたあなたなりの誠実の証だったのだろう。
「寒かったねぇ」
雪なんてもうほとんど珍しいものだ。
自分には関係ないと、言えたならよかったのに。
「寂しいなあ、酷い人」
【題:日の出】
あの目、軽蔑を滲ませておいて嘘をついてる、
「卑怯者」
あの人は確かにそう言った
何もかもがぐちゃぐちゃだ。
口の中に広がる甘美な鉄臭さも、痛みに歪む顔も、絶え間なく溢れる血潮も、服も床も真っ赤に汚れてる様も、全部がぐちゃぐちゃだ。
私だって信じたくはなかった。でも自身の存在こそがその証明で、それは紛れもない事実なのだ。
―――ダンピール、吸血鬼の混血児
物語の中の存在だとばかり思っていた。
母親は死んだと聞かされていたし、父親は幼い頃に病死していて顔もまともに覚えていない。施設で育ったけれど、シスターにも司教様にも指摘されたことがない。ちょっと八重歯が鋭いだけの普通の女の子だったはずなんだ。
血をみても美味しそうとは思わなかった。なんとなく胸がざわついたくらいで、ただ血が苦手なのだと思い込んでいた。
結婚した、優しい人だった。夫だけは優しかったけど義理の家族は冷たい人たちだった。ずっと子供のできない私を疎んでは離婚させようと躍起になる人たちだから。
夫と2人で他の街へと引っ越した。優しい彼とならどこでもよかったの。
初めて子供を妊娠したとき、すごく嬉しかった。
まだ胎動すら分からない薄い腹を夫と一緒に撫でながら将来のことを話し合った。幸せな一時だった。
調子が悪くて、つわりがはじまったのだろうかと横になったときだった。唐突に酷い空腹と口渇を感じて、物を食べては吐いて水を飲んでは吐いてを繰り返した。満たされない身体を労ってくれる夫をみて、正確にはその首筋の奥に隠れる血管をみて、これだと確信した。
甘く芳しい匂い、愛する人の匂い、欲を掻き立てる匂い。
夫は、子供の心配をしながら息絶えた
私に対する恨み言などなく、私とお腹の子を愛していると言い残して私の腕の中で眠った。どれだけ声をかけても揺さぶっても起きやしない。
夜の闇の中で、キャンドルの灯りが揺らめくのを感じて振り返った。鈍く光る銃口が私を指していて、でもそんなこと大人しく受け入れられないから逃げ出した。愛する人に別れを告げる暇もなく、逃げることしかできなかった。
娼館の妓女が声をかけてきた。その子供は腹の中でしか生きられない、と。生まれてもすぐに死んでしまう運命なのだと言った。まあ当然だ。異種族間の、しかも不完全な混血児では妊娠できただけでも奇跡なのだ。
誰に言われずとも、なんとなく本能的に不可能だと察している。それでも愛する人との子を諦めきれないのだ。
妓女はそっと耳打ちしてから去っていった。
たくさんの人の血が子供の命を繋いでくれた。
もう何年も経って、お寝坊なこの子はようやく生まれる準備ができたらしい。痛む腹を撫でてから、薄れゆく意識の間に間に産声と祝福の言葉を聴いた。
私をこんなふうに産んでおいて放ったらかした母親と、私は同じことをする。
「…ばかな子」
最後に会ったときから姿形の変わらない妓女に私は微笑むことで返事をした。
【題:揺れるキャンドル】
もうそろそろ、終わりにしなければ
静かに降り積もる雪をただじっと見ていた。生かされるだけの日々とよく似た、意味もなく降っては溶けてを繰り返すそれは、私の一部でもある。
今は寝転んで見上げることができるのだから、人生は何があるか分からないものだ。
昔、妹が生まれたと聞いてから何年も過ぎてようやく顔を合わせたとき、名前の通り静かで大人しい見目をした妹はこれまた静かに狂っていた。
赤く、昏く、私を見つめる妹は酷く哀れだった。
桜の咲く庭で、一度だけ妹と過ごしたことがある。白い花弁を雪のようだと言ったから、一つ枝を折って渡した。
花弁に触れて、花の名前や構造を教えて、冬を越した証だと伝えた。
ぼんやりとした昏い瞳に白い花弁が沈んでいくような気がして、枝ごとプレゼントした。
後日、打ち捨てられた枝と踏みつけただろう大きな足跡をみつけた。だからまあ、赤い花弁が散ることになったのだ。
息を吸って、吐いて、
どこまでも報われない妹のために私が動こう。
ただ争うだけの奴らは放っておいて、私は私の目的のためだけに動く。もう利用されるのは終わりだ。
兄弟愛なんて美しいものではないけれど、動く口実ができたことには感謝している。
あの子に、綺麗な言葉を教えたあの人にも、ね
【題:白い吐息】
もうまもなく時効になる。
昔から不思議な能力を持つと言われる王国があった。
軍事力も経済も何もかもパッとしない小国は、真偽不明の言い伝えのおかげで今まで在り続けてきた。まあ、我が国がそんな迷信を振り払って滅ぼしてしまったけれどね。
元王国の民は反抗することなく降伏した。だから王国という名が変わっただけでさして環境に変化もない。元々目立つものがなかったこともあり、見た目だけは本当に何も変わらない。
国王だけは首をはねたが他の血は流れず、あまりにも呆気ない終わりに無理やり姫君を娶ったがこれもまた何の反応もない。諦めとは違う、従順なフリをした罪人のような、姫君らしく立場を弁えたような、綺麗な人形のような姫君だ。
あれから何十年も経って、私は老いた。跡継ぎは終ぞ生まれることはなく、仕方なしに弟に王位を譲ることになった。姫君以外にも妻はいたが誰一人として無事に出産を終えられなかったのだ。
キシリ、
昔と変わらず美しいままの姫君が私の枕元に腰掛けた。普段ならそんな無礼なことはしないというのに、ようやくその為人の片鱗を垣間見ることができた気がした。
黙ったまま視線を動かし目を合わせる。皺もシミもない陶器のような肌と淡く輝くガラス玉のような瞳、髪の一筋から爪先まで全てが、娶ったとき何一つ変わらない。
「感謝申し上げます、陛下」
冷たい指先が頬を撫でて、姫君は薄く口元だけ微笑んだ。赤ん坊にでもなった気分だ、こんなにも慈愛に満ちた表情も仕草も初めてだったから。
「我々もかつてあの小国を手中に収めました」
何を言っているのだろうか。昔話にしては違和感しかない。
「初めは後継者が生まれず、争いから国は荒み、気づけばあの小国だけしか残っていなかったのです。
そして不思議なことに、あの小国だけが残ったときから王族は老いもせず死ぬこともなくなりました。国民はあの小国の血を引く者以外は死に絶え、新しく増えることもなく、そう、まるで時間が止まってしまったかのようでした」
滑らかな指先がカサカサと乾いたような音をたてる。
いつの間にか閉じていた目を開けると、そこには骨と皮だけのミイラが静かに座していた。動いているのも喋っているのも信じられない様相だ。
「我々に終わりをもたらしてくださったこと、感謝申し上げます。禁忌を犯してしまった罪を濯ぐことができました。これからは、陛下の妻としてその務めを果たさせてくださいませ」
表情などとても読み取れない状態なのに、その声だけは切実で、きっと今にも泣き出してしまいそうなのだろう、とだけ思った。人形のような姫君がようやく一人の人間として、いや、私の妻として隣に並んでくれた。
――ああ、もちろんだとも、
小国の呪いが我が国を蝕んだとしても、
姫君が真実を隠して欺いていたとしても、
君を救いたかったんだ
【題:君が隠した鍵】