あの目、軽蔑を滲ませておいて嘘をついてる、
「卑怯者」
あの人は確かにそう言った
何もかもがぐちゃぐちゃだ。
口の中に広がる甘美な鉄臭さも、痛みに歪む顔も、絶え間なく溢れる血潮も、服も床も真っ赤に汚れてる様も、全部がぐちゃぐちゃだ。
私だって信じたくはなかった。でも自身の存在こそがその証明で、それは紛れもない事実なのだ。
―――ダンピール、吸血鬼の混血児
物語の中の存在だとばかり思っていた。
母親は死んだと聞かされていたし、父親は幼い頃に病死していて顔もまともに覚えていない。施設で育ったけれど、シスターにも司教様にも指摘されたことがない。ちょっと八重歯が鋭いだけの普通の女の子だったはずなんだ。
血をみても美味しそうとは思わなかった。なんとなく胸がざわついたくらいで、ただ血が苦手なのだと思い込んでいた。
結婚した、優しい人だった。夫だけは優しかったけど義理の家族は冷たい人たちだった。ずっと子供のできない私を疎んでは離婚させようと躍起になる人たちだから。
夫と2人で他の街へと引っ越した。優しい彼とならどこでもよかったの。
初めて子供を妊娠したとき、すごく嬉しかった。
まだ胎動すら分からない薄い腹を夫と一緒に撫でながら将来のことを話し合った。幸せな一時だった。
調子が悪くて、つわりがはじまったのだろうかと横になったときだった。唐突に酷い空腹と口渇を感じて、物を食べては吐いて水を飲んでは吐いてを繰り返した。満たされない身体を労ってくれる夫をみて、正確にはその首筋の奥に隠れる血管をみて、これだと確信した。
甘く芳しい匂い、愛する人の匂い、欲を掻き立てる匂い。
夫は、子供の心配をしながら息絶えた
私に対する恨み言などなく、私とお腹の子を愛していると言い残して私の腕の中で眠った。どれだけ声をかけても揺さぶっても起きやしない。
夜の闇の中で、キャンドルの灯りが揺らめくのを感じて振り返った。鈍く光る銃口が私を指していて、でもそんなこと大人しく受け入れられないから逃げ出した。愛する人に別れを告げる暇もなく、逃げることしかできなかった。
娼館の妓女が声をかけてきた。その子供は腹の中でしか生きられない、と。生まれてもすぐに死んでしまう運命なのだと言った。まあ当然だ。異種族間の、しかも不完全な混血児では妊娠できただけでも奇跡なのだ。
誰に言われずとも、なんとなく本能的に不可能だと察している。それでも愛する人との子を諦めきれないのだ。
妓女はそっと耳打ちしてから去っていった。
たくさんの人の血が子供の命を繋いでくれた。
もう何年も経って、お寝坊なこの子はようやく生まれる準備ができたらしい。痛む腹を撫でてから、薄れゆく意識の間に間に産声と祝福の言葉を聴いた。
私をこんなふうに産んでおいて放ったらかした母親と、私は同じことをする。
「…ばかな子」
最後に会ったときから姿形の変わらない妓女に私は微笑むことで返事をした。
【題:揺れるキャンドル】
12/23/2025, 5:16:41 PM