くだらない、というきみのために俺は。
何度も踏み潰されてきたのだというきみの好きを拾い集める。一言ずつ言葉を添えて、それが届いているのか分からないが見たという証明を残していく。
折れた筆の柄を握ってきみはぼんやりとしている。
白い画用紙は傷だらけで所々穴も開いている。とても絵とは言えないものを満足そうに見つめて、床に落とした。
立ち上がり、軽い足取りで部屋の中を歩き回る。使った道具を片付けているだけなのにとても楽しそうだった。
「おつかれさま」
俺に気づいてそう声をかけた。出入り口の前に立つ俺の横を通り過ぎてそのままきみは出ていった。
完全に姿が見えなくなったのを確認してから、床に落ちた画用紙を覗き込んだ。じっと目を凝らし傷跡を辿っていくと鳥を描いていただろうことが予想できた。尾の長い、孔雀のような、オウムのような、たぶん創作した鳥だ。
色がのっていたらどんなだろう、なんて思いながら跡しか残らない透明な鳥を拾う。浅い凹凸の影に生きる鳥は空を飛ばずとも美しい。
くだらない、というきみには才能がある
俺はどうしたって追いつけないきみを追い続ける。筆を失ってもなお描くことをやめられないきみには追いつけないのに。その才能が羨ましくも、憎らしい。
【題:影絵】
――個人の能力によって桜は美しくなる
本当にその通りだった。
何年もかけてようやく花をつけた小ぶりの桜を前にはしゃいでいたのが馬鹿らしくなった。
枯れ木同然だった古い木に彼女が触れた途端、ただ力なく垂れ下がっていた枝が花を降らせるかのように柔らかく垂れた。濃淡様々な花弁が品よく並ぶ枝の微かな揺れは側へと手招きしているようで自然と足が向き、枝を仰げば息を呑むほど美しい景色が広がっていた。らしい。
興奮気味に語った彼女はもういない
ある日、彼女が何日も帰ってこないとルームメイトが訴えた。最初は他の子のところにお泊りしているのだろうと放っておいた。だが、一度も部屋に戻ってこないことを疑問に思い、翌日彼女のクラスまで訪ねたらここ最近ずっと欠席していると言われた。同じ寮生に聞き込みをしても誰も彼女を泊めていないと言う。
そこから話は広がって学園中を探し回ったが彼女の姿はどこにもなかった。
私も彼女を探すのを手伝ったが何の手がかりも掴めなかった。もう5月も半ばで夏の気配がちらつきはじめたせいかかなり暑い。木陰を求めて一時期話題になった桜の園に入った。すっかり葉桜になってしまった青々とした木々を見回して、ある1本の木の下に腰掛けた。美しいと言われた景色はもう広がっていない、彼女が咲かせたあの桜だ。
ぼんやりと枝を仰いで、花が咲いていたらどんな感じだったか考えた。涼しい風が吹いて枝が揺れる。手招きのようだ。招かれている。側に。
「能力とか、関係ないんだ」
単に望んだときに近くにあったから呼んだだけ。
そうやって彼女も消えた。
でも、なんだか悔しい。
「どうせなら花のときに招いてよ」
私はいつまで経っても彼女には及ばないらしい。
ずるいな。
【題:静かな情熱】
・ちょっと補足・
桜の下には死体が埋まっている、というのを思い浮かべてほしい。器量がいいとか、飛び抜けて頭がいいとか、何かしら人より優れたものを持つ人ほどいい肥料になるとする。
何も知らない、知らなくていい
白い大きな花が咲く垣根の向こうにあなたは立っている。もう夕暮れで朱色の光があちこちに差して、影を暗く落とす。
名前を呼んでみた。花が邪魔をしているのかあなたは辺りを見回すだけでこちらを見ない。
もう一度呼ぼうとして、口を塞いだ。僅かな隙間から見えたあなたの姿はとても綺麗だったから呼べなかった。
遠くで私を呼ぶ声がする。ずっと、その声で、私だけを呼んでほしい。でも、もう駄目なんだ。
傾く日に背を向けるのは私だけでいい
光の中で笑うのはあなたであってほしい
「こんな現実なんて知りたくなかった」
その言葉で救われる私がいることも、全て忘れて頂戴。
【題:遠くの声】
ゆっくりと、自分で首を絞めていくの
心底愛しているだとか、誰よりも信頼しているとか、全然そういうものはない。むしろ何か特別な用事でもなければ関わりたくない人だ。
でも、私だけはこの人を理解して側にいなければいけないと思ってしまう。すごく嫌な人なのになんでだろう。
手が上がったとき、冷静にその人自身を眺めてしまう。
表情、声音、話すテンポは基本で。手の高さ、開き具合、視線の先、口角。ちょっとした動作の一つ一つに楽しげな加虐心を探す。あんまり悠長にしていると痛いし、機嫌を損ねて意図せず加虐心をかき立ててしまうから素早くみて判断する。
時折みせる弱さと、誰にも与えられなかった寄り添うという行為が忘れられない。どうしようもなく魅力的で手放すことができない。きっと私はこの人よりもこの人が与えてくれる対等な人間扱いが好きなんだ。
理解なんてしなくていい、だって今までずっと目を逸らされてきたのだから今さら何を言われたって届かない。
ゆっくり、ゆっくりと、私は沈む
ただバカにされてすり減るだけの日々より、多少の我慢と引き換えに求め続けたぬくもりをもらえる方がずっといい。どんなに狭い視野の中でも幸せというものは必ず映り込むのだ。過剰な自己防衛の末にようやく得られた安寧を他の誰にも邪魔させない。
苦しさの先にあるものはハッピーエンドで間違いない。
少なくとも、私にとっては間違いない。間違いないの。
「…明日も、晴れるといいね」
この人がみせてくれるものならなんだって、好きなの。
【題:風景】
――人を呪わば穴二つ、まあ人ではないんだけど
なんと呼べばいいのだろうか。父、母、製作者、持ち主。どれも当てはまるのにどこか違和感がある。
彼はわたしを可愛がる。娘のように愛し、人形のように愛で、ペットのように世話をする。いやもっと適切なものがある、花だ。愛情をこめて育み愛でる対象だ。簡単に手放せる薄っぺらい愛情でもって繋がっている。それが見えない鎖であり、運命の糸というものでもあるのかもしれない。
彼が希望したからわたしはこの容姿をしている。
雪のように真っ白な肌、蕩けだしそうな蜂蜜色の瞳、絹糸のような白銀の髪、高すぎず低すぎない身長と細身だが女性らしい丸みのある身体のライン。それがわたし。
彼の理想がわたしを創った。構想も制作も全て彼一人で行った。才能と努力の証である。
「…俺が死ぬまでは、壊れないでくれよ」
小さな呟き。今にも泣き出しそうなか細い声が弱々しく懇願する。誰に聞かせるでもない言葉、だって彼はわたしに気づいていない。
わたしには彼の願いを叶えられるほどの力はない。でも彼が望むのならその言葉通りでありたい。『のろい』も『まじない』も同じ『呪い』だ。あやふやなわたしに器を与え、わたしを望んだのだから、叶えなくては。
愛しい、愛しい、わたしだけのあなたのために
何があなたをそんなに苦しめるのか教えてね
きっとわたしが助けてみせる
――約束よ、あなた
【題:フラワー】