『お手すきの際にどうぞ』
その言葉が大嫌いだ、虫酸が走る。
まず大前提として、俺は自己愛が強い。人の予想を遥かに上回る熱量で自分という存在を自分で褒め称えている。ナルシストではない。というか自分が好きではないし誰よりも優れているとは思っていない、むしろ劣っていると自覚している。自己『愛』なんて言い方するから誤解されるんだろうけど。
誰かに認められたい!
認めてもらえるほどの能力も何もない…
でも認められたい褒められたい!
だったら自給自足すればいいんじゃね?
そういう単純な思考でもって俺の自己愛は加速していったのである。だから常にご機嫌で笑顔で心穏やかに日々を過ごしているのだ。
最も勘違いしてほしくないのは、常にご機嫌だからって悩みや負の感情がないなんてことはない。むしろ悩み抜いて出した解決策がそれだけだったと声を大にして言いたい。だから、俺を使って不幸に浸るようなことをするな。
冒頭の言葉はへりくだった、まあ、ただ相手をいい気分にさせるための言い回しだと分かってはいるのが、どうにも己や己の努力を踏み潰しているように感じて嫌いなのだ。
時間をかけて作り上げたものを片手間で軽く扱われるのを容認する言葉。頑張ったのに頑張ったとアピールできない、頑張りを誰かに認めてもらうチャンスを溝に捨てるような行為。
俺以外にも、なんか聞いてて不快な言い回しがある人っているのかね。こんな話すぐバカにされるから誰にも言えずにモヤモヤする。
ああ、ほら。俺はちゃんと能天気なだけじゃないだろ?
…ちゃんと、何かを考えられるんだ
【題:心のざわめき】
たった缶ビール1本で酔っ払ってしまう君をみて、苦しくなる。
毎晩のように安い焼酎やウイスキーをロックで飲み干し、まだ足りないとさらに安いワインを空けてしまう。
決して強いわけでもないのに飲めてしまうし、どれだけ酔って醜態を晒しても自分で片付けまでしてベッドで寝るくらい徹底した自己管理をしてる。いや、醜態晒してる時点で自己管理できてるとは言えないか。まあ他の人に世話を焼かれる前に自分で片付けできるだけマシだろう。
あの日、あの時。嫌がる君を無理やりにでも病院に連れていけばよかった。
あんなに飲んでいた酒に口をつけず、食事にも軽いつまみにすら手を出さない君の顔色は真っ白だった。座っていてもフラフラしていて、立ち上がればそのまま倒れてしまいそうになるのを机にしがみついて耐えていた。何度も病院に行こうと説得してものらりくらりとかわして逃げる。
ついには倒れてそのまま数カ月間、帰って来なかった。
ようやく帰ってきたと思えば治療のために何度も入退院を繰り返して、いつの間にか酒にも食事にも興味を示さなくなった。
一段落ついた、とりあえずは治った、とお墨付きがもらえて久しぶりに向かい合って食事をした。一口二口食べてニコニコしているだけの君にお酒を勧めた。度数の弱い、かつての君が苦い炭酸ジュースと称した缶ビールだ。
おいしいねと言いながら飲みきって、可愛らしくふにゃふにゃと酔っ払う姿に、嬉しさと寂しさと色んなものが混ざってそうだねとしか返せなかった。
酔ったままソファに寝転んで君は寝てしまった。以前の君なら絶対にあり得ないことだった。起こそうと頬をつついてみると薄く目を開けて、柔らかく微笑むだけしてまた眠ってしまう。可愛い、のに、苦しい。
君の寝顔にかつての君を重ねてしまう。こんなのはおかしいが堪らなく惚れ込んでいた最愛の君の姿を君から探してしまう。もちろん今でも好きだ、愛している、離すつもりなどない。だが、俺にはこの人しかいないと思ったあの姿がみられなくなるのが寂しいのだ。
君が長生きするために必要なことだったと思えばいいのだろうか。もし長く生きられなくたって、絶対に一人にはしない。俺の生きる意味を、与えてくれる君を、ずっと愛している。それだけなんだ。
【題:君を探して】
いつも、何をやっても失敗する。そんな人生が嫌いだ。
たくさんの人が、動画や本でも、どこをみても失敗はみんなするものだと言ってる。それをどう乗り越えられるか、許せるか、それが大事だとも。
反吐が出る。じゃあどうして俺はこんなに責められるのか。謝って、謝って謝って。挽回しようと足掻いてもゴミを見る目で相手にもされない。かと思えば誹謗中傷罵倒の体のいいサンドバッグにされる。
狂う人の気持ちがわかってしまう自分が気持ち悪い。
相手にされなかった虚ろな期間から蹴り出されて、透明だった自分が悪意に滅多刺しにされながら色付いていくのが嬉しくてたまらない。
…こんなこと分からなくていい、分からないほうが幸せなんだ。それが正常だ。
頭が痛い。
身体が鉛のようだ。
静かな部屋には雨音と俺にしか聴こえない音が響いている。もったいないからと明かり1つない暗闇を街頭の光が刺し貫く。この日のために奮発した新作の期間限定チューハイでのどを潤して、あれもこれも胃の中に流し込む。
アルコールの苦味と甘ったるい人工甘味料はどうにもくどくて好きになれない。
「まあ、これで最後だしな」
床に転がって窓の外を眺める。ザカザカと雨粒が窓に当たって水滴が幾筋か描きながら落ちていく。それが満天の星空を走る流れ星のようだ、と思ったところで一度たりとも流れ星とやらをみたことがないことを思い出す。
手を伸ばせば簡単に届く星で満足できるくらいには安い人生だった。
叶うならば、次は失敗しない完璧な人間にしてくれよ
お星さま?
【題:星】
―わたしはきっと、彼に愛されていた
揺らめく視界の中で彼だけが生きている。珍しく息を乱して皮肉を吐くときだけ饒舌になる口が忙しなく動いている。なのに聴こえるのは荒い息づかいのみ。
だんだんと晴れていく思考と視界は、また彼は失敗した証拠だ。ささくれ立った乾いた指先が首筋を撫でてそこについているだろう薄っすらと紅い痕を意識する。
苛立たしげに舌打ちをして彼はいつも通り机に向かう。本と紙束、ペンとインク。ぐちゃぐちゃに積まれたそれらに囲まれながら没頭するのだ。わたしのことなど忘れて、この世界にたった独りだけの存在になっかのように思い込むことで彼ははじめて集中することができる。わたしはそれを知っている。
この一連の流れこそ、彼とわたしのコミュニケーションである。ほんの少しの苦しさを、形と立場のちがうそれを共有することで己を罰し許しを乞うのだ。
もうすっかり覚えてしまった彼の歌を思い出す。題名も歌詞もない、彼が作ったわけでもない。いつも集中した彼の鼻歌できっと本人も気づいていないだろう。
ああ。別に性的な接触などありはしない、むしろその対極にあるものだ。望み望まれることが理想なのにそれが恐ろしくて逃げてしまうような弱い存在同士で肩を寄せ合い罰し合う。ただそれだけのこと。
【題:ラララ】
「触れてみたい秘密の…」
タイトルは忘れたけど、耳に残る歌詞と独特なメロディーは覚えている。その1フレーズだけ誰よりも上手に歌えるような気がする。それくらい何度も頭の中で繰り返し再生されているのだ。
ミャオ、と甘えたような声ですり寄ってくるくせに撫でると噛んでくるのが可愛くない。どこかの誰かを連想させるような距離の測り方が本当に大嫌いだった。
可愛い顔をしてるやつほどギラギラとした欲に塗れた目をしている。与えられて当たり前というスタンスで悪びれもしない。騙されて振り回される方が悪いと言い切ってしまうあの傲慢さ、いや、高慢なのか。何にせよ可愛くない。
あの人たちの秘密を暴いてからその終わりまでをみてきた。お金も地位も、『幸せな』将来も失ったというのに反省も後悔もなくずっと喚いていた。
―――かわいそうに、
あのときの女の顔ときたら。危うく殴り殺しそうになったと憔悴しきった依頼人が泣いていたのを思い出す。
確かにかわいそうではあるが、あの女がいう権利はない。第三者からの客観的な感想であればまだ耐えられるのに、あの女が口にすると煽り文句でしかない。まあ、分かってて言ったんだろうけど、あまりにも酷い。
「どう育ったらあんな化け物が出来上がるんだか」
倫理観を捨てたのか、元からなかったのか。道徳教育の敗北を感じる。家庭環境にも交友関係にも問題はなく大学まででて大手企業への内定まで決まっていたのに、それを捨ててまで固執するのはなぜだろう。甚だ疑問である。
【題:question】