シシー

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2/20/2025, 12:38:11 PM

 なんか、もう、ここまできたらなんでも許される

 …そんな気がした。


 恋というには深く、愛というには中身のない、そういう一方的な恋愛をしていたのだ。素直に片思いといえばいいものを報われないことが分かりきっている現実から目をそらすために恋愛だと思い込んでひたすら追いかけた。
物理的な距離は1ミリも縮まらないのに、恋愛脳フィルターをかけて普段の会話ですら恋人同士がするような甘さを含んだものに変換してメロメロになる。目が合う、隣に並ぶ、笑い合う、なんてことは起こり得ないのに勝手に頭の中でその場面が再生されてその幸福感に酔いしれるのだ。

 ゴテゴテにデコられた無駄に分厚い日記帳には本当にどうでもいい些細なことまで時間場所状況を細かく書いてある。恋愛小説、というよりばっちり自己投影された夢小説のようだ。
うわあ、と思いながらガムテープでぐるぐる巻きにしてゴミ袋に入れていく。これは思い出ではない、ただの黒歴史。誰かに見つかる前に処分して置かなければいけないものだ。
 まあ、でも。こんなに狂っていても誰かを一途に想うのはとても幸せだった。内容や書き方はさておき、相手を想って想いすぎた妄想止まりの幸福はなんとなく目を引く。本人には悪気も邪気もないピュアな恋心とそれに伴う隠しきれない言動。それは本人以外には不気味なものでしかないだろう。

「…まあ、私は報われたから、よかった…」

 左手薬指に光るものが証拠だ。そして今こうやって片付けをしているのも、いらないものを捨てているのも、これから始まる生活のためだ。絶対に知られたくない知られてはいけない私の恋愛ごっこ。
 ああ、これからが楽しみだ。妄想なんかでは終わらせない、私だけの―――。




             【題:ひそかな想い】

2/13/2025, 3:07:21 PM

 1輪の花束で伝えること。

 花束なのにたった1輪だけなんてケチ臭いと思うだろうか。だけど、数百円を握りしめて歩き回っていた自分にはそれが精一杯だった。言葉すら通じるかもわからないのに飢えも渇きも癒やさないきれいなだけの花を贈られても喜ばないよな。欲しいものなら俺もおまえもいっぱいあるのに、手が届くのが何の役にもたたない飾りだけとか笑える。もちろん情けないという意味で、だ。

 花瓶なんて洒落たものもない。飲みきったビール缶を軽く濯いで、味気ない公園の水で満たしたそこに場違いなほど鮮やかな花を挿す。
人気のない公園の隅で不自然な小さな山が少しだけ華やいだ気がする。なんとかっていう法律だか条例だかの違反にはなるが、こいつには帰る家も墓もない。そもそも人でもないこいつに人のルールを押しつける方が野暮だろう。死に場所くらいくれてやるのも優しさだ、俺って優しい。

「…俺もおまえもロクでもない人生だったな」

 あ、こいつは猫生か。まあいい死人に口なしだから文句言われようがどうせ聞こえない。
 子猫の割におっさんくさいダミ声で鳴いてたのにな。

「見た目詐欺だったよな、ほんと…」

 ほんの少し花が揺れる。
 風のせいだろうがなんだろうがどうでもいい。
 ただ猫が死んで、それを弔った。
 
 それだけだ。



             【題:そっと伝えたい】

2/3/2025, 1:09:10 PM

 随分と昔の話なのだけど、恥ずかしながら病んでいる自分がかわいいと本気で思っていた頃があったの。

 雨音が大好きで、雨が降るたびに窓を少し開けて風にのって降り込んでくる雨粒を眺めながらぼんやりとすることが多かった。湿った風の匂い、水気を含んだ土の匂い、肌にあたる冷たい感触、窓にぶつかる音、遠くで響く雷鳴。
そのどれもが私とそれ以外の境目をぼかして、自分という存在ごと消し去ってくれるようなそんな気がしてすごく安心していた。いつのまにか眠ってしまって窓枠や布団が水浸しになることもあった。
 その時間が好きだった。たぶん今でも好き。でも当時の私はその時間に酔いしれる自分しか見えていなかったの。
他の人が嫌いだという時間を私だけが好きだと言って大切にしているのだと優越感に浸っていた。

 そんな風に無駄な時間を過ごしていたから焦れた周りの人がみんな私を責めた。ときに怒鳴りつけ、お金や持ち物を盾に脅され、優しく寄り添うふりをして傷口に塩をもみ込んでくる。絶望とか生ぬるいと感じるくらい人に対して嫌悪感しか抱かなくなった。自分も人なのに、矛盾しているのに、それこそが正しいこの世の真理だと信じている。
 今でも少し引きずっているのだから、あの時は本当に辛かったのだろう。優しくされることが怖くて、居た堪れなくて、いっそ理不尽に怒鳴り散らしてくれたなら何か言い返せるのにと思ってしまう。

 …何が言いたかったのか、私にもわからないの。
ただあの時感じたものがすべて無駄だったとは思わない。時間は無駄にしてしまったけれど、私の人生に必要な経験だったと思うようにしている。たとえ人間不信になろうとも、それだけが世界のすべてではないと思える判断材料にはなるから。まあ、やさしさの裏には打算や下心があると思っていれば多少気楽でいられる。

 それでもやっぱり嫌いだから、やさしくしないで。




            【題:やさしくしないで】

1/29/2025, 6:27:20 AM

 色んなことを考えていていつも頭の中はいっぱいだ。
ぽんっと出てきた新しい事にすぐ反応できなくて、それまで考えていたことが完結してからようやく新しいものと対峙する。そのときにはもう遅くて新しかったはずのことが過去のものに変わってしまっている。なんだか期限切れのお菓子のようでもったいないと思いつつゴミ箱に捨てるのだ。

 好きなものはたぶんあった。
特定の何かではなく、もっとふんわりとした枠組みで。例えば食べ物でいえば甘いものだとか、色ならば淡いものだとかそういう感じ。
あまりにも漠然としすぎてて何が好きで何が嫌いなのか現物をみて触れて合わせてみないと自分でも分からなくなる。

 少しずつ積み重なった過去は、私には重すぎる。
人に勧められた服も、髪型も、食べ物も、行き先も、そのすべてで躓いた。なのに自分から行動することはない。
 失敗することが恐ろしい。逃げ道ばかり探している。

 眩しすぎる外へ出るときはいつも帽子をかぶる。
多少狭くなった視界に安堵し、鉛のように重い身体と心を引きずって出掛ける。
 誰かの笑い声が聴こえたとき、どうして誰かと笑えるのか不思議でつい目で追いかける。どうして自分は笑えないのか、それも考えてしまうんだ。



              【題:帽子かぶって】

1/24/2025, 1:05:07 PM

 危うい人だ、と一目見て確信した。

 ふらふらと落ち着きなく動き回るくせに、その行動範囲はひどく狭い。誰かが連れ出さないと決められた場所から出てこない、いや、出られないと思い込んでいる。
日毎交代しながら誰かしらが彼女の隣にいる。過去に自ら命を絶とうとしたことがあるらしく、繊細なガラス細工を扱うかのように無理強いせず、彼女のささやかな我儘を聞きながら傍観している。誰もかれも間違ったことだと認識していながらどうすることもできずにいた。

 どこか夢うつつのぼんやりとした瞳が瞬いた。バチリと爆ぜるような効果音がつきそうなほどはっきりと、それまでの靄が全て消え去ったような澄んだ瞳が俺を捉えた。
 これはチャンスだと思った。逃してはいけない、ここで逃せば彼女を見捨てるのと同じだ。彼女にはちゃんと意思があってまだ残っている。不安か恐怖かそれ以外か、理由はどうであれ彼女の視界を曇らせ思考を奪った何かから助けてほしいと乞われている気がした。
今にも閉じてしまいそうな本来の瞳を留めようと手を伸ばす。強く腕を掴んで狭い部屋から庭へと引っ張っていく。
翳って寒々しい空気で満たされた場所よりも日の当たる場所で彼女を慕う人たちと笑い合う方がいい。

 助けを求めたその一歩を誇りに思う、
 動けないのならその手を引こう、
 絶望を打ち消すほどたくさんの希望を探そう、
 ほんの数十年の命を諦めてくれるな

 時間は有限だ。彼女と俺とではその有限すら差がありすぎる。数十年先で彼女は俺を置いていってしまう。
きっとこれは俺の我儘だ。ほんの瞬きの時間を見捨てて後悔したくない。いつか終わってしまうならばせめて思い出だけでも残してくれ。こんなこともあったと笑えるようになりたい。

 ―― だから、諦めはしない

 彼女を助けるため、なんて都合のいい嘘をつくことを許してほしい。
 

              【題:やさしい嘘】

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