「えー、わかんない」
くすくす、と意地の悪い嘲笑が続く。
もうずっと昔から、ずっとこれだ。どれだけ言葉をつくしても行動してみせても何の効果もない。
その自慢の細い脚で踏みつけたもの、腕を大きく振りかぶって投げ捨てたこと、鮮やかに彩った唇から零す言葉の汚いこと。
私はわかってるよ。
足元に散らばるそれらを彼女らは気にしない。そう、気にしないだけで知っている。悪いことも良いことも区別がついているのに、わからないというのだ。
「常識外れなのはどっちだよ」
だから今日も拾う。
世間から知らないフリをされたあの子の欠片を拾って集める。私は彼女らから身を守ることができるけど、あの子はできないから。かつての私のように苦しんでいるから。
きっとこんなこと誰も望んでない。
それでも心の何処かでひっそりと生きていてくれればいいな、と。自己満足を押しつけに行くのだ。
これは同情なんかじゃないよ、私の経験から得たものなの。だからさ、ありがとうもごめんもいらない。代わりに生きてあいつらにわからせてやろうよ。
きっとこの分厚い本とかに載ってるよ。スマホだってあるし、知識もってるだけの偉そうなやつもいる。
「ね、大丈夫」
これは私たちを守るもの。そうでしょ。
【題:同情】
今日はたくさん雨が降ったね。
まだ降っているけど、風が出てきたから明日には雨雲ごとどこかへいってしまうかもしれない。
私は面倒くさがりだから花壇の水やりをよく忘れてしまうの。だから洗濯物が乾かなくても靴が濡れても、雨のことはすごく好きなんだ。
あと髪のセットを失敗したときや乾燥しすぎて喉や目が痛かったときなんかも、まとめて誤魔化してくれるから好き。
ねえ、あなたは今どこで何をしているの。
筆無精で手紙どころかメールも電話もくれない。なのに毎月どこかで必ず植物の種と品種や育て方の説明文だけは送ってくるね。
あのね。たまに季節や気候があわなくて芽がでないことがあるの。スペースも足りなくて植えられずに待機してるのもある。花が咲いたり実がなったり、強すぎて庭中を埋めつくすものもあったり忙しいよ。
全部カメラで撮って残してある。アルバムにしててもうすぐ6冊目になりそうだよ。大きいファミリー用みたいなアルバムが5冊分はあるんだよ、大変でしょ。
送りつけてやりたいのに宛先がわからないから送れない。このもどかしい気持ちがあなたにはわからないのでしょうね。
もうすぐ日付が変わるよ。約束の日がくるよ。
ほら、あと少し。今日が終わってしまう。雨はまだ降ってる。
ちゃんと傘をさしてきてね。今日が終わってもまだ降ってるから。
【題:今日にさよなら】
「わかってるよっ」
思わず大きな声が出てしまって、慌てた。
ただでさえ静かな場所が一層静まりかえって、いくつもの視線がグサグサと身体中を刺す。いくら通話可とされていてもさすがに非常識すぎる。そういう人を責める視線だ。
未だに通話中の文字が浮かぶ画面を素早く切ってその場から逃げた。なのにいくら進んでも自分が監視されているようなまじまじと眺められているような気がしてたまらない。寒くもないのに震えて鳥肌が立つ。
ようやく自分の車に辿りつき、乗り込む。もちろん後部座席に。お気に入りのストールを頭から被って。無音で人の気配のない空間を確保して。
今度こそようやく、ようやく息を吸える。
堰を切ったように溢れ出した涙は止まらない。でもそれでいい、それであっている。
秘密であったはずなのだ
誰にも知られないはずだった
そういう法や施設ごとのルールだったはずなんだ
それを、それを
「みんな、うそつき、じゃん」
教科書に明記されていても、授業で専門の講師が説明していても、施設に属する上で遵守すべきルールであっても。結局、決まり事は破られるためにあったのだ。
その証拠が今日のこの電話だ。親からの、執拗で粘着質で侮蔑と軽蔑の混ざりあった言葉たち。
病院しか知り得ない情報をばら撒いてそこにガラス片を練り込んで、僕の傷口に塗り込む。どんなに痛くてもつらくても笑っていなければいけない。黙っていなければいけない。余計なことをしないように言わないように、つけ込む隙を消すために。
逃げ出せたと思ったのにだめだった。
わかっていたよ、はじめからわかりきっていた。だってあの人たちがそういう人だってことは誰よりも僕が知っているのだから。
だからといって、人の秘密を簡単に喋るなんて
「ひどいなあ」
【題:誰よりも】
私は今、大きな岩の上にいます。
荒れ狂う海に隆起した小さな島のようなものがある。その上に絶妙なバランスで乗っかっている巨大な卵型の岩があって、私はその上にいる。
少し離れたところに絶壁の崖があり、人工的な塀や建物が乱立しているのが確認できる。塀の一部分だけに妙に豪奢な門があって、そこから崖に沿って蛇行した階段が掘り出されている。門が豪奢なだけで階段は今にも崩れそうな有り様だ。
さて、なぜ私がそんな場所にいるのか気になることだろう。せっかちなのは私が一番よく知っている。
結論から言うと、私にも理由がわからない。
ただ一つ確実なことがある。私はこの場所にきてよかったと心から思っている。キラキラしたものやファンタジーが大好きな私ならここで死んでも構わないと言う。絶対に言う。
この卵型の岩は中身は空洞で、その空洞の内側には一面に彫刻が施されている。それが丁寧だとかきれいだとかの言葉では言い表せないほど緻密で繊細で、もうみたらわかる。私ならわかってくれるはずだ。
そんな彫刻の真ん中になにかの像と祭壇があって、これもまた素晴らしい。だけどどんな形なのか認識できない。
きれいなのはわかるけれど、何がどうきれいなのかわからない。説明が下手なのはみての通りだが、こればかりは本当に説明できない。
だから10年後、この場所にきたときにみてほしい。
「…10年後の私より、ね。頭おかしくなったのかな」
古臭いバリバリの紙に、見覚えのある癖のある字でそんなことが書かれていた。
どうみても私ではなく、叔母の筆跡にみえるのだが。
「宛先間違ってるよ、叔母さん」
車の鍵を持って家を出た。行き先は叔母が入院している県外の病院だ。つい先日事故にあって大きな病院に緊急搬送され、意識はまだ戻っていない。
この手紙が偽物でないことを祈りたい。
【題:10年後の私から届いた手紙】
昼過ぎにメッセージアプリの通知音が鳴った。
外回りに出てる後輩か、期日の近い仕事を押しつけてくる上司か。どちらにせよ面倒事なのは変わらない。
溜息をつきつつ仕事用のスマホをみる。が、誰からも連絡はきていない。
慌てて私用のスマホを取り出す。
チカチカと点滅するライト、伏せられた通知内容にさらに慌てる。
私用とはいえ、数少ない友人はみんな俺と同じような仕事をしていて昼間に連絡なんてほぼしない。両親も健在だが生存確認される程度だ。
そうなってくると思い浮かぶのは、最近婚約したばかりの彼女である。俺と同じでモノグサなやつだから連絡なんて滅多にしてこない。でも重要なことを唐突にポツリとこぼすから油断ならないのだ。
少しくらいなら、とメッセージを確認する。
『熱でて早退した』
『夕飯は食べてきて』
おい、おい。何を言ってるんだこのおバカは。
特大のため息をついて、考える。自宅の常備薬の有無、冷蔵庫の中身、病院いったのか、熱はどれくらい、症状は。
ぐるぐると彼女のことだけが頭の中を駆け巡っていく。
『絶対定時で帰る』
『待ってて』
もう俺も熱でたことにして帰るか。
画面端の時刻をみてまた悩む。仕事は後輩に投げて上司は日頃の借りを返してもらおう。彼女の方が大事だもん。
また女々しいと睨まれるのだろうな。
【題:待ってて】