頭の中にいるもう一人の私はいつも幸せそうなんだ。
周りの人に大切にされて、どんなことも肯定され、欲しいものもやりたいことも全てを手に入れてやり遂げてしまう。ヒロインそのものだ。
「かわいそうに」
ヒロインが悲しげな表情で私の顔を覗き込む。同じ姿かたちをしているのに、なぜだかキラキラと輝いてみえた。
わらわらと集まってきた人たちはみんなヒロインに声をかけ同情し励ます。まるで私の存在などなかったかのようにヒロインにだけ群がった。
そのうちの一人が私の腕を引っ張ってヒロインから遠ざけた。困ったような苛立っているような表情で無言のまま遠くへ遠くへ、ヒロインが見えなくなってもずっと引っ張って離さない。
「…あそこは、あなたの場所じゃないでしょ」
無感情な目で、声で、態度で、私の心を抉った。色々と言いたいことはあったけれど何一つ言葉にならなかった。
私はヒロインのようになりたかったんだ。でもそれと同じくらいヒロインみたいな人間とそれに群がる人間が大嫌いなんだ。
ドンッと背を押されてたたらを踏む。前のめりになって覗き込んだのは澄んだ湖だった。水底はみえるのにその深さはまるでわからない。きれいなのにゾッとする。
「あなたはこんなふうになったらだめだよ」
――――理想は理想でしかないのだから、
【題:理想郷】
『あなたのために』
少し癖のある硬い髪質だから、所々にツンツンと飛び出した寝癖は中々直らない。しかもほぼ真横に2つのつむじが並んでいるからなおさらだ。
もうひと月くらいかな。刈り上げた坊主頭は成長期もあってかすでに黒々としてしまって、かなり短めのショートヘアのようだ。だから余計に寝癖が目立ってしまって見かける度に笑いながら手櫛で整えているの。
丸顔でふっくらとした輪郭は幼さを演出し、笑うと糸のように細まる目元は優しく、ころころと感情に合わせて変化する表情は愛嬌たっぷりでいつまででもみていられる。
言葉はなくとも、その首の僅かな傾きや気まぐれに差し伸べられる柔らかな手で呼ばれているのがわかる。
視線を合わせて手を握れば、ふわりと花がほころぶような笑みで迎えてくれる。
それがどれだけ嬉しいことか、知っている?
あの子が私にくれたものにお返しをするのならばね。
私からあの子へ、『愛』言葉を贈ります。きっとずっと終わらない私の言葉を、気まぐれなあの子が受けとってくれますように。
【題:愛言葉】
私にはわからない。人を好きになることも、嫌いになることも、全部わからないの。
「あなたの父親はね」
いつもより語気を強めてまくしたてるのは母と祖父母。
それぞれからそれぞれの言葉で悪いところを並べたて、良いところなど存在しないと言いきっている。
その手に握られたリードの先に言い聞かせることが趣味なのだろう。毎日よく飽きずに続けている。
「お前の母親はな」
酒が入るにつれ大きくなる声で過去と理想を語るのは父。
過去を誇張して嘘と冗談を混ぜて語ったあと、これからの生活に頭を抱えて理想で包むのを何度も繰り返し「離婚だ」とお決まりの呪文を唱える。
リードでつながれた姿から目をそらして理想を着せることにこだわっているのだろう。飽きたら存在すら忘れて酒に浸っている。
私はそれをずっとみていた。リードの先で自主的に首輪をつけて座り込む姿をずっとみていた。
静かに笑って、ときに反抗したりして酷く叱られるのを他人事のように受け入れる姿をね、ずっとずっと隣でみていた。バカだなとか、余計なことをとか。そんな風に考えながらみていたら、気づいた。目の前にいる家族なんてみていなかった。
視線の先を追う。家族の後ろに広がる空がその目に映ってほんのりと青く染まっているのだ。
「なんだ、意外と強かじゃないか」
そうやって自身を守り、限界まで利用する気概に感心するよ。傷だらけの私を切り離して笑い続けるから、てっきり捨てられたのかと思ったよ。よかった。
もしここから逃げ出すのなら私も連れていってね。
【題:どこまでも続く青い空】
よかったね、とまるで関心のなさそうな声で返された。
それが嫌だとか、悲しいとか。そんなふうには思わなかった。この子はこういうことを必ず言ってくれると分かっていたから安心したのだ。
すべて打ち明けたらいいよ、と熱心に勧められた。
それを嬉しく思いながら、恐怖と不安が陰を指すから心臓が跳ねて落ち着かなかった。この人はとても丁寧で、些細なことにも共感して涙してくれる優しさがある。
なのに、少しだけ。少しだけ不信感を抱いてしまうのだ。
目標を高く設定しすぎて届かないとき。
一人では解決できない悩みを抱えたとき。
答えは分かっていても納得できないとき。
自分では手の届かない高いところにあるものを目指すとき、誰のどんな言葉で勇気付けられるのか。
僕はきっと、「頑張れ」よりも「いい加減な共感」の方が安心できる人なんだね。
あの子はどうなんだろうか。
僕は安心できる人になれるだろうか。
【題:高く高く】
「あなたは悪くない」
その副音声として当てはまるのは、「だけどあなたのせい」辺りかな。口調は穏やかだし表情も悪くない。外面を保てるほど余裕はある、でも言わないとムシャクシャする。だから無難な言葉で嫌味としてぶつける。
この人はとても素直で真っ直ぐな人だ。感情的になることを恥だと考え、常に冷静であるかのように振る舞うのを徹底するくらいの完璧主義でもある。
悪い人ではない、悪い人ではないんだ。
でもいつも思う。この人は完璧なものを求めるあまり目の前のものなど何一つみえていないのだ。
心や感情なんて目には映らないが、言動から多少読み取れるはずなんだ。この人はそれを無意識かつ意図的に無視をする。
自分に都合のいい部分だけを掬っているだけ。
悲しみを悲しみと捉えているのにポジティブを投げつけ、嬉しさを共感しつつあら探しをするように情報をねだる。
悪いことではないが、あまり気分のいいものではない。相手に勘づかれさえしなければどうとでもなることだから。
そう、勘づかれさえしなければいいことなんだよ。
でもこれだけ長い時間を共にした自分には分かるんだ。全てではないけれど、分かってしまう。
思わず振りかぶりそうになる拳を握り込んで耐える。
こうやって力を込めておかないと取り返しのつかないことをしてしまいそうで恐ろしいのだ。
「そうだね、ありがとう」
この一言をどう受け止めているのだろうか。
【題:力を込めて】