書きたいことだけ書きなぐってビリビリに破って捨てるだけの存在。最後には1ページも残らない可哀想なもの。
【題:私の日記帳】
いつも食卓をはさんで向かい合わせに座るの。
二人で使うには広すぎるテーブルに惣菜を皿に盛った夕飯だ。もちろん手作りのものもおいしいけれど、毎日作るのはとても大変だからね。はりきる理由もないのに作る必要はない。
いただきます、と手を合わせて食事をはじめる。
食べてるときは特に無口になってしまう私の代わりにニュースキャスターが喋ってくれる。それをたまに拾ってポツポツと話しながら食べるのだ。
つい最近までずっと晩酌をしていたのだけど、減量とその他諸々の理由でやめた。最初こそ驚かれたし誘われもしたけど頑なにお酒を口にしないでいたらそれもなくなった。
「そういえば――」
そうやって私から切り出した話題は失敗だった。
あふれ出る不満と悪口の数々に閉口せざるをえなくて、食事の味なんてどこかへ消えた。
主に両親の夫婦仲や父の経歴、私を含めた姉弟を貶す内容で、私に涙ながらに同意を求めてくる姿に一切の感情も湧かない。挙句の果てに誰にもいうなよと念を押されてしまえば笑って頷くしかない。
こういうとき向かい合わせに座っていることを後悔するんだ。涙を浮かべて困ったように眉を下げているくせに嘲るような笑みは全く隠せていないのがよく見えてしまうからね。
自分の両親や兄弟、親戚は褒めて自慢までしてくるくせに。なぜ私の前で両親と私たち姉弟を貶し私に同意を求めることができるの。
母に当たり散らし、父とぶつかり合って、私にベラベラと腹の中を曝すあなたに何がわかるというの。弟妹に当たらないところだけはまだ理性が働いているんだね。よかった。
でもね、勘違いしないでほしいの。
あなたは私が狂ったのは両親せいだといったけれど、こうやって二人きりで食卓を囲むことになった時点で察しなよ。狂ったのは私なのか、それともあなたなのか。両方かもしれないね。
ねえ、うるさいからもう黙っててよ。
【題:向かい合わせ】
「残念なお知らせがある」
帰宅してそうそう毎回恒例の一言愚痴を告げにきた父。
不機嫌さを隠しもしないで職場での愚痴や家庭内の愚痴を子どもに語る姿はもう見慣れたものだ。
それに対して思うところもあるが、それなりの事情というやつがあることはこの家に生まれ育った私にはよくわかる。それぞれの心境なんて思いやれる優しさなど欠片もない切羽詰まった環境での扱いなんて考えるまでもない。
黙ったままぼんやりと父をみていると、わざとらしく大げさに溜め息をついて一言。
「お前は親ガチャに失敗したな」
それだけ言い残して部屋を出ていく父に私は何も言えなかった。だってそれは子どもが親に向けていう言葉だ。
あと私はその言葉が大嫌いなんだ。確かにいい家庭ではないかもしれないけど、ここまで育ててくれた恩をそんな言葉で踏みにじる気など一ミリもない。
―ああ、やっぱり私の言葉は誰にも聞こえないのか
やるせない気持ちなんて数え切れないほど味わってきたのに、いつまでもその苦みには慣れやしない。
私が親ガチャに失敗したのではなく、両親が子どもを産むか産まないかの選択を間違えたのだ。ガチャなんてするまでもない。そもそも産まなければ何もなかったのだ。
自分のせいにしたいのか、親のせいにしたいのか。それすらも分からないまま私はずっと『子ども』で居続けるしかないんだね。
【題:やるせない気持ち】
くすくすと笑いながら耳打ち合う姿を見かけた。
いつもならすぐ交ざりにいくところだけど、日直の仕事のせいでそんな暇もない。大量の課題ノートを大して話したこともないクラスメイトと運びながら教室を出た。
無言のまま早足で歩きながら考える。さっき聞こえた会話の内容がどうにも気になってしかたない。
「…夜に海にいってなにするんだろ」
その日の晩。結局聞き出せなかった会話の内容に悶々として全く寝つけなかった。暗い部屋の中、クーラーの風で揺れるカーテンの隙間から月明かりが差し込んでなんだか水底にでもいるかのような心地になる。
自宅から海まではそう遠くない。川沿いの一本道を通れば自転車で20分程度だ。自転車通学している私の脚ならもっとはやく着く。
もう真夜中だというのに海に行きたくて堪らなくなった。行ったところできれいな砂浜なんてない磯臭い狭い浜辺があるだけなのに、そのときはなぜかとても魅力的に感じた。
街頭なんて1本もない道を自転車で走り抜ける。
昼間とはちがうじっとりとした夏の空気を川上から吹く風と共に切り裂きながら進む。それだけでもう最高だった。
遠くにチラついていた明かりが近づいてきて、目を瞠った。
「遅いよ、待ちくたびれたわ」
大量の花火を手にした友人たちがケラケラと大声で笑っている。すでに何袋か空けたあとなのか、燃え殻の入ったバケツが2つもあった。
約束なんてしてないのに、私のためにとっておいたのだといって束になった花火を手渡される。燃え殻の中にあった種類と同じものがいくつも混ざっていて本当に私を待っていてくれたのがわかった。
「だったらちゃんと誘ってよ」
にやけた顔までは誤魔化せなくて、また笑われる。
ギャーギャーと騒ぎながらやる花火は楽しくてしかたない。またやろうねって口約束だけで嬉しくなる。
―海にきてよかった
【題:海へ】
ポンッと軽い力で押しだされた。
視界の端に映った顔はいつも通りの穏やかな笑顔だった。それにつられて笑おうとしたけど、なんでだろ、頬が引きつって笑えない。
ガツン、ガツン、ガツッ、ガンッ
人体からしてはいけないような音と激しく回る視界に思考が追いつかない。身体中が痛いし、鉄錆のような匂いがまとわりついてきて鬱陶しい。
こんなことよりも笑わなくては。姉さんが笑っているのだから笑わなければ。ああ、何もみえない。耳鳴りが酷くて姉さんの声が聴こえない。
「お姉ちゃんはね、あなたのことが大好きなの」
優しい陽だまりのような匂いが微かに香った。
よく知る姉さんの香りだ。目も耳も役に立たないから確認もできない。動かしているはずの腕や足も激しい痛みで麻痺してしまって本当に動いているのかすら分からない。
でも、あの優しい姉さんなら、側にいるはずだ。
「可愛さ余って憎さ百倍、頭のいいあなたなら分かるでしょ」
ごめんなさい、姉さん。心優しいあなたを悲しませてしまう僕を許して。きっともう姉さんとともに生きることはできない僕を許して。
「お姉ちゃんのために死んでくれてありがとう」
【題:裏返し】