鶴づれ

Open App
6/29/2023, 1:11:25 PM

入道雲

 真っ白な画用紙に、爽やかな青を乗せる。
 真ん中だけ、大きな綿菓子のような形を空けておく。ここは、入道雲にするのだ。

 青で空を作り終わったら、パレットでその青を薄め、雲の影を染める。
 視線を画用紙、パレット、空の3か所で回転させながら、一心不乱に筆を進めると、本物そっくりの空が画用紙に写し取られた。

 でも…。
「なにか、違う…」
 どうしても、この目の前に広がる、本物の空の方がいいなと思ってしまう。私は絵の中で、この空を美しくできていない。

 なにがいけない?なにが変?なにがおかしい?
 青に他の色を混ぜた方がよかった?入道雲はもっと大きい方がよかった?本物そっくりに描かずに、オリジナルの表現を加えた方がよかった?

 分からない。どこをどうすればいいのか、なにも分からない。

 それでも。いつか美術館で見た、あの空の絵のように。
 私が描いた絵の方が素敵だって、誰かに思わせてやるんだから。
 それまで絶対、描き続けてやる。

6/28/2023, 12:57:51 PM




 ワイヤレスイヤホンを耳に突っ込んで、家を飛び出す。
 体内に直接流れてくるのは、大好きなシンガーソングライターの曲。まさに夏、といえるような明るく軽やかなメロディーに乗って、今日もあの電柱へと走る。

 サビを聞き終わるまでに行かなきゃ、彼女に会えない。
 何回も聞いた歌詞と一緒に、ただ、走っていく。今日は、ちゃんと伝えたいんだ。

『夏の空が 僕らをみてる』
 サビの最後の一節が耳に届くのと同時に、僕は叫んだ。

「おはようっ!」
 電柱の影にいた君が、ひょっこりと顔を出した。
「おはよう!」
 イヤホンを外して、君の隣に立つ。

「…今日も暑いね」
 何気ない世間話しか出てこない。
「本当に!ねぇ、そんな中走ってたよね?大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「そっか!体力あるね〜」
 君は機嫌がよさそうに歩いていく。
「あっ、そうだ!昨日のテレビで…」
 君のバラエティー番組の話を、相づちを打ちながら聞く。
 話すタイミングを見失ってしまった。

 どうして、「待ち合わせしない?」の一言が言えないのだろう。いつまで偶然を装って、毎朝君に会いに行くのだろう。本当に、情けない。

 ふいに、大好きな曲のサビが頭に響いた。『夏の空が 僕らをみてる』頑張る人たちの背中を、暖かく押してくれるような歌詞。
「あのさ…」
 夏に背中を押されたような感覚に身を任せ、伝えたかった言葉を紡いだ。

6/27/2023, 12:04:40 PM

ここではないどこか


 かしゃり。

 道端のものにカメラのレンズを向けて、写真を撮る。アスファルトの隙間から伸びる花を。青から赤に、藍に変わる空を。アメンボが横切る水面を。綺麗だと思ったものはなんでもカメラで切り取る。

 戦利品が詰まったカメラを首から下げ、家に帰る。そうしたらすぐにパソコンを立ち上げ、プリンターの電源を入れる。カメラを繋いで、撮った写真を一枚残らず印刷して、一番輝いて見えるレイアウトでアルバムにまとめる。それが私の日課。

 今日は本当に素敵なものができた。

 橙と藍が共存する絶妙な空の色の真ん中で、道路にいた雀が遊んでいる。緑が眩しい木の下には、とても大きなアゲハ蝶。この蝶だけ、拡大して印刷して正解だった。現実ではありえないのに、美しい。

 このアルバムを眺めていると、架空の世界へ旅立った気分になる。ここではない、どこにもない世界。似ているようで、全く違う虚構。

 そんな世界が大好き。だから写真はやめられない。

6/26/2023, 12:48:26 PM

君と最後に会った日


「好きです。付き合ってくださいっ!」

 小学校の卒業式の日、一年かけて育った思いを君にぶつけた。

 君は私立の中高一貫校に行ってしまうから、地元の中学に入る私とは、もう簡単に会えなくなる。

 告白するなら、今日しかない。そう思った。

 咲きそうで咲かない、桜の木の下。君は珍しく頬を赤く染めて、柔らかく、優しく笑ってくれた。

「ありがとう。俺も好き」

 その瞬間から、世界中が虹をまとったように輝いて見えた。この先の未来はずっと明るくて、ふわふわして、きらきらしているような気がする。だって、君が私と同じ気持ちを返してくれたから。君と駅で待ち合わせて、遊園地に行く様子だって、ありありと想像できる。本当に、素敵なもので満たされていた。

 そう思ってたのに。

 君と最後に会った日が、君に告白した日だって、どうやったらあの日のうちに知ることができただろう。お互いに恋愛の仕方なんて知らなくて、連絡先も交換せずに家に帰って。デートの約束一つすらできずに終わるのが、私の恋だと。知っていたら、こんなに引きずらずに、さっさと諦められた?それとも、今と同じく、みっともなくあの日の君の言葉にすがりついた?

 明日は、小学校の同窓会。君は、私のことなんか、忘れちゃった?どうせなら、私の存在すら忘れて、君に似合うきれいな恋人でも作っていてよ。

 それでも、もし、覚えていてくれたら…。

6/25/2023, 12:44:16 PM

繊細な花


 いつもの散歩のコースには、3階建ての小洒落たビルがある。誰かがワークショップや展覧会を開いたり、ライブをしたりするような場所だ。

 今日はそのガラスの壁に、『繊細な花展』と書かれたポスターが貼られている。生け花かと思ったけれど、立体切り絵作家の個展のようだ。よく見れば、ポスターに写っている蓮の花は、本物ではなく切り絵。触れただけで壊れてしまいそうなほど、繊細な模様だ。

 吸い込まれるように、ビルに足を踏み入れた。

 中には、作品が収められたガラスケースが点々と並んでいる。桜にユリ、コスモス、椿。その花びらに切り取られた、繊細で美しい模様を主張することなく、ただそこに花が存在している。切り絵は、こんなに静かなものなのだろうか。

 ぽつりぽつりと歩いていると、ポスターになっていた蓮の花を見つけた。

 水面を模した水色の上に、ただ白い蓮の花が静かにあった。ポスターで見た時は切り絵が主役だと思ったのに、ここでは蓮の花の一部でしかない。細かな花びらの花模様は、蓮の花の輪郭にゆったりと溶けて表に出ない。あるのは、一輪の蓮だけ。

 題は、『蓮』とだけあった。確かに、これは蓮以外の何ものでもないだろう。

Next