夏
ワイヤレスイヤホンを耳に突っ込んで、家を飛び出す。
体内に直接流れてくるのは、大好きなシンガーソングライターの曲。まさに夏、といえるような明るく軽やかなメロディーに乗って、今日もあの電柱へと走る。
サビを聞き終わるまでに行かなきゃ、彼女に会えない。
何回も聞いた歌詞と一緒に、ただ、走っていく。今日は、ちゃんと伝えたいんだ。
『夏の空が 僕らをみてる』
サビの最後の一節が耳に届くのと同時に、僕は叫んだ。
「おはようっ!」
電柱の影にいた君が、ひょっこりと顔を出した。
「おはよう!」
イヤホンを外して、君の隣に立つ。
「…今日も暑いね」
何気ない世間話しか出てこない。
「本当に!ねぇ、そんな中走ってたよね?大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「そっか!体力あるね〜」
君は機嫌がよさそうに歩いていく。
「あっ、そうだ!昨日のテレビで…」
君のバラエティー番組の話を、相づちを打ちながら聞く。
話すタイミングを見失ってしまった。
どうして、「待ち合わせしない?」の一言が言えないのだろう。いつまで偶然を装って、毎朝君に会いに行くのだろう。本当に、情けない。
ふいに、大好きな曲のサビが頭に響いた。『夏の空が 僕らをみてる』頑張る人たちの背中を、暖かく押してくれるような歌詞。
「あのさ…」
夏に背中を押されたような感覚に身を任せ、伝えたかった言葉を紡いだ。
6/28/2023, 12:57:51 PM