セックス・オン・ザ・ビーチ
ニューヨークからシカゴに私の一家が移り住んだのは、欧州での大戦が始まる前の年の元旦のことだった。父の職場がシカゴに移り、我々家族はそれぞれ新しい生活に慣れなければならなかった。まだ当時九つだった私は、当然新しい小学校に転校し、不安や希望の入り混じった形容し難い複雑な気持ちを抱えていたのを覚えている。
私が小学校を卒業する頃には、友人がたくさんできていた。特にソニーとアルフレッドは週末にはいつもゲートボールをして遊ぶくらい仲が良くなった。そのまま中学に進学する頃、シカゴの治安は最悪だった。そう、アル・カポネ率いるイタリアン・マフィアがこの都市を牛耳っていたからだ。
昼間でもマフィア同士の銃撃戦が繰り広げられた。だが警察はというと、あまり大事にしないように捜査は深入りしなかった。マフィアから賄賂を受け取った悪徳警官が溢れていたからだ。また、密造酒が出回り、故郷のニューヨークでもマフィアが幅を利かせていた。そのニュースは本当に悲しいものだった。なぜなら、父の会社はドイツのビールメーカーだったのだから。
禁酒法が解禁されるまで、父は国に会社を閉鎖され、仕方なくミシンを作る会社に就職した。だけどあまりいい生活は出来なかった。私は必死に勉強し、家族を安心させようとした。母は私をいつも誉めてくれるが、父はなかなか私を誉めない。それでも私は父に認められたく、シカゴでも名高い高校に進学した。
大学に進学すると、禁酒法が解禁され、父は再びビールメーカーに戻った。私はあの懐かしいソニーとアルフレッドと共に成人祝いにカクテルを飲んだものだ。その時初めて飲んだカクテルはずっと後に『セックス・オン・ザ・ビーチ』と呼ばれるものになるのだけれど、当時の私はシカゴで大人になれた喜びで満たされていたので、そんなことは考えもしなかったのである。
世紀の阿婆擦れ女コーティー
“スパンキー”とかいう最低最悪の渾名で僕を呼ぶコーティー・フラーを僕は愛していた。だから僕は世紀(性器)の阿婆擦れ女と心の中で彼女を侮辱してやるのさ。僕は控えめな性格だけど、内心は酷く暴力的なのさ。それこそ、泳ぎ回る“スパンキー”のようにね。
コーティーにはダニエルという兄がいる。コイツは無職の引きこもりの癖に芸術家気取りの変態野郎なんだ。女の裸の絵ばかり描いて、実に気持ち悪いヤツなんだな。しかもメガネが本当に似合ってない。ダサいなんてものじゃないよ、アレは。80年代の若者だってもう少しマシなのをかけてたさ。
まあ兄は酷いけど、コーティーは実に美しい女性だよ。だけどね、言葉遣いがよろしくないんだな。僕を“スパンキー”と呼んだりするし、幼なじみであり親友のクレイグ・マッコールを“タマナシ”と呼ぶ。だからクレイグは僕に「あんな女とは付き合うな」と忠告してくれたけど、僕は彼女が好きだから仕方なく親友の忠告を無視せざるを得ない。
意外なことにね、コーティーは処女なんだ。でもきっとそれは嘘だと思うだろ? だけどホントなんだよ。だってキスしようとするだけで恥ずかしがるんだからさ。そういうギャップが僕は好きなんだなあ。他にも下品な言葉遣いをする女の子たちはたくさんいるけど、コーティーほど可愛い最低最悪な女の子はこの世界広しと言えど居ないんじゃないかな。
だけど、やっぱりクレイグを“タマナシ”と呼ぶのは止めて欲しいものだね。彼は真面目で慎重なだけなんだから、恋愛経験の有無で人を侮蔑するのは許されない行為だ。でも、僕が本気でそれを彼女に指摘すればきっと彼女はベソカキながら謝るんだろうと思うと、やっぱりこの世紀の阿婆擦れ女が僕は好きなんだと思い知らされるんだろう。
僕は明日学校で彼女を泣かすつもりだ。
泣き顔をイメージして寝ると、僕の右の口角がほんの僅かに上がっていた。
ピー・ティー・エス・ディー
俺は中隊の一員として、ひたすら塹壕の中を歩いていた。そこは国境付近だと隊長から知らされたが、実際は分からない。ただ、西へ西へと果てしない塹壕を進んでいたのを覚えている。遠くで砲弾が炸裂する音、化け物みたいな戦車の軋む音、数多の銃声が響き渡る戦場の中を歩いていた。
頭がおかしくなりそうだった。いや、もうおかしくなっていたのかもしれない。初めて戦場に来てから、イカれちまったのかもしれない。敵の新兵器がそうさせているのかもしれない。どちらでも大差ない。俺は頭がおかしくなったのは戦争から帰ってからすぐだったから。
ここには塹壕はない。舗装された道があるだけ。泥まみれの塹壕を歩きながら、死体を跨ぎながら、火薬の仄かな香りを嗅ぎながら、必死にライフル銃を握りしめながら、毒ガスに怯えながら歩く必要もないんだ。なのに、俺の頭の中では今も塹壕を歩き続けているんだ。
戦争は負けた。俺の国は降伏し、酷く貧しくなってしまった。思えば、俺はどうしてのこのこと帰ってきてしまったのだろう。俺に居場所なんて無いのに。俺を迎え入れてくれる場所なんて無いのに。もう、俺の知っている世界はそこには無かった。
別世界に来てしまったようだ。
頭が混乱している。
酷く気分が悪い。
「顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
紅色の帽子の若い女が舗装された道の上で立ちすくんだ俺にかけ寄って来た。
「うるさい、あっち行ってろ!! 次の指示が聞こえないだろうが!! まだ負けちゃいないんだ」
女は後退りしながら逃げて行く。
「そうさ、これからすぐに次の支援が来る…帝国に勝利を…万歳…」
そこで俺は気絶したが、死ねなかったことにいささか後悔している。
今、こうして病室のベッドの上で鼻歌を歌いながら、夢と現実を行ったり来たりしている。
消えない光
ときどき、いや、最近は、よくこう思う。
『僕はどこへと進んでいるんだろう』と。
死に向かって歩いているのだとしたら、それだけが生きる理由なら、人生は恐ろしく退屈極まりない暇潰しだ。そんなもののために、僕は生きているのだとしたら、今すぐにでも死んでしまうだろう。そして、神を呪ってやる。
20世紀にこんな歌が世界で流行っていたそうだ。
『ここにはいつまでも消えない光がある』
光。
それは、輝いてはいるけど。
うすぼんやりと。
それは、希望の光じゃない。
少なくとも、この歌は希望を歌っていない。絶望の中にだって光はあるのだから。
僕の中にも、消えない光がある。
静かに暗闇の中で揺れる、絶望と希望の狭間を行き来するような、不安定な光が。
森のロンリー・オールドマン
その老人は深い森の中で一人きりで暮らしていた。家も森の木を材料にして造られており、そこそこ立派な家に住んでいた。
老人は街に出ることはない。生活水は川の水を使い(この川がまたとても澄んだ綺麗な川だ)、電気の代わりに薪で暖をとった。当然、夜は部屋の中は蝋燭の明かりのみになるが、老人はこれらを不便だと思ったことは1908年にこの場所に移り住んで以来、40年間一度もない。老人の孫と妻は戦争で先立ち、もはやこの家にいるのは老人一人だった。
老人は小口径のライフル銃で森の動物を狩っては、それらの肉を余すことなく食べ、日曜日には神に祈りを捧げていたが、とうとう彼は限界が来ていた。
ある時、彼の家に見知らぬ男がやってきた。男は元ナチスの軍人で、高級将校の一人だったという。しかし彼の身なりは浮浪者そのもので、身体からはきつい臭いを放っていた。男は拳銃を老人に向けるなり、「この家を借りるぞ」と言った。老人は彼をもてなした。
というのも、老人は孤独感に心を押し潰されそうになっていたからである。この際、誰とでもいいから、一緒に居たいと思っていた。軍人は川で身体を洗うと、老人に何か食べ物をよこせと要求した。老人は焼いた鴨肉とワインを差し出すと、二人は奇妙なランチタイムを始めた。
腹を満たした軍人は、勝手にソファーに寝転ぶと、ワインの残りを飲んだ。老人は軍人に何か話しかけようとしたがやめた。彼がすぐに眠ってしまったからである。
軍人の左手首にはめられたヒトラーの印が刻まれたクロノグラフの時計を老人は宝石を見るような目でまじまじと見ていた。
それから老人はライフル銃を担ぐと森へと入っていき、その途中でカーキ色の制服を着た連合国軍軍警察の男とばったり出会った。男はドイツ軍人を見なかったかと聞いたので、すかさず老人はその男の眉間を撃った。
森に乾いた銃声が響き渡り、その音を聞いた軍人は飛び起き、一目散に老人の家を飛び出して行ってしまった。
老人はまた一人になった。