40秒ごとに一人死ぬ世界
一年は365日。
人生がだいたい80年と推定するなら、約3万日。
さらに計算すれば一週間は約4千回しかこない。
憂鬱な月曜日の朝と日曜日の夜をたった4千回繰り返していたら、そのうち死ぬ。
でもこれは健康的な老衰の場合の話。
たいていの人は何かしらの病にかかる。
重症度は人それぞれだけど、私の身内はみんな病気で死んだ。
それも、心の病でね。
そして、この世界では約40秒ごとに一人が自殺しているそうだ。
そのカウントに私の身内も入っている。
そして、私もそう遠くない未来で、そのカウントに加わることを望んでいる。
3万日と、三日間の命、何が違うんだろう。
命は重たくない。
ほら、これを読んでいる間にもまた誰か一人がこの地球のどこかで自ら命を絶った。
だけど、それのいったいどこが悲劇なの?
悲しいと思うならあなたは偽善者だ。
何も悲しくない。
人は死ぬ。死ぬために生きてるし、生きているからこそ、美しいし、死ぬからこそ、儚い。
死。いつか、明日か数ヶ月後か、50年後か。
私が40秒に一人のカウントに追加されても、あなたは何も悲しむ必要はないからね。
アラバマ州ジェファーソン郡の子供たち
ほんとのことは、分からない。
ただ、僕らはアメリカ南部の人間であること。そして、先祖はもともとアフリカ大陸のどっかから連れて来られた奴隷だったこと。
だけど、先祖がヨーロッパ人を恨んでいたかどうか、ほんとのことは、分からない。
僕らはタクシードライバー。でも、あの映画みたいに元兵士のドライバーなんて一人もいないよ。ほんとさ。ただ、このアラバマのタクシー会社の社員はほとんどがアフリカ系アメリカ人なんだ。僕を含めてね。
僕はジェファーソン郡に生まれたから、たぶん死ぬまでこのふるさとを出ないと思うよ。こうやってタクシーを乗り回すのが大好きだからさ。
何不自由ない。そうやって僕らは様々な人種で溢れかえるこの軍事大国でうまくやってるんだ。うまくやってられないヤツはクスリに手を出したり、犯罪を犯したりするけど。僕はこの街が気に入ってるんだ。1981年に大学生の頃、僕はパリを訪れたことがあるけど、やっぱり僕はジェファーソン郡が好き。
デパートのタクシー乗り場で停車してると、白人の一家が僕の車に向かって「ヘイ!タクシー!」と叫んだ。銀行員風の男の手を握る小さな女の子、清潔な服装の女は赤ん坊を抱えていた。僕は笑顔で扉を開く。四人だったから、助手席に女の子が座った。小学生くらいの。僕の娘より少し小さい。
僕はこの仕事が好きだ。女の子の顔を見て笑った。
「どちらまで?」
港までの散歩
彼のプライドや自尊心は、もはやズタズタだった。
何一つ仕事もできない、親がいないとまともに生きていけない、大学時代の友人らはとっくに社会に出て仕事をしている。
彼は小説家を目指すべく、子供部屋に引きこもっては小説の構想を練っていた。
が、ある朝、彼は自分には才能も成功も無いことを無慈悲なまでに叩きつけられた現実を思い知る。
よく晴れた月曜日の朝だ。
彼は髪を整え、髭を剃り、ネクタイを結んだ。
「就活に行ってくる」と家族に嘘をつき、手作りのサンドイッチを持って散歩に出かける。
途中、老婆がにこやかに話しかけてきた。
「これから、お仕事ですか?」
彼はにっこりとこう答えた。
「そうです。全て順調に進んでいますよ」
老婆は「まあ、素敵。頑張ってくださいね」と再び笑顔を見せ、彼は軽く会釈すると去って行った。
港について、海がよく見える場所に腰掛けると、彼はぼうっとコンテナ船を見ていた。中国語のレタリングから、外国の船かな、とぼんやり考えていた。
ふと、隣を見ると、釣りをしている青年がいた。
「釣れてる?」と彼は聞いた。
「いやあ、今日はあんまり手応えないっすね。貴方は今お仕事の休憩か何かですか?」
彼は「まあ、そうだね」と答えた。それから彼は急に自分の存在がこの青年にとって邪魔なんじゃないかと思った。
「僕がいると、魚が釣れないと思うから、向こうに行くよ」
「え。俺は別にそんなことはないっすけど…」
「僕は魚に嫌われているからさ」
青年は首をかしげながら彼を見ていたが、彼は移動した。もっとコンテナ船がよく見える場所へ行くと地面にどかっと座り、サンドイッチを食べた。
もう嘘をつき続ける人生に疲れた。僕は結局なあんにも無いんだな、と汽笛が響く青空の下の港でそのまま死んだように大の字で寝転び、笑った。
ワンダラウンド オレンジ色の猫の物語
オレンジ・キャットを知ってるかい?
知らない?
そりゃそうだろう。オレンジ・キャットは夢の世界に住む死神なんだから。
オレンジ・キャットは、身体が名前の通りオレンジ色なのさ。だけど、身体は普通のサイズの猫なんだけど、顔は恐ろしいほど醜い。これはオレンジ・キャットを見た人の心の穢れを写し出しているからなんだってさ。
死神というのはだな、その猫を見た者は夢の世界に永住したくなるんだな。だけど夢って覚めるから夢だろう? だから二度と目が覚めないように現実世界で死のうとするんだ。
オレンジ・キャットは現実世界で死んだ人間の魂を夢の世界へ連れて行くんだって。
そこで、永遠に覚めない夢の世界の住人になるんだ。最近となり町の女子高生が自殺したニュースは知ってるだろ? 遺書に『オレンジ・キャットが呼んでる』って一言だけあったらしい。
オレンジ・キャットは心を病んだ人間の夢に現れるそうだぜ。
お前もメンタルヘルスにはご用心。
じゃ、俺バイト行くからさ。
バイト先?
ピザ屋だよ。俺ピザ生地をクルクル回転させるのが特技なんだぜ?
今度店に来いよ、オレンジジュースも用意してるからさ。
ワンダラウンド
また、私は実に愉快な夢を見た。というより、久しぶりに夢を見たと思う。最近の私ときたら、酷く疲れて夢すらまともに見ていなかった。もしかしたら、夢を見てはいても、すっかり忘れてしまっているのかもしれない。
脳ミソの記憶の引き出しにしまっているあれやこれやを模倣して見せているのが私の夢の世界の設定だ。だから、夢だからってカミソリで小指を切れば痛いし、電車に轢かれればさすがに死ぬ。だけど、夢と現実の決定的な違いは私を苦しめる存在がないことだ。
「やあ、カチューシャ。今日は学校休み?」
私は頭を抱えたくなった。何で夢の中でも大嫌いな学校に行かなきゃいけないんだろう。
「こんにちは、カミングス。悪いけど、私今ひとりでいたいんだ」
カミングスは私の架空の友達だ。現実世界でもたまに頭の中で語りかけてくるから困っている。意外とクールな髪型が気に入ってはいるけど。
「さっき君に似たオレンジ色の猫を見つけたんだ。すごく可愛いかったよ。君に見せたかったんだけどさ、ソイツすばしっこくて…」
「カミングス、ちょっと黙ってなよ」
私はちょうどガラス張りのビルがにょっきりと生えてきたから、その中へと歩みを進めた。
「ふん。そうやって逃げ回っていればいいよ、カチューシャ。君はいずれこの世界の住人になるんだからさ」
私は彼がついて来ないのを確認するとエレベーターホールへ行き、最上階へのボタンを押す。いちばん高いところからこの世界を見下ろすためだ。エレベーターはあっという間に到着した。
ガラス張りの何もない部屋は寂しかったので、双眼鏡とドリンクバーを設置し、オレンジジュースを飲みながら、眼下に広がる世界を眺めていた。
「何が『カチューシャ』だ、馬鹿馬鹿しい」
『カチューシャ』は私の本名じゃない。この世界での仮の名だ。
私は飲みかけのオレンジジュースを床に投げつけて叫んだ。
「私の居場所は『ここ』なんだ! 逃げ回ってもいないし、さ迷い歩いてもいない! どいつもこいつも私の人生を邪魔しやがって、クソ!」
私はガラスの壁面に扉を作り、開けると外に向かって飛び降りた。
地上に墜ちていく間、オレンジ色の猫を抱き抱えたカミングスがにんまりと笑って見ていた。
「何よ、ぜんっぜん似てないじゃない、ブス猫」