地元の天気予報では日曜のうちに雪が降るらしい。
雪国住まいの私は、この時期は自転車はこげないし車を出すのにも時間がかかる、何かと煩わしい季節だ。でも積もった雪を見ると、心が踊らずにはいられない。まだまだ子供である。
<雪を待つ>
救いの手のない部屋の片隅で、粗末な記憶に触れた。
それは針のように細く、弱々しい。だけど、確かな敵意は己の胸を突き刺して止まない。
華々しい記憶を何度も呼び出そうとしては苦しくなって、吐き気がする。
どうしてこうなってしまったんだろう。
茶褐色に霞んだフリルワンピースは何も言わずに棒のような脚を撫でている。
嵐が吹き荒れる外の世界、風雨に雷鳴の音は荘厳な鐘の音のように思えて、なんだか瞼が重くなる。
これがただの睡魔なのか、はたまた死神の差し伸べる手なのかは分からない。
少なくとも、ここで私が事切れたとて誰も気が付かないということだけは分かる。
救われない部屋の片隅で、私は無機質な瞳から覗く世界を閉じた。錆びた球体関節はもう動かない。立ち上がれない。
少しだけ口角を上げることも叶わない私は、そのまま泥のような夢に堕ちた。
目覚めるかも分からない夢のなかに。
<部屋の片隅で>
逆さまに見えた。
エメラルドの双眸から覗く見慣れた深淵は反転している。
風切り音が肌を、脳を、全てを切り裂いて行く。
全身が音を立てて崩れ去り、秋らしい寒風に流されて魂ごとぜんぶなくなる。なくなっていく。
双眸から覗く愛すべき世界は、赤々しく染まり、僕の視界を染めきった。
鼻を刺す鉄の匂いがどうしてか心地良い。
もう見えない現世に安堵して、僕は眠りについた。
<逆さま>
時折、限界の無い闇が心に伝わる事が有る。
それは専ら夜。
暗い部屋の中で寝具に身を任せて、行き場の無い手を伸ばす。白いシーツの皺をなぞる。
身を包む闇は、悪夢は己の弱さの権化だと誰かが言った気がした。
時刻は午前3時を指している。
眠れないほどに不快な"それ"は、いつまで経っても止む気配は無かった。
<眠れないほど>
「そう泣くなって。別に、俺のことを忘れるわけじゃないんだ。」
体が白い鱗に包まれ始めた彼は、既に龍の体表ように変貌した手を私の頬に伸ばした。
反射が虹色に光っている鉄のように硬い白い鱗に私の涙が伝う。
「…もう時間だな。」
白鱗の手を離した。私の頬にはまだ彼に僅かに残っていた温もりが跡を引いている。
「まって、あのね……
ううん、いい。決してさよならは言わないでほしいの。それだけよ」
彼はその言葉を聞くと、少し立ち止まって、いつもと変わらない調子で明るく笑った。
「大丈夫。わかってるさ。
……じゃあな、また逢う日まで。」
そう言って彼は七色に光る水晶に取り込まれて消えていった。
彼のいた場所には白い鱗、そして形見の懐中時計が転がっている。
私は彼の温もりを、彼の残滓に求め続けた。
"さよなら"を知らないようにするために。
<さよならは言わないで>