(この心臓よ、どうかもってくれ!)
着慣れたセーラーの上から呼びかける。
梅の花が綻び始めた春先、胸ポケットには優しくて暖かな色の造花が顔を覗かせている。
左手には先程貰ったばかりの小さな花束が握りしめられている。
3月も終盤に相応しい陽気が射し込む教室はさながらスポットライトの当たる舞台である。
出演は私と彼、2人だけ。
3年間抱え込んだこの想いをとくと食らうが良い。
さぁ、早く幕を下ろすのだ。
私は大きく息を吸い、目の前の彼に、、、
……少しだけ、ほんの少しだけ、春らしい甘い香りが、窓から流れ込んだような気がした。
春は歓びの季節だと、私は思う。
<My Heart>
青と白。
彼が好きだと言っていた色だ。
私は今、その花を小脇に抱えて、彼が眠る墓の前に立っている。
じめりとした草木の匂いが鼻を突く開けた墓地の片端にある墓は、彼の優しい心を体現したかのように美しい花や植物が生い茂り、朝露が滴り落ちている。
私は俯いた。
もう彼が亡くなってから、両手両足を使って数えても足りない程の年月が経っている。それでもなお、私は生き永らえている。なのに、あのころの姿のまま私は変わらない。身も心も何もかも、あの時頬を伝った雨粒に置き去りにされ、忘れられている。
抱えた花を置いた。
苔まみれの墓石はふわふわとした感触になっていて、暖かみが増したように思う。
なんだか彼らしいかな、
と軽く微笑んでみた。
もう笑い返してくれる存在など居ないが、目の前に彼がいるような気がして、なんだか心が安らいだ。
…頬に何かが触れた?
暖かい。知っている感覚。この手は……
「なによ、顔を出してくれれば良いのに。」
私はもう一度笑った。
…あのころと同じように、頬に雨粒が滴り落ちた。
<ところにより雨>
ずっと一緒に居られると思っていた。
茜空に伸びる影はどんどん遠ざかってゆく。
当たり前だと思っていた。
数えられないほどの思い出を携えたその背中に、思わず惜別の涙が滴り落ちる。
「じゃあ、」
手を振った。
赤い温もりが名残惜しくて、失いたくなくて…
<ずっと隣で>
夢とは脳の記憶処理中に起きるらしい。
簡単に例えると、持ち運んでいる書類をうっかり落としてしまったみたいなものだとも聞いたことがある。そんな夢に関して、私が最近見ている夢と一緒に綴っていこうと思う。
時に私は夢を見る時、専ら現実に沿った夢を見る。夢によくあるふわふわとした世界でも異次元な世界でもなんでもない、本当に夢だと気づかなければ現実の記憶と混じってしまいそうなほど、本当に何の変哲もない現実の夢を見る。
…脳の記憶処理中に夢を見るなら現実準拠、たとえ現実的でなくとも多少不自然なところがあるだけのはずで、前述したようなふわふわした世界の夢はどうして夢の代表格のように言われているのだろうか?
多分私は今日の夜も日常生活と同じような内容の夢を見るだろう。なんなら見ない可能性も有り得る。
…今日私は、こんなことを書いてしまったせいで「ふわふわで穏やかな夢を見る人々は、どんな世界を見ているだろうと考えながら眠りにつくのだろうか」などと結論なぞ分かりっこない事に思考を巡らせて眠るだろう。
今ここでこの話題で話を進めたことを後悔し始めている。結論が出ない。だって夢だから、夢に結論も答えも何も無いのに考えたって何になるのか…
<こんな夢を見た>
新年。 令和6年開幕の日。
私は初詣に行って、おせちを食べて、友人と少し出かけたあとに令和6年能登半島地震にあたった。私のいる県は震源地の隣県、震度5。人生で感じたこともない揺れだった。
私自身に怪我もないし家の倒壊もない。家族や友人の安否も確認できている。
私は東日本大震災の記憶がかなり薄くて曖昧な世代の生まれだ。増して地震が日本で1番来ない県に住んでいることもあって、災害に対する認識や知識が甘かったと今回の地震で思い知らされた。
これを見ているみなさんも、地震が来た時は冷静に、ニュースなどを見て状況を判断し、避難等して欲しい。
Twitter等に「生き埋めになっている」「助けてください」とのツイートが刻々と増えている。
1人でも犠牲となる方がいなくなることを願っています。
2024年、開始から大変ですが、私も頑張ります。
<<新年>> 富山県民より