ここではないどこか
毎朝同じ時間に起きて。
起きたら、顔を洗って、朝ごはんを食べて、歯を磨く。
一週間分組み合わせておいた服の中から、前日に決めていた服に着替えると、髪をセットする。
時間に余裕があったら、適当にスマホのネット記事を眺めていれば、時間はあっという間に過ぎて。
決まった時間に家を出て、毎日ホームの同じ位置から、いつもの電車に乗る。
そして、いつもと同じように。
バイト先の最寄駅に着いて、仕事場に行って。
慣れた作業を淡々とこなすんだろうと考えていたのに。
最寄り駅に着く手前で、電車が大きく揺れて。
俺はバランスを崩して、体がよろけてしまう。
咄嗟に踏ん張ったけれど、隣に並ぶ様に立っていた青年に肩がぶつかってしまった。
「す、すみません」
「いえ、大丈夫ですよ」
なんて。
爽やかな笑顔を、俺に向けてくれる彼に。
何故か胸がざわつくから。
俺は思わず俯いてしまった。
……なんだろう、この感じ。
何かちょっとだけ、自分が嫌になる。
そんなことを思っていたら、電車が駅に着いて。
あ、降りなきゃ。
と、思うのに、足が動かない。
「あれ、降りないんですか?」
いつもここで降りてますよね、なんて。
さっき肩がぶつかった青年から、不思議そうに声を掛けられる。
どうやら、俺は気が付いていなかったが。
彼も俺と同じように、いつもこの電車の、この車両に乗っていたらしい。
「あ、降ります、降ります」
青年の声掛けによって、我に返った俺が弾かれたように、ドアに向かおうとして。
でも、運悪くドアは閉まってしまい、電車が発進してしまう。
……どうしよう、乗り過ごしちゃった。
このままじゃ、バイトに遅刻する。
「大丈夫ですか?」
なんて、隣の彼に心配される程、俺の様子はおかしかったのだろう。
「大丈夫……じゃないです」
もうバイトには遅刻決定だし。
一度足が動かなかった時点で、きっと、駄目だったんだ。
あぁ、もう、いっそ。
「それじゃ、俺と遊びに行きません?」
「え?」
「実は俺も、さっき降りなきゃいけなかったんですけど」
動かない貴方のことが気になっちゃって、降りるの忘れちゃいました。
と、俺とは対照的にあっけらかんと言う彼が、眩しくて。
……そっか、さっき、俺が自分を嫌になったのは、彼が羨ましかったからなんだ。
どこまでも自由そうな、爽やかな彼に。
俺は惹かれていたんだ。
だから。
「遊ぶって、どこに行くんですか?」
「どこでも良いですよ。行きたいとことかってあります?」
……行きたいところ、か。
「俺も、どこでも良いです」
いつもの見慣れた場所じゃない、どこかなら。
爽やかな風のような彼なら、きっと。
俺を新しい世界へと運んでいってくれるに違いないから。
End
「最近暑いね」
「カラッと晴れてくれるなら、暑くてもしょーがないって気分になるけどね」
「今は梅雨だからなぁ。毎日すっきりしない天気でジメジメしてて嫌になるよ」
「あぁ、早く梅雨明けして、夏が来ないかなぁ」
そしたら、直ぐに夏休みじゃん。
一緒に遊びまくろーぜ、なんて。
俺と彼の、下校途中の何気ない会話。
梅雨真っ只中で、すっきりしない空模様が、俺と彼の何となく退屈な毎日を表してるみたいだった。
そんな中で、横断歩道を歩いていると。
額に冷たい雫が、空から落ちてきた気がして。
「あ、降ってきたかも」
なんて。
思わず、俺が空を見上げた時のことだ。
周りを歩く人々が小走りで、横断歩道を渡り切って行く。
俺はてっきり雨に濡れたくなくて、急いでいるだけかと思っていたんだけど。
「危ないっ!」
隣に並んでいた友人の彼が、自分の体ごと俺の体を突き飛ばす。
……えっ?
なんて。
俺が突然のことで、何が何だかわからなくて。
彼の隣で呆然と尻餅をついて、座り込んでしまえば。
次の瞬間、一台のトラックが猛スピードで俺のさっきいたところに突っ込んで走り去っていくから。
俺は一瞬で血の気が引いた。
だって、あのまま、さっきのところを歩いていたら、俺は……。
「良かった、お前と会うのが今日で最後になってたかもしれない」
と、ホッと息を溢す彼を見て。
……そんなの、悲しいに決まってる。
なんて考えると、俺の目に自然と涙が頬を伝うから。
「何泣いてんだよ、お前なぁ」
「……っ、だって、俺っ」
「もう大丈夫だよ、俺はお前の傍にいるよ」
「うん、ありがとう……俺を助けてくれて」
あの瞬間助けてもらえていなかったら、きっと。
俺はもう二度と、お前の隣を歩けなかっただろう。
今日がお前に会った最後の日になってたかもしれないんだ。
君と最後に会った日……になってたかもしれない日
End
繊細な花
俺は貴方を見かけた時に思ったんだ。
貴方は、繊細な花みたいな人だって。
毎朝、花壇で一人、色とりどりの花を咲かせる植物の手入れをしながら、微笑む貴方を見て。
なんて、身も心も綺麗で、素敵な人なんだろう、って。
帰宅部の俺が、部活の朝練のある友人に付き合って、早い時間に登校するようになって、数日。
教室の窓から見える花壇を手入れする彼を見かけてから、俺は毎日飽きもせず、その様子を眺めていた。
というより、見惚れていたんだ。
だから、直ぐに彼の異変に気が付いた。
彼はいつもの様に、近くの水道から引っ張ってきたホースで、花壇に水を遣っていたのだが。
どうも、その様子がおかしい。
いつもなら、色とりどりの花達を慈しむように眺めているのに。
今日は俯きがちで、花達をあまり見ていない。
ホースを握る手が揺れていて、何だかしんどそうだと思った瞬間。
俺は教室を出て、花壇へと向かっていた。
「大丈夫ですか?!」
なんて、俺の突然の登場に驚いて、目を見開く彼に。
躊躇いもなく声を掛ければ。
「……えっと、君は?」
「教室から花壇が見えて、貴方が体調悪そうにするのが見えたからきちゃいました」
ほら、あそこの教室です、と。
俺が見上げて、自分の教室を指差すと。
「そう、だったんだ。心配してくれてありがとう」
でも、大丈夫。
ちょっとフラついただけなんだ。
なんて、手を止めていたホースを動かし、花壇に水を遣り続けようとする彼に。
「無理しないでください」
花達に水を遣るのも大切だと思うけど。
貴方にはもっと自分を大切にしてほしいから。
もし、貴方が自分自身を大切に出来ないのなら。
俺が貴方を大切にしたい。
「これ、良かったら飲んでください」
と、俺はここに来る途中の自販機で買った、ペットボトルの水を、彼に差し出す。
「貴方が花達にしか水を遣れないなら、俺が貴方に水をあげます」
なんて、言葉も添えて。
すると、目を丸くしていた彼が、あはっと吹き出す様に笑ったかと思ったら。
「君面白いね。ありがとう、受け取るよ」
と、俺からの水を受け取ってくれた彼は。
俺がずっと間近で見てみたいと思っていた、花壇に向けるような、優しくて綺麗な微笑みを浮かべていた。
あぁ、やっぱり、貴方は花みたいな素敵な人だ。
End
1年後
「誕生日おめでとう!」
そう言ってクラッカーを鳴らす俺。
ここは、今日誕生日の彼の入院する病室で。
俺が入るなり、クラッカーを鳴らしたものだから。
「っ、わぁっ、びっくりした」
君だったのか、君のそんな大きな声初めて聞いたよ、と。
驚きの余り、目を丸くした彼に、そんなことを言われる。
普段の俺は、どちらかといえば、おとなしい性格をしているし。
騒がしいのは苦手だ。
ここに入院していた時も、彼に声を掛けてもらうまで、俺は毎日一人で読書ばかりしていたぐらいだ。
だから、彼には感謝している。
本当は一人きりで病室に居るのが、寂しかったから。
彼に出会えて、彼と過ごす入院生活が楽しくなってきた頃、俺は退院したんだけど。
今日は、大切な友人である君の誕生日、という特別な日だから。
どうしてお祝いしたくて、お見舞いに来たのだった。
「久しぶりだね、元気そうで良かったよ」
俺の様子を見て、ベッドから起き上がった彼が言う。
君も、なんて言いたかったけど。
ベッドから起き上がるのも少ししんどそうな彼に。
そんなことは言えなかった。
「本当はさ、手作りのケーキを持ってくるつもりだったんだけどね、失敗しちゃったんだ」
「あぁ、気にしないで。君がこうして祝ってくれるだけで嬉しいから」
「そう?けど、来年こそ上手く作ってみせるよ」
その時は食べてくれる?なんて。
俺が訊ねると、彼の表情が暗くなる。
「……来年、か。俺、一年後もここにいるのかな」
嫌だな、けど、生きているだけマシなのかな、と。
彼が俯いて、独り言みたいに小さく呟くから。
そうか、君はもう何年も入院してるんだったよね。
怪我で入院した俺と違って、彼は幼い頃から重い持病があるらしいのだ。
病気の話は、彼の表情を曇らせるだけだから、あんまり話したことはないけれど。
だから、こんな時に軽々しく、大丈夫だよ、きっと良くなってるよ、とは言えない。
でも、少しでも君に笑ってほしくて。
一人で退屈だった俺に、君が太陽みたいな笑顔で接してくれたみたいに。
俺だって、君の太陽になりたいから。
「俺は何があっても一年後も必ず、君の誕生日をお祝いするよ」
だから、どうか生きることを諦めないで。
一年後も、その先もずっと、君の誕生日には俺がいるから。
End
子供の頃は
幼い頃の僕と君はどこに行くのも、手を繋いで歩いた。
そんな僕と君を見て、お母さんや周囲の人達は。
『可愛いね』
『仲良しで良いね』
なんて、よく褒めてくれた。
それは、僕と君の関係が特別なものだって言われてるみたいで。
幼いながらに、君への独占欲があった僕は嬉しくて堪らなかったのを、よく覚えている。
でも、少しずつ、大人に近づいていくと。
「ねぇ、手繋ごうよ」
「……ヤダ。人多いじゃん」
「だから、はぐれないように、でしょ?」
「……はぐれないよ。俺達、もうそんな子供じゃないんだし」
なんて。
僕が手を繋ごうと誘っても。
いつからから、君は顰めっ面で首を左右に振るようになって。
それがとても寂しい気持ちになる僕。
……どうしてなの?
小さかった頃は、君も楽しそうだったし。
母さん達だって、喜んでくれていたのに。
僕が寂しさから、手をブラブラとさせていると。
そんな僕の腕を彼がぎゅっと掴んで。
僕の顔をじっと覗き込んでくる。
「……人がいないとこなら、手を繋いでも良いよ」
なんて。
薄っすらと頬を染めた君が可愛いくて。
僕が思わず、彼を抱きしめそうになれば。
「っ、バカ。それはここじゃもっと駄目だろ!」
「ってことは、ここじゃなかったら良いの?」
僕の弾んだ声に、顔を真っ赤にした君がこくりと頷いた。
End