世界ってさ、結局は混合物だと思いませんか。
なのに、人は“純度”なんてものを勝手に作って、そこから外れたものを嫌う。
お風呂先にありがと。
「あ……はい」
その返事に、自分でもわかるほど変に緊張していた。湯上がりで少し幼く見える髪、ほんのり赤い頬。旅館の浴衣さえ、彼には不思議なほどよく似合っていた。
「急に降ってきたね」
「……ね」
「……茜、緊張してる?」
「まあ、少し」
「はは、手出さないよ。茜は経験豊富なんでしょ?僕が初めてなわけじゃないんだし」
「そうなんだけどね……。ねえ、人種差別って、なんで生まれたと思う?」
「ん?急だねその質問。んー……人は誰かを見下すことで自分を保とうとした、とか?」
「……人種差別って、“嫌い”とか“見下す”とか、そんな単純な感情じゃないと思うんだ。
世界って、いつの間にか“触れていいもの”と“触れちゃいけないもの”に線を引くでしょ?
体にウイルスが入ると良くないっていうあの感覚を、社会にそのまま拡げたみたいにさ。
違う顔、違う声、違う文化を、“汚れ”とか“混ざっちゃいけないもの”に分類して……。
本当はただの違いなのに、一度“前提”になってしまうと、人の形さえ曖昧にされちゃう。
私ね、小さい頃からずっと、自分の顔は“世界から排除される側”の顔なんだって思ってた。
だから、拒む人と一緒にいるほうがむしろ楽だったんだよ。
排除する人と、される私。役割が最初から決まってるから。
……でも、あなたは違った。
境界を引かないで近づいてくる人って、人生で初めてだった。
そういう人に触れられることが、いちばん怖いんだよ」
「……遠まわしだね。つまり?」
「だから……緊張してるの」
「茜は僕の顔、好きだからね」
そう言って、彼はそっと手を伸ばし、私の頬に触れた。
そして、さっきまで揺れていたキャンドルの火を静かに摘むように消す。
闇と雨の音だけが、ゆっくりと私たちを包んでいった。
揺れるキャンドル
世界の人口は83億人いる。
その中で、人生で出会える人はせいぜい3万人。
そんなわずかな奇跡を、
性別という理由だけで半分にしてしまうのは、
あまりにも勿体ないと思わないか。
誰にでも分け隔てなく優しいところが好きだった。
何かを考えているときの、遠くを見るような沈黙が好きだった。
焦点の合っていないその瞳さえ、好きだった。
――僕は、想が好きだった。
笑ったときの顔が、たまらなく好きだった。
弱いのに、それを隠して強がるところが好きだった。
たった一人を、まっすぐに愛し続ける姿が好きだった。
――僕は、茜が好きだった。
正しいとされる愛の形を、僕は親から教わった。
同じ価値観を、社会からも繰り返し刷り込まれた。
多様性の時代だと言われるこの世界で、
受け入れられているのは、いつも「理解しているふり」だけだ。
梶原唯月の気持ちは一度も守られなかった。
降り積もる思い
お久しぶりです。
梶原唯月です。
霞と想の物語、まだ読んでいますか。
読めてしまっているあなたは、きっともう引き返せない。
僕は今も生きています。
呼吸をして、心臓を動かして、こうして文字を書いている。
それだけで、ひどく場違いな気がするんです。
本当は、ここにいるべきなのは僕じゃない。
彼らは死にました。
正確に言えば、死を選び続けた末に、やっと死ねた。
自分を愛するより、他人を壊れるほど愛してしまう人間を、
僕はあの二人以外に知りません。
だから僕は、幼なじみとして、そして取り残された人間として、死んだ二人のことを、何度も、何度も、ここに蘇らせています。
死を夢見て、死を追いかけて、
互いの傷を確かめるように抱き合って、
それでも「愛だ」と信じて疑わなかった二人。
あの結末が、救いだったのか、破滅だったのか。
僕にはもう、区別がつきません。
ただ――あまりにも美しくて、吐き気がしました。
まだ話していないことが多すぎる。
語っていないというより、
言葉にした瞬間、すべてが壊れてしまいそうで、
ずっと喉の奥に詰まったままなんです。
正直に言います。
早く全部ネタバレしてしまいたい。
あなたたちの中に、この二人を住み着かせてしまいたい。
もうすぐクリスマスですね。
祝福の日に、二人の「出会い」についての物語の断片を、紹介しようと思っています。
それは、想と霞からの贈り物です。
もっとも、それが本当に贈り物なのか、それとも一生離れない呪いなのかは、受け取った人にしかわからないでしょうけど。
逃げなくていい。
もう、遅いですから。
いつも読んでくれて、ありがとうございます。
それが救いなのか呪いなのか、僕にもまだ、わからないままです。
「手のひらの贈り物」
死んでほしい、と思うほど誰かに心を向けたことはありますか。
無関心ではいられなかった、その感情の行き着く先を、あなたは知っていますか。
「想、何を見ているの?」
「毒殺だよ。ボツリヌス毒素」
画面を撫でるように、彼は微笑った。
「スプーン一杯で、三百万人。筋肉は言うことを聞かなくなって、呼吸だけが取り残される。苦しいって思う前に、終わるらしい」
楽しそうですらあった。
「茜が望むならさ、僕は人殺しになれる」
息をするみたいに、簡単に。
「殺してほしい人、いるでしょ。母も、姉も、父も。誰も君を守らなかった。友達だって、平気で君を置いていった」
彼の声は優しい。だから余計に怖い。
「居場所を奪った人間はね、茜の世界に存在しちゃいけないんだよ。消えてもらわないと」
喉が詰まる。
「……想」
「大丈夫。僕が全部やる。茜は汚れなくていい」
その言葉が、私を包む檻みたいだった。
「……想の心の片隅で、殺すならいい」
震える声で、縋るように言う。
「でも、今の私は殺さないで。今の私を見て。ここにいる私を、ちゃんと」
彼は笑った。
まるで、それすら許可するみたいに。
「心の片隅で」
自分の顔は好きですか?
クソッと叫んでーーガッシャン、乾いた音が響いた。鏡は粉々に砕け四方に散らばった。そのひとつひとつが、自分の顔を断片的に映しているのが腹立たしい。まるで、どの欠片にも「お前なんか嫌いだ」と言われているようだった。糸のように細い血の筋が割れた鏡の断面に沿って綺麗に模様のように滲んでいる。指の付け根から滴る赤い液体が、ポタポタト床に落ちて、小さな水滴を作っていた。心の奥で何かがカチリと音を立てて外れた気がした。それでも痛みを感じない。ただ、胸の奥が熱くざわついている。
明日も明後日も私は私を傷つけ続ける。
私の体という客体と私の魂という対象が、静かに終わりを迎える夢を、毎日のように見ている。
君が見た夢