終わりを選んだ僕らの続き
……あ、起きた。
気がつくと、真っ白なベッドに寝ていた。
天井も壁も床も、まるで色を失ったみたいに白い。病室のようでもあるし、ホテルの一室のようでもある。でも決定的に違うのは、どこか現実の質感がないことだった。音が吸い込まれていくように静かだ。
視界の端で何かが揺れた。
顔を上げると、二段ベッドの上段から金髪の少年がこちらを覗いていた。白に近い淡い金色の髪が、光を受けてぼんやりと滲んでいる。瞳の色もどこか薄く、感情の輪郭が掴みにくい。
「やっぱり“死後の世界”って存在するんだね。
やっぱり、人ってすぐには死ねないんだ。……この世界って残酷だな」
僕がぽつりとこぼした独り言に、少年はただ静かに僕を見るだけだった。
「絶望的な世界を美しいって証明したいとは、僕も思わないよ。
僕は篠原 樹。よろしく。同室らしいね、君」
「堺 楓です」
名前を言うと、彼はにやりと笑った。右頬に小さなえくぼが浮かぶ。その笑みは軽いのに、なぜか印象に残る。
「堺くんでいい? いい名前だね。僕が改名したい名前ランキング、たぶん2位くらい……死んでからの記憶は?」
「いや。ただ“死ぬことを選んだ”って感覚だけあって、気づいたらこのベッドに寝てた。それが現実。今この瞬間も」
――そうだ。
僕は死んだんだった。
自分で死を選んだ。確かにそうしたはずだ。
なのに、まだ思考している。まだ感情がある。
考えたくなかった。何も感じたくなかった。ただ終わりにしたかっただけなのに。
胸の奥に、まだ重たいものが沈んでいる気がした。
「君、倒れたんだよ」
篠原は、ベッドの上段から身を少し乗り出した。白いシーツがかすかに擦れる音だけが部屋に響く。
「2025年8月1日から9月23日までに死んだ人が、今日ここに集められてるらしい。堺くんはいつ死んだか覚えてる?」
「8月3日です」
「……ほう」
少し間が空く。
「姉が死んだ日なんです。だから、その日に僕も死のうと思って」
言葉にした瞬間、胸の奥がわずかに軋んだ。
「訳ありな感じね」
篠原は目を伏せた。長いまつ毛の影が白い頬に落ちる。
“訳あり”なんて言葉を使うくらいだから、彼にもきっと何かあるんだろう。そう思うと、不思議と少しだけ安心した。
この世界に来ても、孤独だけは持ち越していない気がした。
「ここに集められたとき、集会があってさ。君、途中で入ってきて、そのまま気を失ったんだよ」
彼は続ける。
「どうやら僕たち――現世で死を選んだ人間は、どこかで後悔してるらしい。だからここでは“転生”ってルートが用意されてる。もう一度生まれ直して、やり残したこととか、自分が越えるべき壁を達成してから死んでほしいって話みたい」
淡々とした口調なのに、どこか柔らかかった。
「魂にまだ決着がついてないんだってさ」
部屋の白さが、やけに広く感じられた。
「ちなみに堺くん。生まれ変わるなら?」
「美女がいいです」
篠原はくすっと笑う。
「へえ。理由聞いてもいい?」
「あー……安易ですよ。モテたい。それだけです」
「正直だね。僕も生まれ変わるならイケメンがいいな」
「篠原さん、十分イケメンだと思いますけど」
「刺さる人には刺さる顔なんだけどね。僕はさ、誰から見ても“王道”って顔になりたいんだよ」
彼がまた笑う。
正直、僕から見れば彼は十分整っている。むしろ、誰にでも好かれそうな顔だった。
「選べるんですか?」
「選べないよ。選べるわけないじゃん」
篠原は天井を見上げた。白しかない天井だ。
「この人生だって、選べたことなんてほとんどなかったでしょ? 人生は選択だって言うけど、選べる選択肢自体が限られてる。自由って言うけど、本当は自由じゃない。世界の価値観とか背景の上でしか成立しないからね。……だから、本当は自由なんて存在しないのかもしれない」
そして、ふっと視線を戻す。
「……堺くん。僕ね、早く死にたいんだよ」
その瞬間、部屋の空気が少しだけ冷えた気がした。
「唐突ですね」
「そうだね。でも、ただ死ぬのは面白くない」
篠原は楽しそうに笑う。
その笑顔が、どこか壊れたもののようにも見えた。
「そこで提案なんだけど――勝負しない?」
「勝負?」
「うん。それぞれ転生して、それぞれの人生を生きる。その中で、どっちが先に“生きていた頃の壁”を見つけて、それを乗り越えられるか」
彼は軽く言った。
「もし僕が勝ったら、君に僕を殺してほしい」
「……僕が勝ったら?」
「そのときは僕が、君を殺してあげる」
どう? 名案でしょ、と篠原は笑う。
少しだけ考えて、僕は頷いた。
「話、合いそうだと思いました」
「よかった。堺くんが同室で」
彼は満足そうに笑った。
「――これからよろしくね」
白い部屋の静けさだけが、僕たちの間に残った。
夢を見た。
茜が、僕のことを心から好きでいてくれた――そんな空想の話。
茜は孤独で、独りよがりに生きることをどこかで愛していた。
変わりたいと僕にすがるくせに、いざというときには一歩も踏み出さない。
変わることが怖くて、同じ傷を何度も何度も、自分で抉っていた。
そのことを、僕は知っている。
茜が「自分が嫌いだ」と言うたびに、
僕は、茜のことをもっと好きになった。
変な愛し方しかできなくて、ごめん。
それでも、どこにも行かないでほしい。
隣にいてくれるだけでいい。
茜の席の隣は、いつも僕でありたかった。
――そうだ。
たぶん、そんな夢を見ていたんだ。
こんな夢を見た
茜の遺書
想へ
本当に好きです。
あなたのことが、心の底から好きでした。
どれだけ言葉を重ねても足りないほど、私はあなたに出会えたこと──
あなたが息をして、ここに存在していること──
そのすべてが、私の生きがいでした。
あなたの顔が好きでした。
切れ長の瞳も、薄い唇も、まっすぐに通った鼻筋も。
消えてしまいそうなほど透明な肌も、光を吸うような髪の色も。
いつも隣にいるのに、どこか遠いところにいるような、
そんな空気をまとったあなたが、たまらなく好きでした。
初めて会ったとき、
“美しい”という言葉がこれほど似合う人がいるのかと驚きました。
けれど、その言葉が正しいのかも今では分かりません。
私は、私自身が嫌いです。
私の外見は、あなたと比べるまでもなく醜い。
あなたの隣に立つたび、自分のすべてが嫌になるのです。
だから、本当はあなたのそばにいたくなかった。
それでもあなたは私の手を握って、「好きだ」と言ってくれました。
どうしてですか?
こんな外見の私を、あなたはなぜ選んだのですか?
その理由を、あなたは最後まで教えてくれませんでしたね。
それだけが、心残りです。
私がこの世界から去る理由を、あなたはきっと分かっていると思います。
味方が誰もいなかったこと。
あなたはもしかしたら味方でいてくれたのかもしれないけれど、
私はそう受け取れませんでした。
だって、あなたは美しい。
私は美しくない。
それだけで、私にとってあなたは味方ではなかったのです。
ひとつだけ、正直に言います。
私は、美しいあなたが嫌いでした。
でも、美しいだけのあなたじゃない部分──
汚い現実を見てきたような、あの目だけは、私と同じでした。
同じ境界線の向こう側を知っている人だと、
そう思えたから、
私はあなたを好きになったのです。
美しい
想の遺書
この世界から先にいなくなる僕を、どうか……どうか許してほしい。
茜。
君は自分のことが嫌いだって、ずっと言っていたのに、
どうしてあんなにも自分の話をしてくれたの?
あのとき君が言った
「私が私として生きてるからね」
──あの言葉が、ずっと胸に刺さって抜けなかった。
だって、本当はわかっていたんだ。
君が何を抱えて、何を隠して、
どれだけ自分を守りながら生きてきたのか。
ただ生きているだけで、君はいつも傷だらけだった。
人はさ、誰もが自分の世界に閉じこもって、
見たいものだけ見て、見たくないものからは目をそらして、
「どうして?」って問いかける勇気すら持たずに、
勝手に生きて勝手に離れていく。
そんな世界を、君はずっと一人で歩いていたんだよね。
でもね茜。
君が消えそうになっていたあの瞬間、
泣きそうな声で名前を呼び続けたのは僕だけだった。
茜の世界に飛び込もうと、必死で手を伸ばしていたのは僕だった。
誰も見ていないあの暗闇で、
君が息をしているかどうか、それだけを考えていたのは……僕なんだ。
だから、僕はあの「みんな」とは違う。
君の世界に入りたいと、
君の孤独に触れたいと、
君の痛みを分けてほしいと、
本気で思っていた人間が、
この世界に一人だけ存在していたことを、お願いだから忘れないで。
そして──
僕はたくさんの命を奪った。
許されるはずのないことをしてきた。
そんな僕が、最後の最後に君には生きてほしいなんて、
なんて矛盾してるんだろう。
なんて勝手なんだろう。
それでも……それでも願わずにはいられない。
茜。
生きて。
僕のいない世界で、息をして、笑って。
僕が果たせなかった分まで、生き抜いて。
この身勝手な願いも、罪深い祈りも──
全部抱えたままいなくなる僕を、
どうか……どうか許してください。
この世界は
小学校の作品展、色とりどりの作品にあなたは何を思いましたか?
「想と茜って、昔からああなの?」
梶原が、牛乳を一気に飲み干したままの口で言った。
身長の低さを気にしているのか、放課後になると毎日欠かさず牛乳を飲んでいる。
「“ああ”って何が?」
「えー、なんか……変? てか変人? 奇人?」
「……」
「自覚なし? まあ、そういうとこ好きなんだけどね」
梶原は俯き、小さな声で言葉を足した。
「そういえば、小学校の作品展でさ、想と私だけ先生にめっちゃ怒られたことあったよね」
「なんで?」
「確か小六の図工で、“将来の夢の自分を粘土で作りましょう”って授業があったの。でも、想と私だけ飾られなかった」
「ほー」
「想はさ、粘土で“死んだ自分”を作ったんよ。題名が『愛おしい死』。作品展では色とりどりの作品が並んでたのに、あいつのだけ異質すぎて……先生、半泣きで怒ってた」
「想って、死そのものだよね」
「それな」
「で、茜は?」
「私は……辞退した」
「へぇ、茜らしい。なんで?」
「夢なんて、ないほうが“生きたい”って思えたから。
私、向上心を持って生きていくことができないんだよね。
だって、“明日のために今日生きる”ってことでしょ?
私は今日のために今日生きたいの。
そんな曖昧なものに縋ったら、“今は幸せじゃありません”って言ってるみたいでさ。
だから先生に『夢なんて私には存在しません』って言ったら、バカ怒られて、その日ずっと廊下に立たされてた」
茜はケラケラと笑った。
その笑い声の奥に広がる、彼女だけの世界に――
ふと入り込みたいと思う自分がいた。
色とりどり