何気ない話だった。
職場で談笑しながら出てきた話題に〝もしも世界が終わるなら〟というものがあった。
他愛のない話しとして笑いながら話し合っていたけれど、私の胸はズキンズキンと痛くなっていた。
もしも世界が終わる時、それが災害であれば私は大好きな彼と一緒には居られないと思ったから。
彼は救急隊員だから、きっと人を助けるために走り回っているだろうな。
私は……それでもいいと思っていたんだ。
彼が危険な仕事をしているのは理解している。人を助ける彼は誰よりも格好いいもの。
それを止めるような人間でいたくない。
彼の仕事を理解したいもの。
でも、でもね。
私のそばにいてと言いたい自分だっているの。
もしも世界が終わるなら。
彼と一緒にいたい。
だって、彼がいない世界に耐えられそうにないもの。
おわり
四九〇、もしも世界が終わるなら
ぷつん。
足元の締め付けが緩み、バランスが崩れて倒れそうになるところを、近くにあったポールを掴んでなんとか踏ん張った。
「あぶなー」
ここで踏ん張っていなければ、それこそこのポールに頭ぶつけて怪我してたかも。
「靴、予備に変えてくるねー」
「はーい」
同僚に声をかけて事務所の方に引っ込む。そのまま更衣室に向かって靴を取り換えた。
今度靴紐を買ってくればいいか。
あ、折角なら大好きな水色の靴紐探そう〜。
そんなことを考えると、同じく空色を好きな恋人を思い出した。
靴紐……が切れた。
なんとなく嫌な予感がして、恋人にメッセージを入れる。電話したい気持ちはあるけど、彼の邪魔になるのは嫌だから。
なんて送ろうかな。
靴紐が切れて心配になったと素直に送ろうか。
でも変な心配をさせそうな気がする。
自然なメッセージがいいと考えてみるけれど、どうしようかなー。
スマホとにらめっこしていると、更衣室の扉がコンコンとノックされた。
「ごめん。お客さん来てる」
「わー、ごめんすぐ行くねー!」
私はスマホをポッケにしまって、予備の靴に履き替えてから表に出た。
そこにいたのは、心配していた恋人だった。
「お疲れ」
太陽のような笑顔を向けてくれて、胸が暖かくなる。本当は飛びつきたいけれど、ここは職場だから気持ちを抑えた。
「修理ですか?」
「うん、ちょっと直して欲しくて」
そう言って彼は社用車を指さした。
私は彼にだけ聞こえるような小さい声で囁く。
「怪我、してませんか?」
「今のところは問題ないよ」
ホッと胸を撫で下ろすけれど、今日一日は特に気を付けてもらいたい。
「しっかり車、直しますね。あ、そうだ。お仕事終わったらちょっと行きたいところがあるので出掛けませんか?」
「やった。じゃあ怪我しないように気をつけるね」
そうやってウィンクをしてくれる彼に小さく笑って応えた。
おわり
四八九、靴紐
胸が痛い。
涙が止まらない。
偶然聞いてしまった、気になる彼が告白される瞬間。驚いて走って逃げてしまった。
だって、彼が〝イエス〟と応えてしまったら耐えられそうにない。
行く宛てもなくバイクを走らせる。
見慣れない景色が流れて、人がいないところを探してバイクを停めた。
苦しい。苦しいよ。
彼への気持ちが大きくならないように気をつけていたのに。
こんなに涙でぐしゃぐしゃになるくらい、彼への気持ちが大きくなっていたなんて……。
職業柄もあって彼が誰にでも優しいことなんて分かってる。
些細なことにも気がついてくれて、それが積み重なって気がついたら目で追う人になっていたの。
なんでもないところで声をかけてくれて、ふざけ合ってくれて、どんどん仲良くなっていた。
途中から彼への気持ちが他の人と違うと気がついたの。
家族のように大切にしてくれた人たちとは違うポカポカした気持ち。
〝じゃあね〟と伝えた時の寂しい気持ち。
考えをめぐらせていると、スマホが震えた。画面を見つめると彼からだった。
泣いている声を聞かれたくないから、出ない選択をする。しばらくして静かになり、通知数が表示された。
何度も連絡があれば急ぎの用事かもしれないし、仕事の依頼だったら他の社員に連絡するかもしれない。
そんなことを思いながらスマホと睨めっこしていると、もう一度彼から呼出音が鳴って驚いた。
もしかして、私が逃げたのを見えていたのかな。
通話ボタンを押すか迷った。
彼からの電話と、二回目の電話に驚いて涙は引っ込んでしまったけれど、まだ涙声なのは間違いない。
またスマホは静かになる。
あまり何度も連絡してくるなんて無かったから、かなりびっくりした。
こんなに何度も連絡してくることに、少しだけ……期待しそうになるよ。
だって私は彼の答えを聞くのをやめて逃げてしまったから。
〝実は付き合うことにしたんだ〟
なんて言うことに、何度も連絡するタイプの人じゃない。
私は、彼の答えをまだ聞いてない。
そう。
答えは、まだ。
おわり
四八八、答えは、まだ
ズキンズキンズキン。
身体じゃなくて胸が痛い。
「ッハァハァ……」
夢中で走っていたのに呼吸を忘れていたみたいで、一気に酸素が身体に行き渡る。
「ゲホッゲホッゲホ……」
胸の奥からむせて咳が止まらない。でも走る足を止められもしない。
聞いてはいけないものを聞いてしまったの。
気になっている彼を見かけたから、話しかけようと近づいた時だった。私から声をかける間も無かった。
『君が好きなんだよ』
彼に向かって女性の声がそう言った。その瞬間、私は音を立てないようにその場から走って立ち去る。
そこで彼がなんて返したか聞きたくない。
それがもし、〝俺も〟なんて言われたら私の心が壊れちゃいそうだと思ったの。
流れる景色からは世界から色彩が失われたみたい。
そしてたどり着いたのは自分のバイク。すぐに股がって早々とメットを被ってからキーを挿して走り出す。
どこへ行く、とか考えられなかった。
そんなことよりここから逃げ出したくて必死だった。
どこかへ行こう。
ひとりになりたい。
今の顔を誰にも見られたくない。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せたら心配させちゃうもん。
おわり
四八七、センチメンタル・ジャーニー
「お月さま、今日もきれいですねー」
彼女がソファから窓の隙間を覗き見上げていたのはまん丸お月さま、じゃなくて真っ二つにされた半分の月。
俺は恋人に手を差し伸べてソファから窓に誘う。彼女は俺の手を取って寄り添いふたりて月を見上げていた。
「そう言えば、この前は皆既月食もあったよ」
「え、見たんですか!?」
「うん。夜勤の日だったから、みんなで見た」
「えー、私も見たかったぁ!」
ぷうと頬をふくらませて抗議の視線を送ってよこす。俺は膨らんだ彼女の頬を人差し指で押すと、ふぅと息を吐く。
「いや、深夜だから絶対寝てたよー」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
俺は彼女を後ろから抱き締めると、彼女も俺に体重を預けてくれた。
「じゃあ」
「ん?」
彼女の手が俺の手の上に重なる。
「今のお月さまを一緒に見ましょう」
おわり
四八六、君と見上げる月……