ああ、心臓がうるさい。
ずっとドキドキ言ってる。
偶然出会ったのは、よく怪我をして困っているから助けてあげる彼女。
おっちょこちょいなのか、不幸体質なのか。いつも変なことに巻き込まれて怪我をしている子。
はかなさもあるけれど、人懐っこいのに仕事は真面目で、そんなふうに見えないけれど気遣い屋さん。
気がついたら視線を向けるようになっていた彼女だから、やっぱり些細な偶然も掴み取りたくて話しかけた。
いつもと違って表情が硬いから、なにか困っていることがないかと聞いてみると話をはぐらかされた。
自然に笑っている……つもりなんだろうな。
でも表情は少し暗い。
話をはぐらかされた時に、俺じゃ役に立てないと思ったんだ。
それは、ちょっとだけ淋しかった。
その後、彼女が聞いてきたのは最近仕事でよく話す女性のこと。
悪ふざけもできて、面白い人だから最近よくふざけ合っていたんだけど、それを見ていたらしい。
〝あまり見た事ない楽しそうな顔をしていたから驚いちゃって……〟
そう言われて俺の方も固まってしまった。
だって俺と彼女は、そんなに沢山会っている訳じゃない。接点があるかどうかといえば、あまりないから偶然出会うのがチャンスなんだよ。
だから今もそのチャンスを掴んで話しているんだよ。
だから、俺のことをよく見ているんだなって気がついちゃった。
それに気がついたら頬が緩んで顔がニヤついてしまう。
このまま彼女に〝なんでニヤついているか〟聞かれたら返答に困る。
だから咄嗟に用事があると逃げてしまった。
本当はもっと話していたい。
今も心臓はうるさいまま、俺は彼女から遠ざかる。
もっと一緒にいたい。
そんな気持ちが溢れて止まらない。
俺の心の羅針盤は狂ってしまい、どうしても彼女に向いてしまう。
ダメだ。
自分じゃ止められそうにない。
おわり
四四八、心の羅針盤
気になる彼と偶然出会って、少しお話をする。
胸が高鳴るのと同じくらい、先日見た彼と女性がふざけあっている姿を思い出してチクチクした。
あの笑顔を私は見たことがない屈託のない笑顔で。それが寂しくって、悲しくって、切なかった。
でもそれを表に出さないように笑顔を作る。
「……大丈夫、顔色悪いけど?」
「え?」
彼はお医者さんだから、小さな動きに気がついてくれた。本当に優しい人だ。こういうところの積み重ねが〝好き〟という気持ちになっていく。
だから、見たことの無い笑顔が苦しかった。
「だ、大丈夫です」
「大丈夫じゃないな〜。何かあったら話聞くよ?」
「え、いや……ん……と」
言葉につまる。
だって、〝あの人とはどんな関係ですか?〟なんて聞けないよ。
「あ、俺に言えないことなら無理しなくていいからね」
慌てながら両手と頭を横に振る。
こういう無理強いをしないところも好き。
「あ、そうそう。この前、公園にいましたよね?」
「え、見てたの?」
「楽しそうに話しているの聞こえちゃいましたよ」
話を逸らしたふうに見せたけれど、私にとっては直球の話題をふった。
「ああ、彼女は仕事でよく一緒になるからさ。ふざけてくるんだよねー」
「あまり見た事ない楽しそうな顔をしていたから驚いちゃって……」
彼はちょっと表情を固くしていた。
いけない。
変な事聞いちゃったかな。
「ごめんなさい、変な事言っちゃった!」
「あ、違う違う。よく見てくれているんだなって思ってさ」
そう言うと、柔らかく微笑んでくれた。
でも、その笑顔は私の大好きな燦燦に降り注ぐ眩しい太陽のような笑顔じゃなくて、夜から朝にかけて優しく光る太陽のような穏やかな笑顔で。私の目と胸を捕らえる。
「へへ、ちょっと嬉しいかも」
「そうなんですか?」
「うん。あ、ごめん。俺そろそろ行かなきゃ!」
ああ、忙しい人なのに、変な時間を取らせちゃった。
「すみません、ありがとうございます!」
「ううん。俺こそごめんね。またね」
「はい、また」
彼はバイクに股がって、軽く手を振ってから発車させる。
姿が見えなくなるまで、彼の背中をジッと見つめる。
あんな返事が返ってくると思わなかったな。
彼の柔らかい笑顔が忘れられない。
以前見た屈託のない笑顔とは違う、自然な優しい笑顔。
思い出すと、またドキドキしてしまう。
ああ、やっぱり彼が大好きだな。
おわり
四四七、またね
今日は友達から私の好きな色のバスボムを貰ったので、お風呂に少し熱めのお湯を溜めていた。
しっかりお湯が溜まってからバスボムをお湯に投げるとぷくぷくと泡を吹きながら透明なお湯が爽やかな香りと共に色を変える。
ひとつ、ため息が出た。
今日のお昼に見たことを思い出して胸が痛くなっていた。
気になる彼が異性と二人で楽しそうにしていた。
見たことがないくしゃっとした笑顔が忘れられないの。
私と一緒にいる時と違って、もっと砕けていて、ふざけていて、楽しそうで……。
私、彼の友達と一緒にいるのは見たことがあったけれど、あんな笑顔、見たこと無かったよ。
ズキズキズキズキ。
消えかける泡を見て、羨ましいと思ってしまった。
私の気持ちもこんなふうに簡単に消えればいい。
自分自身でどうにもできない気持ちなんてオカシイよ。
お湯に雫が落ちて波紋を広げる。
消えかけた泡と一緒に溶け込んで無くなった。
溶けて、消せればいいのに。
おわり
四四六、泡になりたい
燦燦と降り注ぐ日差し。
だくだくと流れ落ちる汗。
ねえ、燦燦なんで可愛いものじゃないよ!!
暑いです、暑い!!!
人が生きていられる暑さじゃない!
俺は大きなため息を吐いた。
「ただいま、夏。なんて言ってられないよ……」
もうちょっと抑えてください、夏。
俺は肩を落として太陽を睨みつけた。
おわり
四四五、ただいま、夏
カラン……。
そんな音が鳴ったのはどれくらい前だったのか。
溶けきった氷と汗をかききったグラスがその時間を物語っている。
目の前にいる恋人は唇を尖らせ、眉間に皺を寄せながら俺を見つめていた。
視線が痛い。
彼女は俺の隣をちらりと見つめる。そこには松葉杖が二本立てかけられていた。
そうです、俺の足は包帯ぐるぐる巻きになっております。
あ、仕事で怪我したわけじゃないんです。
先日、俺の大好きなクリームソーダの新作が出ると聞きまして。喜び勇んで階段を駆け下りたところ、足を滑らせて転げ落ちました。
ええ、それは盛大に。
職場では「俺らしい」と爆笑の渦だったんだけれど、一緒に住んでいる彼女はそうはいかなかった。
「ごめんね、しばらく迷惑かけちゃって……」
そう言うと、キリッとした強い視線が俺を刺す。
「迷惑なんてかけられていません。不注意で怪我することに私怒っているんです!」
へ?
ああ、そっか。そうだった。
じわじわと暖かいものが心に広がっていく。
そうだ、そうだよ。
彼女が怒るのは、俺が俺を大事にしない時だった。
俺は彼女の手に自分の手を重ねると、潤んだ瞳が俺をしっかりと見つめてくれた。
「心配かけて、ごめん」
「本当です、落ち着いてください。罰として治るまでクリームソーダ出しませんからね」
柔らかく笑ってくれるけれど、ほんの少しだけイジワルな笑顔。
「そんなぁ!」
「慌てて怪我したんですからダメです。治ったら美味しいの作ってあげます」
軽くウィンクをしながら微笑む彼女を見て、もうしっかりと治さなきゃと俺は強く決意した。
彼女に心配させないためにも。
悲しませないためにも。
おわり
四四四、ぬるい炭酸と無口な君