今日の仕事はとても疲れた。
家に帰って恋人に癒してもらったけれど、身体はそうはいかなかった。
俺は何故か暗闇の中で手を動かそうとしたけれど、重苦しくて動かせない。
なんだろう。
ここは……どこなんだろう。
身体も上手く動かせないし、泥沼の中に沈んでいるみたいだ。かき分けても身体は重くなるばかりで……。
もがいてももがいても暗闇に飲まれていく。
ぱしんっと手を握られたと思ったら、身体を引き上げられたような感覚になった。
「大丈夫ですか!?」
明確に俺を心配する声が耳に入り、光が差し込んで恋人の顔が視界いっぱいに広がる。
不安そうな表情が俺をとらえて……安心したように笑顔になってから俺を抱きしめてくれた。
暖かな体温に安心して俺も抱きしめ返す。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
「うなされてました」
「……そう、かも」
彼女は身体を離してから、再び柔らかいほほ笑みを俺に向けてくれた。
俺は手を伸ばして彼女の頬に手を触れる。彼女は俺の手に自分の手を重ねて擦り寄せてくれた。
愛おしい人の感触が手に広がって、俺の心に穏やかな光が灯る。
「起こしてくれて、ありがとう」
それだけ伝えて、もう一度彼女を抱きしめた。
おわり
三六四、光輝け、暗闇で
仕事に追われて余裕がなくなってくる。冷静にならなきゃダメなのに、それが難しくなってきていた。
出動の連絡が入る。
俺は着替えて準備を行い、出動した。
そんな感じで今日の仕事は中々休憩が取れないうえ、残業してようやく落ち着いたから家に帰る。
体力的には余裕はあっても、なんというか息苦しい。身体も足も重いからより窮屈感があった。
「ただいまぁ……」
家の玄関を開けて小さくそう言うと、奥から恋人がすっ飛んで来て、俺の胸に飛び込んでくる。
「おかえりなさいっ! 心配しました!!」
心配?
あ。
俺はスマホを取りだすと、画面に通知があった。
『遅くなりますか?』
『なにかありましたか?』
『電話ください』
「あああああ、ごめん。仕事が忙しくて余裕なくて見てなかった」
彼女は俺の身体を力強くぎゅうううっと抱きつく。
「いいです、無事なら。おかえりなさい」
力を抜いてから俺を見上げ、ふわりと笑ってくれる彼女を見ていると内側から込み上げてきて、俺も彼女を抱きしめて顔を埋めた。
「ただいま」
「うふふ。おかえりなさい」
今度は優しく抱きしめてから、俺の背中をポンポンと軽い力で叩いてくれる。
彼女の温もりを身体で感じていると心が軽くなって、澄んだ空気が身体に入り込んだ。
力を抜いて、改めて彼女の顔を見ると、嬉しそうに微笑んでくれた。
ああ、癒される。
おわり
三六三、酸素
「そういえばさ、いつから俺のこと好きになったの?」
「ふえ!?」
ソファに座って彼女に質問をすると、飛び跳ねるくらいにびっくりしていた。
「え、そんなに驚く?」
「いや、だっていきなり言うんだもん……」
「あ、ごめん。いきなりじゃなくてね」
俺はデジタルフォトフレームを指した。
「帰ってくる前にフォトフレームの写真を見ていたんだけど古いのがあってさ。付き合うかなり前のイベントのやつ。俺、あのイベントに君が居たの知らなかったからビックリしちゃって」
「イベント……?」
彼女は眉間に皺を寄せて思考をめぐらせている。そしてなにかに思いついたようだった。
「あの写真、入ってたんてすか?」
「え、入れたんじゃないの?」
「違います、抜き忘れました!!」
それ、俺に言っていいのかな?
慌てる彼女を横目にそんなことを思った。
彼女はスマホを取り出してデジタルフォトフレームの写真を確認し始める。指でスライドしまくっていた。
横からスマホの画面を覗くと大量の写真が流れている。
凄いな。
まるで俺たちの記憶の海みたいだった。
おわり
三六二、記憶の海
うーん。
少しだけ胃がムカムカするというか……。
俺は病院の裏にある公園でひとり座っていた。
都会の喧騒の中でひとりで天を仰ぐ。眩い光が差し込んで暖かいけれど、心の中にあるトゲが身体を冷やしていた。
そうだな。
俺は今、怒っているんだ。
目を閉じて深くため息を着く。
脳裏に浮かぶのは、想いを寄せる彼女のなんとも言えない顔だった。
呆れたような、悔しそうな顔。
いつもキラキラとした笑顔を見せてくれる彼女。
先日、悩みを聞いたら想像より重い相談が来て驚いた。あの時も悲痛な表情を初めて見て胸が締め付けられた。
今回は、同期の友人が何度も何度も人に迷惑をかけていて……。公正して欲しくて手を差し出していたのに、彼女の友人はそれを無碍にしていた。
その事を知ったのはたまたま見かけて話を聞いた時に、その友人について相談されたからなんだけれど……。
ダメだな。
時間が経てば経つほど腹が立ってくる。
本当に彼女を面倒なことに巻き込まないで欲しい。
医者としてじゃなく、ひとりの人間として思う。
俺は彼女に笑って欲しいのに。
ただ彼女だけには――
おわり
三六一、ただ君だけ
先日、俺には天使のような家族が増えまして。
愛しい奥さんが天使を連れてきてくれました。
出産にも立ち会ったし、許可を貰って抱っこさせてもらったけれど、天使の命の重さに涙が溢れた。
そして俺は改めて自覚する。
父親になったのだと。
まだ彼女と天使は病院にいるけれど、俺は仕事をしつつ、立ち寄れる時間は彼女たちに会いに行く。
顔を見るたびに、気が引き締まるんだ。
俺は手のひらに視線を向けて、ゆっくり拳を握る。
「頑張ろう」
そう、呟いて空を仰いだ。
俺は天使の未来を背負ってる。
彼女を大切にして、彼女と手を取って、俺たちの天使の未来の船を出せるように頑張るんだ。
おわり
三六〇、未来への船