なんかいい匂いがする。
俺は重い身体を起こして、ゆっくりと目を開けた。
「ふあぁ……」
身体を伸ばして深呼吸をする。呼吸とともにバターの良い香りが口に入ってきた。
ぐうぅぅぅぅ……。
身体が空腹を訴える。
カーテンの隙間から光が差し込んでいた。時計に視線を送ると目覚ましより少し早く目を覚ましてしまったみたいだ。
ベッドの隣りをさすると冷たい。
と言うことは、隣で寝ているはずの恋人は結構早く起きたんだなと理解する。
俺は匂いのする方へ誘われるように足を向けた。
鈴鳴のような可愛い歌声が聞こえる。歌詞が分からないのか「ラララ」と奏でていた。
彼女の後ろ姿は楽しそうで、嬉しそう。顔の緩みが止められないようなほどニコニコ笑いながらパンケーキを重ねていた。
「おはよう」
「あ、おはようございます!」
俺を見つめると、頬を赤らめて幸せそうに笑ってくれる。
もう、可愛いんだ。
今日も一日、いい日になるな。
おわり
二九五、ラララ
「ただいまー!!」
彼女の元気な声が玄関から響き渡る。俺はその声に誘われて彼女を迎えに玄関に足を向けた。
「おかえりー!」
彼女と視線が合うと、ぱぁっと花のような笑顔が咲きみだれる。そして彼女は迷わずに俺の胸の中に飛び込んできた。
「スゥーーー」
「こらこら、吸わない吸わない」
「だって落ち着くんだもん」
帰ってきて早々の奇行に驚きつつ、俺も彼女を強く抱き締めながら彼女の肩に顔を埋めた。
自然と深呼吸してしまう。
ふわりと風が運んでくれる彼女の香りに心地良さが勝ってしまった。
「……吸ってるでしょ」
「…………ごめん」
「私のこと、ダメって言ったのにっ!」
「ごめん、こんなに心地いいとは思わなくて」
ついつい、彼女の温もりと香りを堪能してしまった。
「家に帰ったらあなたを充電させてください!」
「でも匂い嗅がれるのは恥ずかしいよ?」
「自分は私を吸うのにー」
ぷくっと頬をふくらませて抗議するけれど、困ったことにこの顔も可愛いんです。いや、本当に困ったな。
「でも……一緒に住んでいるのに別のにおいなんですね」
素朴な疑問をこぼす彼女。
言われると確かにと思った。
「うーん、もしかしたら個々のフェロモンかもね」
「フェロモン?」
「同じボディーソープ使っているのに俺は君のにおいに癒されるのは、生理的に俺個人への影響なのかなって」
彼女が難しい顔してきたぞ。
「えっと……そうだな、俺は君が好きってこと」
それを告げると、満面の笑みを浮かべてから、全力で俺に抱きついてくれた。
おわり
二九四、風が運ぶもの
自分の感情ってままならない。
この都市に来てから、どんな出会いが待っているか楽しみにしていた。
出会いは嬉しくて、楽しくて。
そんな中で色々な感情が混ざってぐちゃぐちゃになってしまう人がいる。
どんな感情か、最初は分からなかった。
でも、重ねていく時間にそれがどんな気持ちだか分かってきた。
ねえ、どうして?
どうして、私はあなたを好きになってしまったの?
どうしたら、私を見てくれるの?
ねえ。
どうして?
おわり
二九三、question
これはほんのささいな決め事。
我が家にとっては当たり前の「お約束」。
「ただいまぁ!!」
俺が自宅に帰ると家に響くように大きめな声を出す。
すると、ひょこっと恋人が顔を出して、蕾が一気に花開くような満面の笑みを向けてくれた。
「おかえりなさいー!!」
そして俺の胸に飛びついて、強く抱きついてくれた。もちろん俺も彼女を強く抱きしめた。
この温もりと、彼女の特有の香りが精神的に落ち着いていくのが分かる。
一分ほどたっただろうか。
互いに力を抜いて、視線を合わせると笑顔になる。
ここまでが一緒に暮らすようになってからの「お約束」。
ケンカをすることはないのだけれど、ちょっとだけ険悪になることは時々ある。
でもそういう時でも、帰った後に抱きしめ合うと心が落ち着くんだ。
俺が帰った時だけじゃなくて、彼女が帰った時でも俺が出迎えて彼女の体温を身体で受け止める。
こういうとこを繰り返していると、不安になった時に彼女の体温があれば安心するのだと理解した。
だから、彼女との「お約束」をやめる気はない。
俺が俺としているためにも。
おわり
二九二、約束
雪がやんで、少しだけ気温が暖かくなった。
だからだろうか。
勘違いした木々が甘い花を芽吹かせている。
「えー、この前まで寒かったのに蕾があるー」
恋人と散歩したい。
そう提案して、彼女とのんびり歩いていた。
昨日も気温が高かったから、枝の端々に淡い色の蕾が顔を出している。
「春が近づいているんですねー」
「そうだね」
そんなことを言った翌日の朝。
仕事に行く前、窓を開けて気温差に震え上がる。
夜のうちに雨が降り、気温が下がり、また雪がひらりひらりとちらついてきた。
「気温差ー!!」
昨日見た蕾は大丈夫だろうか。
こんな寒暖差は身体が丈夫な人だって身体を壊すレベルだ。
俺は恋人に振り返り、お湯を沸かし始める。
「どうしました?」
「いや、外の気温が寒くて仕方がないから、温かい飲み物をいれる」
「ありがとうございます」
ふわりと笑顔を向けてくれる彼女の表情。
外の寒さを忘れさせてくれるくらい。
とはいえ、まだしばらく寒暖差には気をつけていかないとね。
おわり
二九一、ひらり