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4/10/2023, 3:54:21 AM

「先生の授業は退屈で、なぜ人気なのかが分かりません。私は誰よりも、ずっとあなたの事が大嫌いです」

私は人に教えることを生業としている人間である

この職業について、早数年。
私の努力も関係しているとは思うが、
生徒さんたちはみんな穏やかで優しく
授業の終わりにはいつも
「先生、ありがとう、またね」
と声をかけてくれたり
レッスン後のコメントには
「先生の授業が大好きです」
とありがたい言葉を届けてくれる人ばかり

のはずだったのに

なにかの不具合だろうか
ダブルクリックしてページを再読み込みする
それでも尚そのコメントは力強くそこに存在していた

「誰よりも、ずっと」

こういうことを書くということは
初期から私の授業を受けている生徒のはず

頭を抱えて首を傾げた
同時に私の心の中で黒い感情が渦を巻きはじめる

こんな言葉を匿名で一方的に投げ捨て、
私の心を傷つける無責任で卑怯な生徒は一体どいつだ
炙り出してやる
あと30分で始まる次の授業の始まりに
私に対して意見があるやつは直接言え
と言ってやろうか


思い立ったが、
馬鹿らしくなって笑いが込み上げてきた

思えば私の生徒は私より倍以上も年上の方ばかりだ
私より倍も生きているのに、
何十歳も年下の私にこんな事を言わなくてはいけないくらい、なにかに不満があるのだろう
腹立たしさより心の底から同情した

私は大きなため息をついて、
教室に向かう為に席を立った

悟りの光が差し込まない人間の
なんと哀れなことか
そういう人間こそ導いてやらなければ



教室に入ると、
生徒の目線が一気に集まってくる

私はいつも通り教壇にたち、
にこやかに穏やかに、
いつも通り挨拶しようと口を開いた
「私に意見があるやつは立って直接言ってみろ。そして私が嫌いならここから出ていけ、私もお前のことが大嫌いだ」



帰路にてアンガーマネジメントの本を買ってみた
怒りを感じたら6秒待ってみる、
と書いてあったが
6秒待って殺意が湧いてきた時の対処法は書いておらず、すぐに古本屋に売ってしまった

4/4/2023, 2:24:43 PM

どうして

人生で初めて
心の底からそう思った

全ての物事は予定調和だ
我こそは運命を変えた!と劇的な変化を遂げる人は
最初から運命を変えるように運命づけられているのだ
だから「どうして」などというのは無駄な思考である

「それでいいから…」

あまりにも痛々しい声に眉間にシワが寄る
聞きたくない
見たくない
でも私はこの男の哀れな恋心の顛末を
見届けなければいけない
そして終わらせなければ
この男が必死にかけた私に繋げた命綱を
無慈悲にもハサミでちょんぎらなければ

「それでいい、君の恋愛対象が男じゃなくても、俺は…それで……そんな君が……」

「そんなのは無理だよ、私は無理だ。
だから諦めて、お願いだから」

彼はついに涙と嗚咽をこぼしはじめた

可哀想に、本当に可哀想に
この男は本当に良いやつなのだ
それが
どうして、
どうして私なんかに恋してしまったのだ
同性しか好きになれない私などに


「男じゃなければよかったね。
男じゃなければ、私はあなたの事を好きになっていたと思う」

「俺は、君が女じゃなくても君のことを好きになっていた!!!!性別なんか…どうでもいいだろ……」

「どうでも良くないんだ、私にとっては。」

「どうしても変えられないものなのに?生まれつき俺に勝ち目は無いのかよ、どうしてなんだよ」

食ってかかってきた勢いに乗ろうかと思ったが、
私は口を閉ざし
次に思考を閉ざした

「どうして」は無駄だ
私が同性しか好きになれないことに理由なんてない
この男が無条件で私を好きだという事実に同じく
無条件で男に恋心を抱けないのだ

彼が今も必死に掛けようとしている
最後の命綱を断ち切るために
私はゆっくりと男と目を合わせた

4/4/2023, 4:55:16 AM

「1つだけ」

私の後ろにいるのは誰だろう
パンプスのストラップを止めるために
玄関にしゃがみこんでいる私の背中を撫でたのは
聞いたことの無い声だった

「1つだけ、聞いておきたいの」

口を固く結んで耳をすませる
その声は信じられないほど震えていた

私の母は気丈な人だ
幼い頃に父親と大喧嘩の末離婚、
女手1つで私を育ててくれた
強くてたくましい母親
そんな彼女に私が見いだしていたのは
母性ではなく
限りなく父性に近いものだった
母は多くの物事を背中で語り、
私の幼心に寄り添うことをしない人だった
何度、母のささくれだらけの手を焦がれ、
同じ時を過ごしたいと願ったことか
しかしそれは
何時になっても叶うことがない夢と化した

私が虐められた時も、
父親が押しかけてきた時も、
残業明けの早番の時でも、
母の背中は頼もしく、
その声は常に力強く未来へと伸びていた

だから私は母の声が震えることを知らなかった
弱い母を、知らなかった
今の今まで

「あたし、良いお母さんだったかな?」

ああ
最後になんという愚問だろうか
これから旅立つ娘に
どうして母は敢えてこの問いかけをしたのか

私はどう答えるべきか分からずに
パンプスの金具をじぃっと見つめていた

その長く重い一瞬の沈黙は
今も私の心の中に響き続けている

4/2/2023, 11:34:45 AM

「大切なものがあっていいなあ」

私は心底うらめしかった
だからそう言った

しかし目の前の人妻は、
もっとうらめしそうな顔で私を見た

「私から見たらあなたの方がいいと思う。あなたは今から北海道にも沖縄にも、フィリピンにもイギリスにだって行けるのよ」
「行けるけど行かないよ。一人はつまらないし、気が向かない」
「行けるけど行かない、っていう選択ができることが羨ましいのよ。私は大切なものと引替えに自分の自由を失っちゃった、夫と子供がいなくなったら私はなんのために生きてるのかわからなくなっちゃうと思う。」

そんな贅沢な悩みがあるか、惚気か?
と口に出そうとしたが、
相手の眉間のシワを見かねて
何も言わないことにした。

他人の悩みの全てを端から端まで理解することなど出来やしないのだ、それに対して意見を述べて、真昼間の喫茶店で大討論会を繰り広げるほどの熱量は今の私にはない。

結局みんな、
どこまで行ってもないものねだりで
隣の芝は常に青く美しく生い茂っているのだ

私はパフェの底にあるコーンフレークをスプーンで潰すと同時に、この人妻に対する淡い恋心を押し殺した。

4/1/2023, 11:46:52 AM

「やるぞ!やるぞ!やるぞ!オー!!!!」

みんなの右手が空気を突き上げると
むさ苦しい熱気が舞い上がって吐きそうになる

「いいぞ!次は誰だ!?さあ、聞かせてくれ!!」

エイプリルフールだと信じたい
今どきこんな号令をかける会社があるのか
そして何より、
私の入社を歓迎している会社がこれだなんて



ーバチッ

最悪だ

「そこの君、やる気はあるか!?
あるなら、こっちへ来て!号令をかけてくれ!」

最悪なことに主催者と目が合ってしまった

エイプリルフールってことで勘弁してください、
と突っ込みたくなる気持ちを抑えて
ため息混じりで前に出ると
人の目がゾロッと私に集中する

緊張する質では無いが、
こんな男どもの前で号令をかけて
楽しいことなどひとつもない
とっととそれらしく終わらせて席に戻ろう





「あの、さっきの号令の人ですよね……」

入社式終わりの立食パーティで、
鮮やかなピンクのカクテル片手に私に話しかけてきたのは、カクテルに浮かぶ桃のスライスのように控えめで愛らしい女の子だった

返事の代わりにニコリと微笑むと
彼女の頬がカクテル色に染まったような気がした

「よかったらご一緒してもいいですか」

もちろん、と返すと彼女が安堵したような声を出す
おっ、これは
私の中で期待の種が芽吹き始める

「さっきの、すごく素敵でした。ほら、この会社、男の人が多いし、さっきのあれも怖くて……私、この会社入ったの間違いだったかなって、思ってたんですけど、あなたみたいな人が同期でいるなら、がんばろうかなって……て、私何言ってるんだろ。ごめんなさい!」

「続けてくれてよかったのに」

先程の耳を塞ぎたくなる男の声とは違い、
この子の声ならいつまででも聞いていたい
こんな素敵な子があの中に埋もれていたなんて

私の声を聞くと、
一瞬彼女は弾かれたように目を開き、
ポツポツとまた続け出してくれた

「さ、さっきも思ったんですけど、女の人、なのにすごくかっこいい声してるんですね、見た目も、お化粧してるのに格好よくて……すごく素敵。前に立った誰よりもかっこよかったですよ…」

そこまで言って彼女は
夕方にしぼむ朝顔のように俯いてしまった

これはこれは

「どうもありがとう
私も、あなたみたいな優しい子と出会えて嬉しい」

私みたいな属性の人間は、
普通の女の子に褒められただけで
それまでの嫌なことなど吹っ飛ぶくらい嬉しくなってしまうのだ

今、この子が持ってくれている私への好意が
エイプリルフールなんかで誤魔化されないように
徹底的にスマートに振る舞うことを決めて口を開いた

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