真姫ちゃんを見て、私は絶句した。
晴々しい色とりどりの晴れ着の中に
ポツンとうかぶ小さな漆黒。
姫野真姫ちゃん
仲良しグループの中の1人。
小柄で細身で、
ミニスカートとロングヘアが良く似合う、
かわいいかわいい女の子。
のはず、だった。
今日は卒業式だ。
みんな各々、綺麗で可愛い特別な着物を着て、
晴れやかな顔で私の横を通り過ぎてゆく。
なのに、真姫ちゃんだけスーツを着てきた。
しかも男の人みたいにネクタイをしめて。
あんなにトゥルトゥルで絹糸みたいだった髪も
どこにも見当たらない、メイクだってすごく薄い。
みんな真姫ちゃんを見てひきつった。
え、どうしたどうした
なにがあった笑
失恋したの!?
てきとうに茶化す周りに囲まれて、
真姫ちゃんは笑っていた。
元から綺麗な顔をしていたから、
どんな姿になってもその笑顔は魅力的だ。
でも、私はそれを見てなんだか腹が立ってきた。
みんなで一緒の晴れ着を着て、
一緒に写真を撮って、
最後まで同じ感じで仲良くしたかったのに、
自分だけ勝手に自分を出して、
少数派にでもなったつもりなの。
「真の姫って名前なのに全然姫みたいじゃない」
その一言で空気が固まった。
気づけば私の唇は動いていた。
「みんなこんなに可愛い格好してるのに何考えてるの
男の人みたいにカッコつけて、バカみたい」
口に出して驚いた。
私はこんなことを思っていたのか。
慌てて俯いた。
真姫ちゃんだけじゃなく、
周りの視線も一直線に私を刺してきたから。
ポツリ、と
私の鼓膜を震わしたのは、
聞きなれた真姫ちゃんの可愛らしい声だった。
私は返事をしなかった。
これだけ酷いことを言ったのだから、
どんなに怖い言葉を返されても仕方がないと覚悟して
おそるおそる顔を上げる。
男の人でも、女の子でもない瞳が私を見ていた。
真姫ちゃんは、
本当に綺麗な顔でこちらを見つめていた。
ねえ、ほら、写真撮ろうよ!
そうだよ、そうだよ、みんなでさ!
危うい空気を察したのか周囲がワッと声を上げた。
そのせいで、
真姫ちゃんの唇が動いたのに、
その声が聞こえてくることは無かった。
その後のことはよく覚えていない、
もう真姫ちゃんは私と目を合わせなかった。
ー
家に帰って重くてキツイ着物を脱ぐと、
身体中に跡が付いていた。
スマホを開いて写真を見る。
何度見ても真姫ちゃんの髪は短くて、
スーツを着て、ネクタイをしめて、
男の人みたいだった。
卒業しても会おうね!
グループのメッセージには、
真姫ちゃんだけ反応がなく、
私は今日のことを一生涯後悔することになると思う。
「夢が覚める前にさ、
もう一度私のことを呼んでくれなかな」
我ながら意味不明なことを言ってしまった
口に出してから後悔する
そんな私の気持ちとは反対に
望んだはずの答えが私の鼓膜を震わした
そこでまた後悔
聞かなければよかった
花びらのように可憐な彼女の声の後に残った
この絶望的な沈黙は
永遠に私の耳の奥に残ることだろう
「ねえ、名前を呼んだんだから、返事を頂戴よ」
そこまで聞いて耳を塞ぎたくなった
またあの沈黙
私は今日からこの沈黙と2人きりになるのだ
嫌だ、
終わる
終わってしまう
これが最後だ、
一抹の春の夢がもう醒める
終わりまであと一言、
一歩踏み出して崖から落ちる
返事をしようと顔を上げて、更なる後悔
春の陽光に照らされて、
水晶の様な瞳が私を真っ直ぐに射抜いていた
今日は後悔ばかりだ
1つの生が終わる時、
人はみな後悔に溺れるのかもしれない
後悔に侵されて窒息するのかもしれない
彼女は私の恋人だ
それは春の夢のように美しく儚く
今日をもって消滅を迎える現実である
彼女は性別の壁を越えてわたしを愛してくれた
それなのに、私はその壁を越えられなかった
どこまでいっても私は自分の性に絶望し、
生まれ変わることを願い続けた
愛情と絶望は相容れない
正反対の感情が上手くいくのは
フィクションの中でだけだ
私が返事をすると彼女は返事をしなかった
その代わりに少しだけ口元を緩ませて
私から静かに目を逸らした
これで終わりだ
彼女の目はいつだって口ほどにものを言ってくれる
私はひたすらにその後ろ姿を見つめていた
瞬きをも忘れていると、涙が出て世界が霞んでくる
このまま目が見えなくなってしまえばいい
強い意志で目を見開いていたのに
ついには無意識に目を瞑ってしまっていた
本能は意志には逆らえない
性別と一緒だ
私は暗闇の中で、
彼女と過ごした数年間を反芻した
もう二度と訪れぬ春の夢の後には何も残らない
次目を開けた時、
この世界はどんな風になっているのだろう
こんなに恐ろしく、
長い瞬きをするのは生まれて初めてのことだった
胸が高鳴るとはこの事か
「不整脈持ちなの?」
口をついて出そうになった言葉を奥底にしまい込む
いくら私だって、
そんな空気の読めない女には成り下がりたくない
持病を疑ってしまうほどに大きく、
重く、確かに、鼓動を刻む彼の心音とは裏腹に
私の体は至って平穏だった
あまりにも静かで、
もはや私の心臓が動いているのかさえ不思議なくらい
そういうことだ
私の体は、
私の心よりも正直に、
全てを語ってくれていた
同じ速さで、
同じ重みで早鐘を打てないことに
なんとも言えない申し訳なさを感じながら、
私は私が生きている音を聞きたくて、
目を閉じて、内なる音に集中した
しかし残念なことに
私の内からは何も聞こえてこない
次第に相手の鼓動が鬱陶しくなったので
内も外もなく塞ぎ込んで、
私は今日の夜ご飯のことを考えることにした
人の話がつまらないと指をいじくり出すところ
料理が下手なところ
連絡が遅いところ
箸の持ち方が独特なところ
若白髪なところ
服のセンスが変なところ
バナナを1日1本食べないと元気が出ないところ
好きな人が私じゃないところ
もっと知りたいあなたの悪い所
もっと知って、嫌いになれたらどれだけ楽だろう
愛と平和を願える年になってしまった
ふと黙祷の後に気づいたその事実は
私の意識をあの日に連れていった
ー
「どうしてもっと優しく出来ないのかな
人との縁と、調和を大切にしなきゃ
人間はひとりじゃ生きていけないんだよ」
あいつの声が聞こえる
ほら、もう目の前にいる
私の反論に対して呆れたように笑って
「まあ、でも若い頃は、そんなもんかな」
と目をつぶったその表情
ー
目を開けるとそこには誰もいなかった
春の雨にうたれる線路が
なんとも言えない香りを放っているだけだ
私がもっと優しくしていたら
私がお前の話を聞いて、
人の心に寄り添っていたら
それか
もう少し早く歳をとって丸くなっていたら
私は今もあの表情を、
間近で見ることが出来たのだろうか
そんなことを考えてもどうしようもない
今のわたしにできることは
私の手に収まる範疇の人々の安寧を祈り、守ること
あいつのあんな表情を引き出すようなことをしないよう務めること
ただそれだけだった