—スマイルください—
ピロリ、ピロリ。
店内に足を踏み入れると、ポテトが揚げ終わる音がした。
(お、いたいた)
一ヶ月ほど前にアルバイトを始めた娘が、カウンターに立っていた。客の注文を受け、端末にタッチしている。
相当忙しいせいか、俺に気づく様子はない。
列に並び、なんでもない客を装った。
「いらっしゃいませ」
ようやく自分の番が回ってきた。
一瞬動揺した娘の様子をみると、やはり俺に気づいていなかったとわかった。
「店内でお召し上がりですか?」
「持ち帰りで」
それから俺はメニュー表をみて、家族みんなの分も選んで注文した。
そして俺はみつけてしまった。
表の右下に小さく書かれた文字を。
「それと……、スマイルください」
娘は嫌そうな顔をひとつも見せず、屈託のない笑顔をみせてくれた。
可愛いなぁ、と心の中でそう思った。
「ありがとうございました」
「またご利用ください」
家に帰って、注文したそれを妻と食べていると、スマホに通知がきた。
『次スマイル注文したら殺すから』
娘からだった。
あの可愛い笑顔の裏には、明確な殺意が隠れていたのだ。
『ごめん。』と、一応謝っておいた。
……もちろん、忘れた頃に、俺はもう一度頼むつもりだ。
お題:スマイル
—進路相談—
高校二年生。
机上に置かれた進路希望調査表をみつめる。
もう、進路について考えなくちゃいけない時期になってしまった。
「……」
第一志望は進学、第二志望は就職、と記入する。だが、すぐに消しゴムで消した。
「……」
第一志望に就職とだけ、書き直す。
俺の家は、大昔から代々家業を継いできた。
俺にはもう、その道しか残されていない。
「はぁ……」
のしかかってくる責任と重圧、そして決められた未来が、俺の心を押し潰している。
こんなことは誰にも言えないし、ここに書くこともできない。
紙を提出しようと、立ち上がった時、先生が紙をチラリとみて言った。
「——それは、お前が決めた進路か?」
俺は、言葉を返すことができなかった。
お題:どこにも書けないこと
—腕時計愛好家—
腕時計は、単に時間を確認する物ではない。
身につけている人の印象を、大きく左右する物である。
そんなところに、俺は惹かれた。
「どれにしようかな」
今日は、大事な商談がある。
俺は派手すぎず、清潔感をみせることができる、セイトーの銀色の腕時計を選んだ。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「えぇ、こちらこそよろしくね。じゃあ、早速だけど——」
俺の第一印象はいつも通りパーフェクトだ。
問題は、俺の持ち込む企画。それをわかりやすく、簡潔に伝えるだけ。
「——いいね。それでやってみようか」
「ありがとうございます」
俺は丁寧に頭を下げた。
「ところでそれは、セイトーの時計かい?」
彼は、腕を見て言った。
「はい、そうです」
「やっぱり。良い腕時計をしている人間は、仕事もできるんだよ」
「ご冗談はやめてくださいよ」
彼は声を出して笑った。
「でもね、気をつけたほうがいいよ。最近は高級腕時計が盗まれる事件がよく起きているからね」
「はい、気をつけます」
俺は適当に挨拶して、部屋を出た。
「はぁ、疲れた」
仕事を終えて帰宅すると、俺はベッドに身を放り込んだ。
歩き疲れた足を、両手で揉む。
「仕事ができる、か」
自分の発した言葉に、思わず頬が緩む。
良い腕時計を身につけるようになってから、間違いなく自信がついた。
また、新しい腕時計がほしいな——。
部屋の中にあるたくさんの高級腕時計が、俺のことを見つめている。
だが、いくらあっても、その欲求が収まることはない。
もっと俺に似合うものを。
もっと価値のあるものを。
欲が体中を満たし、また俺の体を動かした。
お題:時計の針
—伝えられなかった想い—
「じゃあ、元気でね」
駅のホームで、姉は言った。
大学が他県なので、遠くで一人暮らしを始めるそうだ。
「うん。お姉ちゃんも、頑張って」
最後に言いたいのはこんなことじゃない、と心の中の自分がわめいている。
私は、姉が大好きだ。
十も年が離れているのに、私とたくさん遊んでくれた。
電車のドアが閉まった。キャリーケースを持った姉が、こちらを向いて手を振っている。
「ありがとう」
そう言いながら、私も手を振った。
言いたかったのはこんなことでもない、とまた心の中の自分が叫んでいる。
電車はやがて見えなくなった。
行かないでほしかった。
そして何より、さびしい。
姉がいなくなった今になって、ようやく自分の気持ちと涙が溢れ出してきた。
お題:溢れる気持ち
—初キス—
家族でドラマや映画を見ている時、キスシーンが出てくると、少し恥ずかしい気持ちになった。
たとえそれが感動するシーンであったとしても、なんとなく目を逸らしてしまっていた。
「今日はいっぱいおいしいもの食べたね」
夕焼けの砂浜。隣で彼女が言う。
今日はデートにきていた。
彼女と付き合ってから、二回目のデート。
「そうだね。特にあの店のソフトクリーム、おいしかったなぁ」
波の音が聞こえてくる。
ひいてはおしてを繰り返し、ザザァと気持ちの良い音を奏でている。
「夕日、きれいだね……」
「うん……」
二人で腰を下ろし、手を繋いで見ていた。
そのはずなのに、気づけば自然とお互いに顔を見合わせていた。
彼女が微笑む。
僕の心臓は、波の音が聞こえなくなるくらいに、激しく音を立てていた。
瞼を閉じ、ゆっくりと顔を近づける。
彼女の甘い香りを、すぐそばで感じた。
僅かな沈黙の後、僕らは唇を離した。
「暑くなっちゃった」と彼女は言った。手をうちわ代わりにパタパタとあおいでいる。
「僕も」
まだ、心臓の音が鳴り止まない。
あんなに目を逸らしていた自分が、今はこの時間を、ずっと覚えていたいと思っている。
それが『恋』なのだと思った。
お題:Kiss