先週、妻が先に逝ってしまった。
『終点ー、天の海ー、この電車はもう消えてなくなりますので、お降りくださいー』
私は妻のいない寂しさを紛らわす為に、旅に出た。特に当てはないが、時間潰しにはなるだろう。
「おっと、着いたか。ここは……?」
うたた寝をしていた間に、終点まで来てしまったようだ。
私は立ち上がって窓の外の景色を見た時、思わず感嘆の声を漏らした。
雲が一面に敷かれた海の上空に、無数の星空がいっぱいに広がっていたのだ。私は生まれて八十年で初めて見るこの景色に、目を奪われた。
『お客さん、早く降りてくださいよー!』
私の時間を邪魔するように、車掌は言った。私は言う通りに電車を降りると、その電車は浜辺の砂のようにきらきらと散って消えた。
周りには誰もいない。
私は取り敢えず、改札に向かって歩いた。
「ご乗車ありがとうございましたー」
改札口に到着すると、近くで駅員の帽子を被った人型のカエルが声を出した。
私はもうボケてしまったのかなと思って目を擦ったが、それは確かにカエルだった。
「ええと、ここは何処なんでしょうか?」
「それは貴方が一番よく知っているでしょう?ほら、お先にお客さんが待っているんで早く行ってあげてください」
カエルが指差す先には、私の愛する妻が立っていた。
「爺さんや。もう来てしまったのかい」
そうか、思い出した。私は妻を追いかけてここまで来たのだ。
「ああ、ちょっとだけ早く来てしまった。一緒に行こうか」
「もちろんだとも」
二人は手を繋ぎ、共に歩いた。
私たちの旅は、きっとこれからも永く続く。
お題:センチメンタル・ジャーニー
文化部の部室にて。
「ねぇカオル、何してるの?」
私は、大きな画用紙を何枚もテープで繋げている大村薫を見て言った。
どうせいつものことだ。バカなことに違いないと、頭では分かっているけれど声を掛けた。
「サヤは知ってた?紙を四十二回折ると、月まで届くらしいぞ」
「はぁ……」
やっぱりか。
大村薫とは幼稚園からの幼馴染で、彼のことを一番よく知っているのは、おそらく私だと思う。そんな私が言うのだから間違いない。
薫はバカだ。
「今日はスーパームーンの日でさ、東南東に綺麗に見えるらしいんだ。だからおそらく、今日が一番の狙い時——」
彼は屈託のない笑顔をこちらに向けて……。
「俺は、月面探索に行っている宇宙飛行士を驚かせる!」
拳を高々と掲げてそう宣言した。
もう私は返事も面倒になって、本を読み始めた。
その日の夜。
雲一つない夜空に、確かに大きく綺麗な月が浮かんでいた。
きっと薫も月を見上げているんだろうな。
「本当……、バカみたい」
そう呟いて、私は窓を閉めた。
お題:君と見上げる月…🌙
今日は退院日。僕の人生に一年間の空白ができてしまったけれど、この病院のお陰で外に出られる。ありがとう。
「守、よく頑張ったね。今日は守の大好きなハンバーグ、家で用意してるからね」
お母さんは涙目になって、本当に嬉しそうに笑った。
僕も嬉しいよ。
一年前、僕は友達と遊んでいた時に、うっかり足を滑らせて、崖から落ちてしまったらしい。
入院すると決まった時、僕は目を覚ますか分からない状態だった。お医者さん、看護師さん、お母さん達の力があったから今の僕はいるんだ。
「本当にありがとう、お母さん」
本当に、本当に、感謝してもしきれない。
「あぁ、きっと神様のお陰だわ。お母さんね、毎日神様にお祈りしていたのよ。守が目を覚ましますようにって」
神様か。神様なんて今まで信じていなかったけれど、僕も信じてみようかな。
山野君、岡君、渡辺君、元気にしているだろうか。入院する前、毎日一緒にいたクラスメイト。学校がない日も、いつも一緒だった。
三人とも仲が良かったよね。
目を覚ました時は記憶が曖昧だったけれど、今はもう全てを思い出したんだ。
毎日、僕で遊んでいた三人。
あの日、君達は僕を突き落としたよね?
僕にできた空白の一年間を、どうやって取り戻そうか。
「お母さん、僕も神様を信じてみるよ」
どうか上手くいきますようにと僕は神様に祈った。
お題:空白
『台風は日本列島を北上し、太平洋上で温帯低気圧に変わりました。今日は台風一過の青空が広がり、各地で強い日差しが戻ってきそうです』
テレビの中の、お天気お姉さんが言った。東京の映像は、雲一つない青空。ただもう九月の中旬だというのに、一向に秋は訪れない。まだまだ暑い日は続くようだ。
「やばっ。もう三十分だ」
私は朝食のトーストを口に突っ込んで、牛乳と共に流し込んだ。そのまま急いで歯磨き。今日は、三日ぶりにテニス部の朝練があるので早く家を出ないといけない。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
扉を開けると、日差しが肌を刺してくる。日焼け止めのおかげで、紫外線対策はバッチリだ。
私は自転車を走らせ、学校に向かった。
七時、学校に着いた。
急いで更衣室で着替えた後、テニスコートに向かう前に、お手洗いで乱れてしまった髪型を整える。
練習は七時十五分から。少し早く着いたのには理由がある。
私はいつもの場所から、遠くに見える彼の姿を見つめた。弓を弾く、彼の素敵な姿をバレない様に覗き込んだ。
そう。弓道部の彼が好きなのだ。私は、一年くらい片思いをしている。朝練がある日は、こうやって彼を見るために早く着いているのだ。
台風が過ぎ去って、私の恋が再開した。
今日はどうやってアプローチしようかなと、頭の中でシミュレートしながら、テニスコートに向かった。
お題:台風が過ぎ去って
俺は、都内のアパートの一室で頭を抱えていた。
なぜこんなことになったのだろう。
始まりは三年前。音楽大学に入学するために、秋田からやってきた。両親からは、非常に激しく反対された。
「音楽なんかで食っていけるのは、一握りだけだ」とか、「それならうちのラーメン屋を継いでくれ」とか。
何とか必死に説得して許しを得たが、うちには大学の学費を払えるお金はないから、『お金のことは自分で何とかすること』という条件がついた。
それから「辛くなったら帰ってきなさい」とも言われた。
だから俺は四つのアルバイトを掛け持ちして、何とか今日まで生きている。きっと今、両親に会ったら、何を言われるか分からないから、在学中は帰省していない。
そして現在。なぜ頭を抱えているのかというと、進路についてだ。俺は、先が見えない。これからも音楽の道に進みたいと考えてはいるが……、
正直、自分には難しいと最近は思うようになった。
大学では様々なレッスンを受ける。周りのクラスメイトと共に、歌や演奏などを行う。
そこで俺は、才能の差を感じてしまう。これまで必死に努力をしたはずなのに、周りと大きな差を感じてしまうのだ。
だから必然的に、悩んでしまう。これからどうすれば良いのかを。
その時、ポケットの中の携帯電話がブルブル振動した。妹から電話だ。
父さんが仕事中に倒れたらしい。「すぐ行く」と返事をして電話を切った。
急いで家を出た。
こんな形で帰省することになるとは思わなかった。今の状況を話したら何を言われるのだろうか。
「早く店を継げば良かったんだ」と怒ったり、「最初から分かっていたんだ」と笑ったりするのだろうか。
自分のことで頭がいっぱいだった。
改札を出て、辺りを見渡す。田んぼだらけの地元は何も変わっていなかった。自転車もないので、走って病院に向かう。
201号室。ベッドに父さんは窓の外を見て、横たわっていた。後ろ姿しか見えないが、俺が家を出たあの日より、随分と痩せた様に見える。
「達也……!」
「お兄ちゃん……!」
側の椅子に腰掛けた母さんと妹が声を上げた。
「ただいま……。大丈夫か、父さん……」
声が小さくなってしまったが、父さんに届いた様だ。身体をゆっくりとこちらに向ける。
「東京ではうまくやってるか?」
弱々しい声でそう聞いた。
俺はあまり言いたくなかったが、正直に伝えた。今の自分の状況、これからどうすれば良いか悩んでいること。自分の想いをできるだけ正確に伝えた。
「そうか」
端的な返事の後、少し間を置いて続けた。
「父さんは正直、一年経たないうちに帰ってくると思っていた。そんなにお前が音楽を好きだなんて知らなかったんだ。まだ音楽を頑張りたいのなら続けたら良いし、辛いんだったら戻ってくれば良い。ひとりきりで悩まないで父さんたちを頼ってほしい。できることなら何でもサポートするから」
怒りもせず、笑いもせず、父さんは俺のことを応援した。自分の心の中にある塊が、溶けていく様に感じた。
俺はひとしきりに涙を流した。
お題:一人きり